【ファイルET101】2014.09.27 首相公邸(旧首相官邸)の幽霊にまつわるお話(上)。幽霊が出るか出ないか国会質疑になったねえ。前回までは、『四谷から溜池山王までお散歩したよ』という記事を連載してきました。(その1)から読まれる方はこちら。↓ http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/54423550.html その中で、旧山王ホテル(現山王パークタワー)が昭和11(1936)年)2月に、青年将校を中心としたクーデター、すなわち二・二六事件では、この山王ホテルが反乱軍に占拠されて、クーデター側の司令部となったという生々しい歴史があったということについて書きました。http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/55189493.html二・二六事件は、基本的に皇道派(こうどうは)と、統制派との派閥争いがあって、その中で、政財界(皇道派がいうところの『君側の奸【くんそくのかん:君主の側で君主を思うままに動かして操り、悪政を行わせるような奸臣】」』を排除して天皇親政による国家改造を目指す皇道派の中にあって、国体原理派を自認する青年将校を中心に1483名の兵を率い“昭和維新”と称して政府中枢を襲ったクーデター未遂事件です。といっても、事件そのものの背景は複雑で、未解明な部分もあって、軽々には語れません。全体の指揮を栗原安秀中尉が執り、第1小隊を栗原中尉自身が、第2小隊を池田俊彦少尉が、第3小隊を林八郎少尉が、機関銃小隊を尾島健次曹長が率いました。反乱部隊が総理大臣官邸に乱入する際、官邸警備に当たっていた村上嘉茂衛門巡査部長(官邸内)、土井清松巡査(林八郎少尉を取り押さえようとする)、清水与四郎巡査(庭)、小館喜代松巡査(官邸玄関)の4名の警察官は拳銃で応戦しました。4名は襲撃部隊の圧倒的な兵力により殉職されたのですが、この応戦の隙に岡田総理は女中部屋の押入れに隠れることができました。その間に岡田総理の義弟で総理秘書官兼身辺警護役をつとめていた松尾伝蔵予備役陸軍大佐は、反乱将校らの前に自ら走り出て銃殺されました。松尾予備役大佐はもともと岡田総理と容姿が似ていた上、銃撃によって前額部が大きく打ち砕かれ容貌の判別が困難になったため将校らは岡田総理と誤認し、目的を果たしたと思いこみ岡田総理は危うく難を逃れました。『二・二六事件 太平洋戦争研究会平塚 柾緒 著 (河出文庫)』より、P73から引用しましょう。※ ※ ※岡田大将記録編纂会編『岡田啓介』によれば、当の岡田首相は、この“首相殺害”場面を一部始終目撃していた。【写真は、岡田首相(左)と間違われて反乱軍に撃たれ、壮絶な最期をとげた松尾予備役大佐:同著より】「松尾は天皇陛下万歳を唱えて倒れた。この四、五人の一隊は中庭に出て、『これだ、これだ』と松尾の死体を自分の寝室に運び、自分のベッドに仰臥(ぎょうが)せしめた。この報告を聞いて、十五、六人の一隊が集まっていたようである。自分は、この間に浴室を出て洗面室の電灯を消し、壁に倚(よ)りかかって、先方からは見えないようにし、自分の寝室を覗いた。十数人のものが集まっている。一人が銃剣で寝室に次ぐ大広間に掲げてある自分の写真(夏の背広姿にて外務省の写したるもの)をとりはずし、これを松尾と見較(みくら)べ、『これだ、これだ』と松尾を自分と思い込み、みな、どこかへ立ち去った」岡田首相がお手伝いさんの部屋に逃げ込み、押し入れの中に潜むのはこの後である。しかし栗原中尉をはじめ襲撃部隊は、殺害したのが松尾大佐とは知らない。だから栗原の“首相確認”が終わった時、誰からともなく万歳が怒り、兵士たちは栗原が買って来させた清酒の四斗樽を車回しに運び上げて勝利の乾杯をしたのである。※ ※ ※(以上引用終わり)当時の首相官邸の見取り図。【同著より:現在は警備のためにレイアウトは変更されていると思われます】それ以前にも、五・一五事件がありました。昭和7(1932)年5月15日、午後五時半頃、海軍や陸軍の軍人九名が総理大臣官邸に侵入し、応接間に招じ入れて話し合いで説得しようとした内閣総理大臣犬養毅(いぬかいつよし)氏を狙撃したのです。犬養首相は弾丸二発を頭部に受けて危篤に陥り、帝大の監田博士による治療、輸血の効もなく、同日午後午後十一時二十六分に亡くなりました。この時に犬養総理が暗殺者に『話せばわかる』といった言葉は有名です。 旧名称 総理大臣官邸 設計者 下元連(しももと むらじ:大蔵省営繕管財局工務課第二製図係長、のち工学院大学教授) 施工 清水組(現在の清水建設) 構造形式 鉄筋コンクリート構造 延床面積 7000平方メートル 階数 地上3階、地下1階 竣工 1929年3月18日 改築 2003年10月-2005年4月 所在地 東京都千代田区永田町2丁目3番1号 最初、この公邸については、鳩山由紀夫首相が、行政改革だ事業仕分けだと言っていた時に、贅沢改築をしたということで、問題になりました。※ ※ ※「公邸の浴室改修」…実は寝室改装2010.2.12 23:02 産経msnニュースhttp://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100212/plc1002122304019-n1.htm 「風呂場と、それから洗濯機を変えたかもしれない。そのくらいかもしれない」 鳩山由紀夫首相は12日の衆院予算委員会で、自民党の与謝野馨元財務相から昨年10月末に 首相公邸に入居した際の改修費について、「どこをどのように、どの予算で直したのか」と問われると、 こう答えた。 ところが、首相は12日夜、記者団に対し、「調べたら風呂は改修していなかった。実は、和室を洋風に して寝室にしている。そのための改修費がかかっている。洗濯機もそうでもなかったみたい」と述べ、改修した個所を訂正した。 首相は記者団から改修総額をたずねられても、「今、出す必要もない」と一蹴した。それどころか「毎年、公邸の主が代われば毎年、改修しなければならない。毎年のように首相が代わること自体を変えることが経費を節減する道だ」と開き直った。 首相側近は「(民主党は)野党暮らしが長いから、国会で追及されるかどうかの基準で考えている。 改修費は過去の例と同じ水準に収めている」と強調したが、改修費の合計金額については明らかにしなかった。 ※ ※ ※(以上引用終わり) 「麻生さん入った風呂はイヤ」 首相公邸改修乱れ飛ぶ憶測J-CASTニュース2010年02月24日20時17分鳩山幸首相夫人が「麻生前総理が入った風呂に入りたくない」というので、1千万円の税金を使い首相公邸の風呂場を改修工事したのではないかーー。自民党の高市早苗衆議院議員がこんな内容の質問主意書を提出した。これに対し鳩山由紀夫首相は風呂場の改修工事はしていない、との答弁書を出したが、幸夫人が公邸設備への不満を漏らしていたことなどから、「本当は改修したのでは」などとさまざまな憶測が乱れ飛んでいる。 内装補修や床改修には413万円かけた 「週刊文春」(12月31日・1月7日新年特大号)によれば、 「『広すぎてお化けが出そう』『誰かにみられている気がする』『4年間これが続くのね』などと、愚痴をこぼしています」という鳩山家知人のコメントが掲載されている。特に気に入らないのが台所だ、としている。 風呂場改修に機密費1000万円を使ってしまった?? 高市議員は、2010年2月24日付けの自身のホームページ上のコラムで、「すっきりしない答弁書でありました」と書いた。風呂場改修の情報は09年12月に複数の官僚から提供されたもの。鳩山首相が機密費情報の公開を進める、とかねてから言っていたにも関わらず、機密費非公開に一転したのは、公邸の風呂場改修に機密費1000万円を使ってしまったからだ。こんな背景を官僚達から聞かされた、というのだ。 ちなみに、安倍晋三元首相に官邸の風呂場について聞いたところ、小泉元首相から麻生前首相まで風呂場の改修は行っていなかったという。 「風呂場の改修の有無については、麻生前総理大臣や安倍元総理大臣が視察することができたなら、すぐに判明することだろうと思います」 とも書いていて、「風呂場騒動」の真相はやぶの中だ。 ※ ※ ※(以上引用終わり) 【先代:麻生太郎氏→ 第93代鳩山由紀夫内閣総理大臣:2009年 - 2010年→次代:菅直人氏】です。本当に馬鹿気た騒ぎでした。 |
江戸・東京の部屋
[ リスト ]







風呂場でブツブツそんなもん唱えてるから、幽霊と間違われたのかな?(爆)たいてい、夫婦って片っぽがおかしくても
相方はまともなこと多いけど、2人ともってある意味すごいわ…凸
2014/9/28(日) 午後 2:26
むにゅさん、私は民主党のマニュフェストは全然評価していなかったのですが、鳩山首相には少し期待していた部分があるとすれば、それはお金で苦労されたことがないから、却って物事を大局的に見ることができるのじゃないかってところでした。
でも結局、単なる世間知らずのおぼっちゃまだということが分かっただけでしたね。何の腹案もないのに、「トラスト・ミー」ですから。
本当にこのご夫婦は割れ鍋に綴じ蓋で、ご本人たちはお幸せなのでしょうが、首相とファーストレディーになられると、とてもはた迷惑ですよね。
ところで、むにゅさんが選挙公約をしたら、マニュフェストじゃなくて、むにゅふぇすとになりますね。
ポチありがとうございます。
2014/9/30(火) 午後 10:49