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祇園祭について最初から読まれる方はこちら。
山鉾巡行を観て、お昼が終わって、それじゃあということで、肝心の祇園社に行くことにしました。 山門は改修中建築用のパネルで囲まれていました。 さすがは、厄払いの祇園さんです。狛犬さんもとっても怖い顔をしています。 入ってすぐのところに疫神社があります。ここは、蘇民将来をお祭りしていて、祇園祭の最終日の7月31日、フィナーレとして、鳥居の所に大きな茅の輪が設置され、『茅の輪くぐり=疫神社夏越祭』が行われます。神社というより、祠ですよね。 小さいので気をつけないと見逃します。 とにかく、祇園さんには、いろいろな神様がいます。 恵比寿さんもあります。 悪王子社(祭神=素戔嗚尊の荒魂《あらみたま》)がありました。 社殿はとっても美しいねえ。 女性に人気の神社があったので、覗いてみると、 『美御前社うつくしごぜんしゃ』とありました。 美御前社うつくしごぜんしゃ(祭神=多岐津比売《たぎつひめ》神、多岐理比売《たぎりひめ》神、市杵島比売《いちきひめ》神) 由緒書きにはこうありました。 美御前という名の通り、美を象徴する神として祭られています。本社の祭神、素戔嗚尊が天照大神(あまてらすおおみかみ)と誓約(うけい)をされたとき、素戔嗚尊のもっておられた十拳剣を振りすすいで生れた三柱の女神で、宗像三女神といい、清浄・潔白の証となった神々で、俗に弁天さんといわれるのも、市杵島比売《いちきひめ》神です。古くから芸妓さん舞妓さんをはじめ美しくなりたい女性はもとより、美容理容、化粧品業者の崇敬を集めています。 美御前社の湧き水で撮った写真。 本殿はこんな感じです。 拝殿には3基の御神輿と、1基の子供神輿が鎮座ましましています。 15:40頃、なんか関係者の人がお神輿で作業を始めました。 15:55頃、ロープが張られ、後ろに下がるように言われたので、慌てて場所を取りました。 こんなに早く神幸祭(おいで)が始まるなんて思ってもみなかったよお! 祇園社の歴史はこういうことになっているそうです。 八坂神社(祇園社)は、明治まで祇園社、または祇園感神院とよばれていて、現在の社名になったのは明治元年からだそうです。 その起源は、平安時代の貞観18年(876)、八坂郷の地に牛頭天王(ごずてんのう=素戔嗚尊すさのおのみこと)の社壇を造営したのがはじまりだとされています。 八坂神社の創祀を社伝では斉明天皇2年(656)と伝えています。この年には高句麗の使い伊利之(いりし)が来朝し、彼は八坂造(やさかのみやつこ)一族の祖先である意利佐(いりさ)と同一人物と考えられているので、社伝の説をあながち荒唐無稽なものとして退けるわけにはいかないということです。 ※ ※ ※ そこで、その頃の朝鮮半島と日本の関係を記しておきましょう。 このころの日本は百済や高句麗とはとても密接な関係がありました。人の行き来も多かったのです。 ところが、新羅が、唐と同盟して、百済を侵略しました。その時、日本からも百済に援軍(水軍)を出したのですが、白村江で破れ、663年に百済は滅亡しています。 どうして援軍(水軍)を出したかというと、とても親密な外交をしていて、日本からも百済に多く人が行っていたからなのですね。 ちなみに、百済が滅亡した3年後の666年に、高句麗人が大挙日本に来ます。これは、もちろん、日本に援軍を依頼するためです。 その後、新羅・唐軍は高句麗も滅ぼします。 その時、百済、高句麗の人たちはほとんどが虐殺されています。 かろうじて難をのがれた高句麗、百済からの亡命者が日本に帰化し、日本はそれらの人々を篤くもてなしています。 新羅の武烈(ぶれつ)大王は、自らの権力増強のために、唐軍の力を借り、文明の高い、百済・高句麗を滅ぼしたのです。 韓国・朝鮮の人は何かあると『日本に文化を教えてやった。伝えてやった』と威張りますが、その高度な文明を日本に伝えた国は滅びて現存しません。自分たちはそういう高度な文明を持った人々を唐の力を借りて滅ぼした侵略者の子孫だということを少しは知ったほうが良いと思います。 武烈(ぶれつ)大王は、自国の誇りを捨て、唐の文物を朝鮮に取り入れることに努めました。 第一に姓名を支那風に二文字ないし三文字に統一しました。 それまで、四〜五文字前後が圧倒的に多かったのに、自国民に支那風の改名を強制したのです。だから、朝鮮の人は、李とか朴とかの似たり寄ったりの苗字しかないのです。 例えば、666年10月に来日した高句麗の正使は乙相奄○(おっそうあむす/○はヨが縦二つに卩)、副使は玄武若光(げんむにゃっこう)と達相遁(だちそうどん)です。今、こんな名前の韓国・朝鮮の方なんかいないでしょう? また科挙の制度を採用。朝鮮では庶民には受験資格が無く、試験科目には『史記』つまり支那の正史が出ました。自国の歴史の否定です。 そして、国王、貴族、官僚が使用する文字はすべて漢字になりました。 1446年に世宗大王が、諺文(おんもん=ハングル)を作りますが、これは無学な人間の文字ということで、文化人からは疎まれ、諺文で書かれた書物は焼かれたりしました。 そのおかげで、朝鮮半島は、支那の本格的な冊封を受ける国家になったのです。 それはともかく、高句麗の亡命帰化人八坂造(やさかのみやつこ)一族と、八坂神社、祇園社の関係というのもなんとなく気になりますね。 次回に続きます 次回はこちら。 |
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