【ファイルA18】2013.07.11 アメリカ映画『(ヒースレジャーの)恋のから騒ぎ』に映っていた『阪急電車のTシャツ』阪急電鉄の広報の人、あなた方の偉大な大先輩の菅井汲(すがいくみ)画伯の作品ですよ。以前の話になるのですが、『トリビアの泉』という番組がありました。その中で、シェイクスピアの『じゃじゃ馬ならし』を下敷きにしたラブ・コメディーのアメリカ映画『(ヒースレジャーの)恋のからさわぎ【原題:10 Things I Hate About You(1999年)】』の屋上シーンでビアンカ・スタッフォード役のラリサ・オレイニクが着ているTシャツに、『阪急電車』のロゴがあって、『へえ〜』ということになりました。タモリさんは、鉄道オタクだから、かなり食いついていたのですが、阪急電鉄の広報担当の方も、どうしてこういうデザインが使われているのか分からないということでした。私はすぐに分かったよ!えっへん!常識だよ!これは、菅井 汲(すがい くみ:1919年3月13日 - 1996年5月14日)さんという洋画家、版画家の作品です。実は、私はこの人の作品の大ファンなのでした。1937年から阪急電鉄宣伝課で商業デザインの仕事に就きますが、1952年渡仏。つまり、昭和12(1937)年から、昭和27年(1952)年に渡仏するまで、阪急電鉄社員としてポスターなどを描かれていたのです。以前、菅井 汲さんの展覧会に行ったときに、阪急時代の阪急電車のポスターも展示されていたので、それこそ『へえ〜』、って感心したものです。年代からいって菅井汲さんが作成したと思われるポスターです。↓阪急電鉄100年ミュージアム号 ポスターギャラリーのサイトより、http://rail.hankyu.co.jp/archive/100th/ 戦後の復興、苦境を乗り越えて。 http://rail.hankyu.co.jp/images/archive/100th/gallery/poster03_03.pdf 左が『神戸線特急運転再開ポスター【昭和24(1949)年3月】』で右が『京都線特急復活ポスター【昭和25(1950)年10月1日】』『○行は速い阪急』の○の部分が判読できません。それで、『『トリビアの泉』では、これを『急行は速い』って読んでいたんですけれど、阪急電車が速いのは『特急』です。主要路線である阪急神戸線の『急行』は西宮北口〜三宮で各駅停車になるので遅いのです。↓http://rail.hankyu.co.jp/station/rosen.html『阪行は速い』と読めます。ここで注目すべきなのは、大きな『25』という数字です。これは、『25分』ということでしょう。というのは、上のポスターは、戦後のものですが、戦前、阪急の特急は、920系の投入によって、昭和9(1934)年7月1日から、大阪梅田〜神戸間25分特急運転が開始。昭和11(1936)年4月に神戸三宮まで延伸したにもかかわらず、同年7月1日から大阪梅田〜神戸三宮間25分運行を達成していたのです。この特急運転は、大東亜戦争の戦況が悪化した昭和19(1944)年まで続けられました。装備された170kwの主電動機は当時最大を誇っていました。『阪急電車のすべて2010』阪急コミュニケーションズより【山口益生氏撮影】ですから、このTシャツに使われたポスターは、菅井さんが阪急電鉄に勤務していた戦前戦中の昭和12(1937)年から昭和19(1944)年までの間に製作された作品だということになります。それで、Tシャツのロゴは、『25分』『阪急電車』『大阪行は速い 阪急』『25分』の部分がプリントされているのだと思われます。ということは神戸三宮駅に貼られたポスターなのでしょう。菅井さんは渡仏間もないクラヴェン画廊での個展が大きな反響を呼び、たちまちパリ美術界の寵児に。55年から版画制作を開始、生涯に約400点を制作します。59年リュブリアナ国際版画展、65年サンパウロ・ビエンナーレ最優秀賞など数多くの国際展で受賞し、めきめきと世界画壇に頭角を現します。つまり、ソシエテ・デ・パントル・グラヴール・フランセ【フランス(独立)画家版画家協会 1889年設立】の会員でもある菅井さんは、国際的に著名なアーティストなのです。だから、菅井さんの作品をあしらったTシャツがアメリカの映画で使われていても、全然不思議ではないのです。どこかの展覧会で菅井さんの阪急時代の作品が展示されていて、土産で売っていたTシャツを衣装の担当者が手に入れて映画に使用したものか、菅井作品のロゴを組み合わせて新たに作ったオリジナルTシャツの可能性もあります。つまり、このTシャツで、衣装担当者の美術的教養の一端がさりげなく主張されているのです。白いヨットパーカーが不自然なほど広げられていますからね。菅井さんは無類のスピード狂で、1967年にドイツ国境近くのナショナル・ルートNo.4路上で、愛車のポルシェを運転中に事故を起こし、一命はとりとめたものの完治までに8年を要しました。その後、1970年代からは、ほとんど円と直線の組み合わせから成る、より単純化され、無駄を省いた作品を描くようになりました。モチーフはほとんど機械的に組み合わされ、一つひとつのモチーフが正確に描かれ、高速走行中にもドライバーによって瞬時に把握される必要のある、道路標識にどこか共通したものがあるといわれているそうです。車でスピード出して、絵のこと考えていたらば、事故を起こして危ないねえ。ちなみに、阪急電鉄出身の縁で、かつてパ・リーグに所属していたプロ野球球団、阪急ブレーブス(HANKYU BRAVES:現オリックス・バファローズ)の『勇者(Brave)』のマークもデザインしています。 |
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2013年07月11日
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