このお店を知ったのは、『コメディーお江戸でござる』(NHK総合テレビ)にもご出演され、江戸学に詳しい故杉浦日向子さん【平成17〈2005〉年惜しくも46歳の若さで逝去されました】のエッセイ集というか画文集の『一日江戸人』で紹介されていたのを読んでです。とても気さくでお話が大好きなご主人です。粋でハンサムかつスマートな江戸っ子の慶応ボーイなので、該博な知識でもって、次々と江戸小玩具の知識が泉のように、まさに立て板に水の江戸っ子口調で、いろいろと説明してくださいました。そして、手をはなすと捩じられたゴムの反動で飛び跳ね、男子体操、オリンピック金メダリストの内村航平選手顔負けの宙返りをして着地します。その時に、被っていた笠が飛んで、ハンサムな助六さんのお顔が拝めるという寸法になっています。 うまくみられないときはこちら。↓ 歌舞伎の『法界坊』のなかで、法界坊たちが「しめたしめた しめこのうさうさ」と節をつけて唄う場面があって、これは「兎を絞(し)める」ことで食べ物をいただけるというお祝いの『絞める』と、ものごとがうまくはこんだという意味の「しめた!」をかけた地口なのだそうです。この江戸時代の大ヒット玩具『とんだりはねたり』は、『助六』さんが店を構えるさらに以前の今から約240年ほど前の安政年間(1772〜81年)、浅草田町に住んでいた亀屋忠兵衛というひとが当時評判の「亀山のお化け」という見世物からヒントを得て案出し、雷門のそばで売り出したのがはじめといわれているそうです。初代が八十八(やそはち)さん、二代目が巳之吉(みのきち)さん、子之吉(ねのきち)さん、卯三郎(うさぶろう)さんと続いて当代五代目が木村 吉隆(よしたか)さん。ご主人が伝え聞くところによると、仲見世で店を始めた当初は餡パンを売っていたところうまくいかず、人形焼を「名所焼」といって売り出して評判になったそうです。そういえば、以前、人形焼「木村屋本店」も記事にしたことがあったのですが、「助六」さんとそんなつながりがあったなんて、知らなかったよお。人形焼「木村屋本店」の記事はこちら。↓http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/54026481.html 初代の八十八(やそはち)さんは、「最初、絵草紙などを売っていて、だんだんと小玩具を商うようになっていったようだ」ということです。「とんだりはねたり」や「ずぼんぼ」など子供の手あそびおもちゃを並べるところから始めて、次第に江戸趣味の玩具になっていったのでは、というご主人の言。昔仲見世には、「助六」さんの外にも「武蔵屋」「伊勢勘」といった江戸趣味小玩具の店が三軒あって、「助六」さんがいちばんの新規参入店であったそうですが、今では、助六さん一軒だけになったのは、寂しいことです。江戸小玩具のお店は、薄利なうえに、商品の種類が多く、小さいので、管理だけでも大変なのだそうです。「助六」という屋号の由来は、浅草寺の辰巳の方角という縁起のいい場所で店をはじめるにあたって、観音様の五臓六腑をお助けしようと思い、そして住まいが花川戸にあったため、歌舞伎十八番のひとつ「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」に登場する花川戸の助六にちなんでのこと。江戸一番の男伊達(おとこだて)、強きを挫(くじ)き、弱きを助ける侠客助六(きょうかくすけろく)さんです。このお店で売っているのは、江戸玩具という小さな玩具=ミニチュア玩具なのですが、小さくて可愛くて、手間だから少々値がはります。小さいから作るのが難しいんだねえ。=狭いお店で写真を撮られると迷惑なこともあって、店内は撮影禁止です。ご主人の撮影許可を得て、その時に写した木村 吉隆さんの写真です。日本の貴重な伝統工芸ですから当然ですね。だから、皇太子殿下、雅子妃殿下もご来店なさったこともあります。さらに国賓として来日したダイアナ妃(Diana, Princess of Wales)や、今、大統領選中のヒラリー・クリントン夫人(Hillary Rodham Clinton=第42代アメリカ合衆国大統領ビル・クリントン氏の妻)も訪れたことがある由緒のあるお店です。それでもって出来た切手がこれ。【年賀切手】 昭和33年用 年賀切手 (犬はりこ)1958年発行http://www.city.okayama.jp/museum/newyear-stamp/s33.html平成19年用年賀50円郵便切手 江戸趣味小玩具「宝珠の猪https://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/hagaki/nenga_hakko/2007/hakko.html 『江戸名所図会』より、浅草寺の節分会 その伝統はいまなお守り続けられ、この日の観音様の境内は、善男善女であふれかえります。このとき、観音様の前に鬼はいないということから、「福は内、福は内」と大きな声でいいながら豆まきをします。だから上の子も、お多福さんのお面を持っているのですね。「福は内、福は内」ですから、桝のなかに於福やお多福豆が入っています。観音様の豆まきの桝には、「福は内」の『福』という字が書いてあるそうです。そして桝には、福が“ますます”増すようにとの願いがこめられているそうです。江戸小玩具がこんなに小さいのは、江戸は享保時代(1716〜36)のこと。八代将軍徳川吉宗公が享保の改革を実施し、贅沢禁止令が出されるご時世に、裕福な町民層が楽しんでいた大きくて豪奢な玩具が御法度になり、できるだけ小さくて精巧な細工を施し、風刺や洒落をきかせた粋な江戸趣味の小玩具が作られるようになったからだということです。3000点ほどの小玩具のなかから、代表的な約200点を厳選してあり、巻末の「浅草仲見世 助六物語」では、ご主人が、関東大震災、東京大空襲という災禍のなかから復興し、暖簾を守り続けてきた約150年間の店の歴史や、今の浅草への思いを語っておられます。 |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
全1ページ
[1]







