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祇園祭について最初から読まれる方はこちら。
祇園祭の紹介がとっても久しぶりになってしまいました。 どうも、回り道が多すぎて疲れたねえ。 今回は、 21放下鉾(ほうかほこ:新町通四条上ル) 22岩戸山(いわとやま:新町通仏光寺下ル) 23船鉾(ふねほこ:新町通綾小路下ル の紹介です。 21放下鉾(ほうかほこ:新町通四条上ル) 謡曲『放下僧(ほうかそう)』に取材した鉾だということですが、天王人形が放下僧である以外、その特徴を見出すことができません。 鉾頭の形から、別名『すはま鉾』とも呼ばれます。 放下僧というのは、中世に手品や曲芸などの雑芸を見せつつ、街頭で僧が法を説く際の集客を助けたり、自らの米銭を乞うたりした人気者で、謡曲『放下僧』は、父の敵討ちを誓った主人公の兄弟が、放下僧に化けて雑芸を見せ、油断した仇を討ち取る話です。 前懸は『中東連花文(ちゅうとうれんかもん)』インド絨毯(じゅうたん)を使用していました。現在のものは復元新調してあります。 幸野楳嶺(こうのばいれい)下絵の破風正面の彫刻など、明治以降の工芸装飾が楽しめます。 昭和4年より、長刀鉾とともに守ってきた生稚児(いきちご)を人形に変更しました。当時、四条堺町にあって、鬮改め(くじあらため)の会場となっていた丸平大木(まるへいおおき)人形店の大木平蔵さんが稚児人形を作りました。 久邇宮(くにのみや)多嘉王(たかおう)より『三光丸(さんこうまる)』と命名されています。 できた当初は生稚児と同様、社参して入魂式が行われました。間接が動き、鉾上で生稚児と同様に三人の人形方によって、稚児舞を演じます。 撥をもった両手を広げて、 太鼓を叩くよお!ドン! 胴縣は放下鉾が特注した『中東連花鉾先文』インドペルシャ絨毯(じゅうたん)及び『中東連花葉文』インド絨毯を使用していました。現在のものは復元新調してあります。 辻回しもかっこいいねえ! 見送りは昭和58年、皆川泰蔵作のローケツ染『バグダッド』が寄贈され、使用されています。なお、この見送には専用の裾金具(すそかなぐ)も付属してあり、同じく皆川泰蔵さんがデザインしたフクロウの図柄です。 22岩戸山(いわとやま:新町通仏光寺下ル) 岩戸山は天岩戸(あまのいわと)のお話を題材にした山です。 屋根の上には伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が鎮座しています。 金色の唐冠(とうかん)に有職文(ゆうそくもん)唐織小袖、雲文金襴大口袴(おおぐちばかま)、花菱七宝文金襴陣羽織を着用。金装の太刀を佩(は)いています。 右手には90cmほどの三叉の矛(ほこ)を突き出すようにもって、矛身の根元から金色の径5cmほどの円球を60cmほどの紐で下げています。 これは、天瓊矛(あまのぬぼこ)と潮(しお)のしずくを表しています。 鉾の中には天照大神(あまてらすおおみかみ)像と、天岩戸(あまのいわと)を取り除いて下界に投げた手力男命(たじからおのみこと)像が安置されています。 天岩戸は落ちた場所に隠され、そこが戸隠(とがくし)山だそうです。 屋根の下にちらりと胴と足が見えているのが素盞嗚尊(すさのおのみこと)です。 天水引は緋羅紗(ひらしゃ)地に彩雲を配した刺繍です。丸の鳳凰を前後に3個、側面に5個配置しています。明治の作で総角結浅葱房(あげまきみすびあさぎふさ)一対を添えています。 前懸は、双唐獅子玉取文様段通(だんつう)です。吉祥図案で雌雄の獅子が戯れると体毛が絡まって鞠(まり)となり、その中から勇猛な児獅子が生まれるという言い伝えがあります。 胴縣・後縣ともに花模様段通です。ペルシャ・アゼルバイジャン地方18世紀作で元文5年(1740)に購入しました。 車輪も立派です。 辻回しの風景です。 見送りは『日月龍百人唐子嬉遊(からこきゆう)図』綴錦です。狩野9代栄岳(えいがく) 23船鉾(ふねほこ:新町通綾小路下ル) 船鉾は、以前紹介した12占出山(うらでやま) や休み鉾の大船鉾と同じく、神功皇后の三韓征伐を題材にした鉾です。 今回は辻回しの風景をお楽しみくださいね。 次回はこちら。 |
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2008年05月17日
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