アトモス部屋

ばたばたしていて、レス、訪問遅れてすみません。

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【ファイルS41】2017.01.08 京都『ぎをん 小森 (ぎをん こもり)』さんで、わらび餅をを食べたよ。


白川のせせらぎを聴きながら、京町屋で甘味を味わえるねえ。

今回は京都の「花街(かがい)」祇園新橋通り、伝統的な京の町家の保存地区にある『甘味処 ぎをん小森』さんです。

ということで、初春を寿ぐ(ことほぐ)場所として、これ以上の場所はない日本の古都・京都の甘味処についてご紹介しますね。


料亭の舞妓(まいこ)はんとかも、甘味が好きそうだし、観光スポットであることもあって、外国人観光客、女性客でにぎわいます。


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紅柄(べんがら)格子、かわら屋根にすだれといったしつらえの建物に、柳の木の風情が1000年の古都にふさわしい、白川沿いのお茶屋さんの『粋(すい)』、情緒のある甘味処です。


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『ぎをん 小森 (ぎをん こもり)』さんは、先の大戦後すぐにお茶屋として営業を始め、甘味処として現在の姿に形を変えた後も、この建物とそれが醸し出す独特の雰囲気、そしておもてなしの心をずっと守り続けて来られたそうです。

『ぎをん 小森 (ぎをん こもり)』さんのHPはこちら。↓
http://www.giwon-komori.com/

『ぎをん 小森 (ぎをん こもり)』さんの正面には、辰巳大明神があります。


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辰巳(たつみ=巽=南東)の方角を守る神社として建てられた神社なのでしょうが、今では祇園の舞妓はんからの信仰を集める伎芸上達にご利益のある祇園のシンボルともいえる小社となっています。


『ぎをん 小森 (ぎをん こもり)』さんの室内はこんな感じ。


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陰翳礼讃(いんえいらいさん)だねえ。

他のお客様が写るとまずいので、コントラストを強調しました。本当はこんなに暗くありません。

開店前に早めに行ったので、窓際の席を確保できました。


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わーい!

白川のせせらぎの音を聴き、景色を見ること自体が、ご馳走です。

実は、このお店は何度も訪れていて、わらびもち1,100円とくり・もちぜんざい1,050円を頼みました。


どうして2種類注文したのか、そのへんの事情は後で書かせていただきます。


まず出てきたのが、わらびもちです。


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私は黄な粉が大好きなので、もうこの黄金に輝く神々しいお姿を見ただけで、ぱんぱんと柏手を打ちたくなります。


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ぷるるんと自重を弾力で支えています。健気だねえ。

黄な粉の風味と柔らかい食感がとても嬉しいのでした。

それもそのはず。わらびもちはわらび粉100パーセント。毎朝練って練って練って、つくっているのだそうです。


黒蜜をつけて味に変化をつけます。


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濃密なとろっとした蜜なのですが、少し、しょっぱみが入っているのかな?例えば沖縄黒糖なんかは、ミネラル分が入っているというし。よけいに甘さが引き立ちます。


窓辺に鷺さんが遊びに来てくれましたよ。


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酉(とり)年にふさわしい絵になりました。


次に、くり・もちぜんざいです。


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お椀のアップです。


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栗と、小豆を浮上させました。


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東京では、こういうのを『田舎汁粉(いなかしるこ)』というのですが、関西では、『ぜんざい』です。

上野『『あんみつ みはし』の『田舎汁粉(いなかしるこ)』の記事はこちら。↓

http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/56028733.html

小豆が香ばしく、甘さも程よく、粘りのあるお餅と、大ぶりの甘い栗がほろっと割れて、とてもバランスが取れています。

桜の塩漬けが華やかでワンポイントになります。

小豆は十勝の大納言。一日使う量だけ毎朝炊いているそうです。

お味はとても結構なのですが、小豆は割れてお汁が濁っています。

ネットで調べると、こういったのが京都の「ぜんざい」の一般的傾向らしいのです。


ところが!

以前、ここに伺ったときの『くりもちぜんざい』と比較します。


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上段Aが今回いただいた『くり・もちぜんざい』で、小豆が割れて汁が濁っています。


下段Bは、数年前に訪れた時にいただいた『くり・もちぜんざい』で、小豆がしっかりとそのままの形をとどめ、お汁は、澄まし汁のように、透明です。

見た目が新鮮で、しっかりした小豆も噛みごたえがあって、まさに絶品でした。

塩昆布も、少量ではありましたが、松葉の形で味に旨味とこくがありました。


ただし、この写真でさえ、閉店間際に伺ったせいか、更にそれ以前に午前中に伺った時よりは濁っていたので、写真もこんな感じで、ちゃんと撮らず、記事は、また午前中に伺ったとき、お汁の澄みきった善哉の写真をじっくり撮って改めて記事を書こうと思って、今回伺ったわけですが、

ぎをん小森さんは、完全に澄まし汁善哉という方向性を放棄しているようなのでした。もし、これが、方針転換ではなく、今回たまたまであったらと淡い期待でもって、食べログ等最近の他の方の記事を拝見しても、そういうことのようです。


初めて、今回のような『くり・もちぜんざい』を食べたのなら、十分に美味しい京風お勧め善哉として紹介できたのですが、

以前の絶品の善哉の記憶があるので、もしできることなら、以前の澄まし汁スタイルに戻していけたらと切望します。


私は、決してお店を責めているわけではなく、これが時代の趨勢といえば、しかたないと思うのです。


お店の外に、掲示してあったメニューがこれです。


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この時は、秋季限定マロンパフェ1,650円がお勧めだったようです。これは、東京の高級テナントにも出店している他の某京都有名甘味処と同じ傾向で、パフェを主流にしたメニューが最近の顧客のニーズに合わせたものなのでしょう。

その、某京都有名甘味処の本店で、有名なパフェをいただいたときも、この素材でパフェはもったいないと思って、うちのブログでは記事にしませんでした。


客のニーズに合わせて、メニューを作れば無理が生じます。特にパフェを中心に作るとなると、手間がかかり、そうすると、パフェほど人気が無く、地味で伝統的なメニューに手間をかけて透明なお汁の善哉を作ることができなくなってきたのも無理はありません。


とても残念なことなのですけれど、私が、お店を責めるつもがない理由がもう一つあります。


というのは、


ぎをん小森さんさんの戸口には、祇園祭(ぎおんまつり)の宮本組の粽(ちまき)が飾られています。


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京都祇園祭の粽(ちまき)は、

童謡『背くらべ【海野厚作詞・中山晋平作曲】』のような『粽(ちまき)たべたべ 兄さんが はかってくれた 背のたけ♪』の方の食べ物ではなく、

笹の葉で作られた厄病・災難除けのお守りです。


住所が、京都府京都市東山区祇園新橋元吉町61なので、ぎをん小森さんは、宮本組の町衆なのでしょうね。


宮本組が祇園祭で供奉なさっていたご神宝を当ブログでご紹介していたことがあります。

 ↓   ↓   ↓
去年の夏の京都祇園祭だよ。その35 神様が御旅所に出張してるよ。 【ファイルT44】2008.07.15 
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/43568851.html

御旅所に飾られた弓、矢、盾、琴などのご神宝。宮本組が供奉してきたものです。【再掲】


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京都ブランド(管理運営: 株式会社フェイム)さんのサイトより、↓

http://kyoto-brand.com/index.php

以下の記事を引用させていただきます。↓


 ※    ※    ※

町衆が和御霊が合体するとき悪霊が退散する


祇園祭 清々講社 by 五所光一郎
http://kyoto-brand.com/read_column.php?cid=5394

(前略)

山鉾巡行の辻まわしを祇園祭のハイライトと呼ぶなら、石段下や御旅所での揃い踏みの神輿振りは祇園祭のクライマックスと呼ぶに相応しい。

静の山鉾、動の神輿といわれるが、祇園祭の真髄は神輿であって、山鉾巡行は元来付け祭であった。その付け祭が観光へのプロモーションの結果主体化し、マスメディアの偏向的な報道により、山鉾が祇園祭そのもののように誤解を招いている。


京都の祭礼において、神輿の行く手を剣鉾が祓い清め、そこへ神輿が巡幸するのは祭事の常套で、切り離してあることはなく一体のものである。

その剣鉾が巨大化し絢爛豪華になったものが山鉾であるから、山鉾は神輿の露払いなのである。そして、氏子町衆の神輿渡御への最大の歓待供応の一つである意味を持っている。

つまり、山鉾を見て神輿を知らぬことは、前座を鑑賞して語り、真打を知らず祇園祭りを語るに等しい。


平安時代の貞観11年(869年)、京で疫病が流行した際、神泉苑に66本の鉾を立て、祇園の神を迎えて災厄消除を祈った祇園御霊会をルーツとする祇園祭。

その御霊会の原点は、現在の7月24日(旧暦6月14日)の後祭(還幸祭)なのである。

町衆の鉾による露払いが巡行し、神輿が氏子町を練り歩き、あらゆる災厄を神輿に積み込み祓っていく重要祭事だったのである。


1100年を超える歳月の中、祇園祭にも浮沈や変遷の歴史はあった。

しかし、消滅することなく継承されてきたのは町衆の愛着と努力であったに違いない。時代が変わり人が変わっても、伝統は、新たな知恵と工夫を道連れにして脈々と引き継がれてきたのである。

中でも、八坂神社の氏子組織の結束と奉仕活動が、いつの世もそれを支えていたようだ。


例えば、豊臣秀吉が定めたという寄町制度がある。

鉾町の山鉾巡行を維持するため、鉾を保有する鉾町を補助する数ヶ町を定め、人力と財力を援助する義務を課したという。

祭の執行には最適で優れた制度であったところ、明治5年寄町制度が廃止となり、鉾町は経済的危機に見舞われ、鶏鉾や月鉾は質入、譲渡される事態に陥ったという。


その時、この危機を脱する為立ち上げられたのが、募金組織となる清々講社であった。

清々講社は氏子を駆け回り浄財を募り、没落した山鉾町の負債を救済し、この二つの鉾を守ったと聞き及ぶ。


清々講社とは、八坂神社の氏子区域全域に亘る旧25学区からなる京都特有の町衆組織である。

その町衆組織清々講社の一つに「宮本組講社」がある。八坂神社のお膝元である弥榮学区の住民、店主や地主で構成されている。

他学区に比較して歴史の古い講社で、平安時代より神社周辺に住んだ人たちの地域で、熱心に神社に奉仕してい由縁と誇りから、「お宮の本にある宮本組」と称され、清々講社のなかでもその重要な役割を担う筆頭の講社である。

神社に奉納されている石灯籠や建造物などを注意して見てもらうとよい。これらの講社の名を目にするはずだ。


これらの講社があるからこそ、祇園祭は年々歳々に執り行えているのである。


 ※    ※    ※(以上引用終わり)

当ブログでは、『祇園祭の部屋』を設け、祇園祭の概略についてシリーズ記事にしたことがあるので、こういったことの重要さを身に染みて理解できます。

 『祇園祭の部屋』はこちらから。↓
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/34800676.html

『「宮本組講社」がある。八坂神社のお膝元である弥榮学区の住民、店主や地主で構成されている』ということですが、

ところが、弥榮(やさか)学区は、少子化で弥栄(やさか)中学校が平成22年度末(2011年3月)をもって閉校し平成23年度(2011年4月)から開睛中学校に統合されたということです。


それで、祇園・弥栄中学校跡は、現在、漢検 漢字博物館・図書館 『漢字ミュージアム』になっているようです。↓

http://www.kanjimuseum.kyoto/

つまり、京都都心は空洞化して、ますます、地元の伝統行事の負担は増していっているのです。

ですから、京都の文化という大切な日本文化の柱を守るには、費用と手間がかかるのは当たり前なのです。それを余所者がとやかく言うのは控えたいと思うのです。


私は『漢字ミュージアム』自体を否定するものではありませんが、地域社会や郷土文化を支えるコミュニティーを破壊して、少子化で廃校になった中学校跡地に『漢字ミュージアム』を建てて、外国人観光客のインバウンド消費だ、観光立国だもないだろう!?というのが私の率直な感想です。


祇園祭は地元の人々の誇りと努力によって支えられ引き継がれている神事なのであって、観光客のためにあるのではありません。

人々はその辺のところを勘違いをしているのではありませんか?


ということで、この問題については、別途記事にすることにして、

京都は良いねえ。ぎをん小森さんさんにもぜひお越しくださいね。


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