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【ファイル7】2006.08.12 地球生活用身体モデル(その2)
「それで、結局、モデルの遺伝子情報は、どうやって入手なさったのですか?」
ノレンくんは、膝を乗り出した。
「それなんだよ。日本では、毎年2月14日に『バンアレン帯の日』って行事があるだろ?『バンアレン帯(地球をドーナツ状に取り巻く放射線帯)』を発見したアメリカはアイオワ大学の物理学者ジェームズ・バンアレン氏は、つい先日の2006年8月9日、91歳で惜しくも亡くなったところだね。この場を借りて、ご冥福をお祈りするよ」
「『バンアレン帯の日』?ちがうよお。ヴァレンタインデーだよ」
「失敬失敬。その日は、チョコレートを女性が男性に贈るらしいね」
「それは、神戸にある、『モロゾフ洋菓子店』が商売のためにでっちあげた風習じゃな」
ドブロクスキー博士が、口を挿んだ。
「お爺ちゃん、チョコレート会社のことに詳しいんだ。スジャータ意外だよお」
「神戸でチョコレートを作っている『モロゾフ』も『ゴンチャロフ』も、ワシの祖父と同じ亡命白系ロシア人が創立した会社じゃからのう」
「へえー。それで知っているんだ」
「その日、私の遺伝子情報採取マシンは、私のモデルを探すために、都会の雑踏に向った。誠実で優しい人間を探すために」
「へえー面白いなあ」
「それで、マシンは、とあるチョコレートを販売している店先に着いた」
「それで?」ノレン君がごくりと生唾を飲みこんだ。
「マシンの内臓カメラが送信してくる画像モニターには、大勢の女性に混じって、場違いな中年男性の姿が映っていた」
「変なのお」
「そうなんだ。変なんだよ。その時の彼は、切実にチョコレートが買いたかったんだ」
「チョコレートなんか、日持ちするじゃないか。なにもわざわざヴァレンタインデーみたいなややこしい日に買いに行かなくても、いいと思うけどなあ」
「しかし、その時彼が食べたかったのは新鮮な生チョコレートだった」
「本当に変なのお!」
「そう、彼は、周囲の女性達から、冷ややかな目で見られていたね。女性たちの視線は明らかにこう語っていた。『この人、もてないんだわ。それで、ヴァレンタインデーに、チョコレートをもらえないもんだから、見栄をはって、自分でチョコレートを買って、貰ったって自慢する魂胆なのね。いやらしいわ。女性の敵だわ』
中には、偶然を装って、肘で小突く意地悪な女性もいた。女性というのは集団になると、とても残酷だからね。彼は夥しい本数の冷酷な視線が体に突き刺さる針のような心の痛みと、執拗な意地悪に身をすくませ、怯え、親を見失った雛鳥のように小刻みに震えていた。手にしっかりと生チョコの箱を握りしめながら」
「生チョコの箱を握りしめたら、体温でとけちゃうよお。かわいそーだねー。みじめだねー。哀れだねー。スジャータ泣けてきちゃうよ」
「そうなんだ。彼はかわいそうなんだ。みじめなんだ。哀れなんだ。周りの冷たい視線に耐え抜いて、レジの行列を見事並びきり、彼は漸くチョコレートを手に入れた。そして、喜び勇んで足早に家に帰った。 まさにそれは奇跡の生還ともいうべき快挙だった。
そして、薄暗いアパートの小部屋の片隅で泣きながら、握りこぶしで溢れ出る涙を拭いながら、おいしいおいしいって、チョコレートを食べたんだ。きっとその味は、ビターチョコよりもずっとほろ苦いものだったに違いない。彼はそれほどまでして、チョコレートが食べたかったんだね」
「いい話だねえ。スジャータ感動しちゃったよ」
「そうかなあ。俺には馬鹿馬鹿しい話に思えて仕方ないけどなあ!」
「ノレン、黙りなさい。あんた生意気よ」
「彼は本当にチョコレートが好きらしいんだな。チョコレート道を極めようとしている求道者なんだ。それは、きっと辛くて長い道のりなんだろう。
私は、躊躇なくマシンに彼の遺伝子採取を命じた。チョコレートの原料カカオには、善良で誠実な人にしか反応しない特別な成分が含まれているんだ。その成分は、眼とろん星人の知性を育むにあたって、必須の栄養素だからね。
そうなんだ。彼は善良なんだ。そして、なによりも、正真正銘の庶民なんだ。マシンは彼の毛髪を一本拝借した。それで私の体のプロトタイプが完成したんだ。
私の話は以上だ」
「庶民なんだ・・・・・」
スジャータちゃんは大きな目を輝かせて遠くを見つめ、歌うように呟いた。
「スジャータ、その人に会ってみたいな!」
「それは無理だろうね。彼がどこの誰かは私にも分からない。私は、マシンが映し出す映像を、内蔵カメラを通して確認しただけだから」
「ふーん。その人、チョコレートが好きなんだね。そうか。そうなんだ・・・・」
スジャータちゃんは自分の言葉の余韻を味わうかのように、うっとりとした表情で微笑んでいた。
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