【ファイルR3】2009.09.08 小樽市総合博物館(本館)のキハ82 1はカッコいいねえ。
日本の特急網を発展させた功労者だよ。
キハ82系は、キハ81系の次に開発された80系気動車(ディーゼルカー)の貫通型先頭車です。
パノラミックウインドウ(曲面ガラス)付き運転室です。
クリーム色の車体に赤い帯がカッコいいねえ。
1957年、西ドイツ・オランダ・スイス・フランス・イタリアによって、TEE(汎欧州特急)と名づけられた国際ディーゼル特急が開発されました。
当時これらの国の幹線も、まだ非電化区間があったので、ディーゼルが採用されたのです。
この特急の成功に刺激された日本でも、ディーゼル特急の導入が検討されました。
東海道線では昭和33(1958)年に151系電車のビジネス特急『こだま』が投入され、高速化が促進されていたのに、地方、特に東京以北は電化も遅れ、上野〜青森間の特急『はつかり』は、蒸気機関車が牽引していて、地域格差が問題になっていたのです。
折りしも、昭和35(1960)年秋にアジア鉄道首脳者会議(ARC)が東京で開催されることになり、その機会にディーゼルカーを開発して、アジアの鉄道関係者にお披露目をして、日本の技術力をPRし鉄道車両の輸出促進に役立てようということになりました。
TEEでは、ディーゼル機関車が客車を牽引する方式が主役だったのに対し、日本では、内燃気動車のお家芸だった床下動力装置のディーゼルカーが導入されました。
その結果登場したのが日本初の特急形気動車キハ81系のディーゼルカーです。9両編成2本と予備8両の合計26両が製造されました。
アジア鉄道首脳者会議での評判も良く、同年12月10日から上野 - 青森間特急、『はつかり』に投入されました。
ところが、日本初の気動車による長大編成での長距離高速運転ということもあってアクシデントが続出しました。あまりのトラブル続きのため利用者からは不興を買い、マスコミからは散々に叩かれました。
そこで、キハ81系の改良型として1961年(昭和36年)から製造されたのが、このキハ82系です。
これにより、1961年10月の全国白紙ダイヤ大改正で、それまで日本全国に9往復しかなかった国鉄特急列車が、一気に26往復まで増発されました。
当時キハ82系が運用されていた特急は、『おおぞら』『白鳥』『つばさ』『ひばり』『まつかぜ』『かもめ』『みどり』『へいわ』です。中でも『白鳥』の青森編成は、全区間で1,000kmを超え、国鉄の昼行特急としては日本の最長距離列車となりました。
それ以降、キハ82系は日本のディーゼル特急の顔として大活躍し、高度成長期の大量増備によって日本全国に特急網が構築されたのです。
最高時速は100km/hです。
記念すべきキハ82の第1号機です。
『キハ』の『キ』は『気動車』という意味で『ハ』は『普通車(1960年まで三等、以後1969年まで二等)』を意味します。
ちなみに、『グリーン車(1960年まで二等、以後1969年まで一等)』は『ロ』と表示します。例えば、気動車のグリーン車は『キロ』という具合です。
『JNR』のロゴです。
Japanese National Railways=日本国有鉄道(にっぽんこくゆうてつどう)の略称です。
『北海』らしく、雪を乗っけています。
ディーゼルカーなので、当然パンタグラフ(集電装置)はありません。
ということで、今回はキハ82形ディーゼルカーでした。
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