アトモス部屋

ばたばたしていて、レス、訪問遅れてすみません。

眼とろん星人地球滞在記

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【ファイル7】2006.08.12 地球生活用身体モデル(その2)
 
「それで、結局、モデルの遺伝子情報は、どうやって入手なさったのですか?」
 ノレンくんは、膝を乗り出した。

「それなんだよ。日本では、毎年2月14日に『バンアレン帯の日』って行事があるだろ?『バンアレン帯(地球をドーナツ状に取り巻く放射線帯)』を発見したアメリカはアイオワ大学の物理学者ジェームズ・バンアレン氏は、つい先日の2006年8月9日、91歳で惜しくも亡くなったところだね。この場を借りて、ご冥福をお祈りするよ」

「『バンアレン帯の日』?ちがうよお。ヴァレンタインデーだよ」
「失敬失敬。その日は、チョコレートを女性が男性に贈るらしいね」

「それは、神戸にある、『モロゾフ洋菓子店』が商売のためにでっちあげた風習じゃな」
 ドブロクスキー博士が、口を挿んだ。

「お爺ちゃん、チョコレート会社のことに詳しいんだ。スジャータ意外だよお」

「神戸でチョコレートを作っている『モロゾフ』も『ゴンチャロフ』も、ワシの祖父と同じ亡命白系ロシア人が創立した会社じゃからのう」
「へえー。それで知っているんだ」

「その日、私の遺伝子情報採取マシンは、私のモデルを探すために、都会の雑踏に向った。誠実で優しい人間を探すために」
「へえー面白いなあ」
「それで、マシンは、とあるチョコレートを販売している店先に着いた」
「それで?」ノレン君がごくりと生唾を飲みこんだ。

「マシンの内臓カメラが送信してくる画像モニターには、大勢の女性に混じって、場違いな中年男性の姿が映っていた」

「変なのお」
「そうなんだ。変なんだよ。その時の彼は、切実にチョコレートが買いたかったんだ」
「チョコレートなんか、日持ちするじゃないか。なにもわざわざヴァレンタインデーみたいなややこしい日に買いに行かなくても、いいと思うけどなあ」
「しかし、その時彼が食べたかったのは新鮮な生チョコレートだった」
「本当に変なのお!」

「そう、彼は、周囲の女性達から、冷ややかな目で見られていたね。女性たちの視線は明らかにこう語っていた。『この人、もてないんだわ。それで、ヴァレンタインデーに、チョコレートをもらえないもんだから、見栄をはって、自分でチョコレートを買って、貰ったって自慢する魂胆なのね。いやらしいわ。女性の敵だわ』
 中には、偶然を装って、肘で小突く意地悪な女性もいた。女性というのは集団になると、とても残酷だからね。彼は夥しい本数の冷酷な視線が体に突き刺さる針のような心の痛みと、執拗な意地悪に身をすくませ、怯え、親を見失った雛鳥のように小刻みに震えていた。手にしっかりと生チョコの箱を握りしめながら」

「生チョコの箱を握りしめたら、体温でとけちゃうよお。かわいそーだねー。みじめだねー。哀れだねー。スジャータ泣けてきちゃうよ」

「そうなんだ。彼はかわいそうなんだ。みじめなんだ。哀れなんだ。周りの冷たい視線に耐え抜いて、レジの行列を見事並びきり、彼は漸くチョコレートを手に入れた。そして、喜び勇んで足早に家に帰った。 まさにそれは奇跡の生還ともいうべき快挙だった。

 そして、薄暗いアパートの小部屋の片隅で泣きながら、握りこぶしで溢れ出る涙を拭いながら、おいしいおいしいって、チョコレートを食べたんだ。きっとその味は、ビターチョコよりもずっとほろ苦いものだったに違いない。彼はそれほどまでして、チョコレートが食べたかったんだね」

「いい話だねえ。スジャータ感動しちゃったよ」
「そうかなあ。俺には馬鹿馬鹿しい話に思えて仕方ないけどなあ!」
「ノレン、黙りなさい。あんた生意気よ」

「彼は本当にチョコレートが好きらしいんだな。チョコレート道を極めようとしている求道者なんだ。それは、きっと辛くて長い道のりなんだろう。

 私は、躊躇なくマシンに彼の遺伝子採取を命じた。チョコレートの原料カカオには、善良で誠実な人にしか反応しない特別な成分が含まれているんだ。その成分は、眼とろん星人の知性を育むにあたって、必須の栄養素だからね。
 そうなんだ。彼は善良なんだ。そして、なによりも、正真正銘の庶民なんだ。マシンは彼の毛髪を一本拝借した。それで私の体のプロトタイプが完成したんだ。
私の話は以上だ」

「庶民なんだ・・・・・」
スジャータちゃんは大きな目を輝かせて遠くを見つめ、歌うように呟いた。
「スジャータ、その人に会ってみたいな!」

「それは無理だろうね。彼がどこの誰かは私にも分からない。私は、マシンが映し出す映像を、内蔵カメラを通して確認しただけだから」
「ふーん。その人、チョコレートが好きなんだね。そうか。そうなんだ・・・・」
 
スジャータちゃんは自分の言葉の余韻を味わうかのように、うっとりとした表情で微笑んでいた。



【ファイル6】2006.08.11 地球生活用身体モデル(その1)

 今日も、スジャータちゃん、ドブロクスキー博士、ノレン君がアトモス部屋を訪れた。
 
 部屋に入ってくるなり、スジャータちゃんが私に聴いた。

「眼とろん星人さんは、対象生物の遺伝子を利用して地球人の姿に変容したって言ってたよね」
「そうだね。ゲノムを利用したんだ」
「ということは、地球人の誰かの遺伝子を利用したわけだ」
「よく気がついたね」
「それって、だあれ?」
 私はドブロクスキー博士の顔色を伺った。彼は半眼になって何か瞑想しているようだった。

「その選定に当たっては、いろいろ苦労をしたんだよ」
「じゃあ、教えてよ」
「地球生活用の身体モデルの選定というのは慎重に行わなければならない。それで、私は旧友のウルトラセブン君に意見を聞くことにした」
「ウルトラセブンって、円谷プロが作った『メトロン星人』の出てくる、特撮ドラマのあれのことですか?」
 ノレン君が、驚きの表情も露わに聞き返した。

「ああ、あれはセブン君の実体験に基づいた話だ。少々、セブン君が格好良すぎるけれどね。本当の彼は、結構短気で喧嘩っ早いんだ」
「あの番組に登場する『メトロン星人』は、眼とろん星人さんのように、蛸型ではありませんでしたね」
「それは、番組制作上の都合だろう。蛸の着ぐるみに、人間は入りにくいからね」
「それで、番組では、メトロン星人はウルトラセブンの放ったアイスラッガーで一刀両断。エメリウム光線で爆破されて絶命しましたね」

「セブン君は私と大の仲良しだったし、冗談が好きな奴だったから、悪戯心を起こして気心の知れた私のエピソードを作る際に、そんな話をでっちあげたんだろう。
 メトロン星人が、貧乏臭い木造賃貸アパートに住んでいるという設定は秀逸だったね。セブン君とメトロン星人とが胡坐をかいて、卓袱台を挿んで話すシーンも印象的だった。それから、夕日を背にし、ストップモーションを多用した素敵な決闘シーンは、当該シリーズ屈指のものだ。それがセブン君の私に対する友情の証だと分かって、とても嬉しかった」

「そうだったんですか」
 ノレン君は感心しきりだった。
「それで、私が地球漂着直後に、私の遭遇した事故を知った彼が、ひょっこりと訪ねてきた」

「えっ!ウルトラセブンは、まだ地球にいるんですか?」
「そうなんだ。しかし、これは内緒だよ。彼は一旦、故郷のM78星雲に帰りかけたものの、アンヌ隊員に対する思慕の情が、早い話、未練が断ち切れなくてね。ひっそりと地球に帰ってきたそうだ。
 それで、アンヌ隊員に会いに行こうとしたら、彼女は既に結婚していた後だったんだ。あとの祭りってやつだね。地球人の女って、所詮そういうものだよ。薄情だね」
「セブンさんかわいそー」

「そうなんだ。とても気の毒だった。その時のセブン君は荒れたねえ。エメリウム光線で街を焼き尽くすわ、アイスラッガーで森を根こそぎなぎ払うわ。大騒動だったらしいね。彼から聞いたんだけど」

「でも、そんなニュース聞いたことありませんよ」とノレン君。
「そりゃあそうさ。セブン君は地球のヒーローだし、そんなニュースを世界に配信して、彼の逆鱗に触れたら、それこそ地球の破滅だ。彼は抑止力の埒外にある最終兵器(アルティメット・ウエポン)なんだよ」
「ウルトラセブンって結構悪い奴なんだなあ」
 感に堪えたようにノレン君は唸った。

「セブン君は、自分の地球上での身体モデルを設定するにあたって、ある炭鉱夫の青年の遺伝子を使ったらしいね。
 セブン君がその青年を発見した時、その青年は友人と二人でロッククライミングをしていた。

 そして、事件は起こった。
 青年が滑落したんだ。

 友人と青年はザイルで繋がっていた。命を繋ぐザイルだ。友人は必死で岩にしがみつき持ちこたえようとした。そしてザイルを手繰り寄せ、何とかして青年を救おうとした。しかしハーケンは今にも抜けそうだし、その体勢で二人分の体重を一人で支えるのが無理なことは分かりきっている。このままだと友人を道連れに二人とも転落して死んでしまう。だから、青年は自らのナイフでザイルを切ったんだ。犠牲者は自分ひとりだけで十分だってね。
 実に勇敢な青年だ。セブン君は200m下の谷底に落下していく青年を危機一髪救った。そして、その青年を自分のモデルにしたんだね。それが地球上でのセブン君の姿、諸星ダンのモデルだったんだ」

「それは有名なエピソードですね。テレビシリーズでは第17話『地底GO!GO!GO!』に出てきます。ウルトラセブン=諸星ダンのモデルの青年の名は次郎君です」ノレン君は、どうやらセブン君のファンらしい。

「私はセブン君の話を聴いて早速、山岳地帯にモデル遺伝子採取用マシンを派遣したんだ。別に二匹目の泥鰌を狙おうってわけでもなかったけれど、山にはなにかあるかもしれないと思ってね」

「そこで、なにかありましたか?」

「それが、あったんだ。

 マシンはアイガーに到着した。それは光学マントで遮蔽しているから、勿論、人の目にはつかない。
 折りしも、北壁を一人で登攀していた勇敢な青年の姿を発見することが出来た。
 しかし、彼はその直前に、滑落した友を失っていた。
 時、既に遅しだね。

 彼は必死に歯を食いしばって、最後のオーバーハングを克服したところだった。

 眼前には夢にまで見た山頂が、まるで彼を招くかのように、その威容を露わにしている。彼はその峻厳な光景に、つい先程失った友人のことを想って、涙にくれた。

 その時だ。天から轟音が聞こえたのは。
 それは、ヘリコプターの飛来する音だった。
 ヘリコプターの扉から、するすると縄梯子が垂れてきたかと思ったら、二人の人影が現れた。
 一人は女性で、一人は男性だった。男性はテレビカメラを携えていた。
 女性は山頂に立つと、マイクを握りしめ、頭のてっぺんから抜けるような素っ頓狂な声で喋り始めた。 カメラマンはそれを撮影している。

『みなさーん。私が何処にいるか、分かりますかあー』
 それは知性のかけらも無い喋り方だった。

『ここは、アイガーの山頂です。どうです、驚いたでしょう!』
 体中に自己顕示欲を漲らせた彼女は、まるで勝ち誇ったかのように大袈裟に絶叫していた。私は、彼女の非常識な行動に心底驚いた。

 次の瞬間、私の表情は凍りついた。彼女の背後に、友人の命という大きな犠牲と引き換えに、死ぬ思いで北壁アタック登頂に成功したばかりの、アルピニストが姿を現したから。
 思う間もなく。彼は手に持っていたピッケルを振りかざし、渾身の力を込めて振り下ろした。

 ピッケルは、アナウンサーの頭頂部に突き刺さり、そこから、朱色の鮮血が、ぴゅうぴゅうと、噴水のように迸った。
 当然、彼女は即死だ。驚いたカメラマンは、彼に突進した。
 カメラマンとアルピニストはそのままバランスを失って、縺れながら奈落の底に落ちていった。
 その刹那、ヘリコプターは風に煽られ、山腹に激突し、炎上した。
 それは、あっという間の出来事だった。とても悲惨な光景だった。
 
 私は、その時、地球人には、絶対してはならないことの行動規範が存在しないことを知って、絶望した。

 結局、その日マシンは、モデルの遺伝子は採取できなかった。

 その体験により私は悟った。モデルは庶民が良いんだ。周囲の世界に溶け込めるように。そして、誠実で優しい人間が一番だ。これは、自分の知性を維持するための第一条件なんだ。勇敢に越した事は無いが、それは拘泥すべき条件ではない」
 (その2へ続く) 


【ファイル5】2006.08.05 スジャータ嬢の再訪

 今日は、平和裏にスジャータ嬢の再訪があった。ドブロクスキー博士と新顔を従えて。

 普通の形で私のアトモス部屋に来客があったのは、今回が初めてだ。
 思えば、全く来客が無かった私の部屋に暴走族上がりの眼の覚めるような美女が押しかけたと思ったら、アル中の爺さんが行き倒れるし、人相の悪い借金取りの追い込みやら、黒スーツで高級車に乗ったボディーガードや美人執事の来訪があったのだ。ご近所は、私のことをどう思っているのだろう。考えただけで頭が痛くなる。

「こんちわ」
 スジャータ嬢は、私の悩みを全く知らぬかのように、上流階級特有の天晴れな無神経さで、陽気に挨拶をする。ドブロクスキー博士はすっかり酒気が抜けている。それからもう一人、長髪で丸眼鏡の痩せた神経質そうな青年が挨拶をした。
「はじめまして、こちらの青年はどなたですか」
「弟のジョン・ノレンだよ」
「えっ。ジョン・レノン?高名な音楽家の・・・・」
「違うよお。ジョン・のれん。暖簾に腕押しでまったく人のこと意に介さないからジョン・ノレンなの。
私の弟なんだよ。
 ほんとにノレンたら、暖簾に腕押し、糠に釘、豆腐にかすがい、柳に風、蛙の面に水、馬耳東風、馬の耳に念仏なんだから。そのノレンがね、眼とろん星人さんのことを話したら、ぜひ会わせてくれっていうの。こんなこと、何時もしらっとしているノレンには有り得ないことなのよ。ほら、ノレン、眼とろん星人さんよ。お話なさい」

「わ、本当だ。でも、信じられないなあ。眼とろん星人さん。これからいろいろと質問してかまいませんか?」ノレン君は好奇心に眼を輝かせながら、落ち着き無く聞いてくる。

「どうぞ、ご随意に」
 背後で、ドブロクスキー博士が、鷹揚に頷いていた。
「では、第一問」
「何か、クイズみたいだね」私は苦笑しながら、そう言った。私は彼の示したような若者の一途な好奇心が大好きだ。それにしても、彼の知性の高さには、驚くべきものがあった。彼の姉で、ドブロクスキー博士の教え子で、しかも博士が『利発』というからには、スジャータ嬢も、かなりの知性の持ち主であることが推測される。

 ノレン君は質問を始めた。

「眼とろん星人さんは、自らを地球人の形に体を変身させたということですが、もともとは、どのような形態の姿だったのですか・・・・」
「それはね。どう言ったら良いのかな」
「例えば、地球上の生物で似ているものはありますか?」
「あるなあ」
「えっ、何ですか」
「強いて言えば・・・・」
「強いて言えば?」
「・・・・・蛸だよ」
「タコ?頭足類タコ目で、軟体動物のあれですか」
「うん、その蛸だ」
「じゃあ、昔よく雑誌に載っていた、火星人の想像図と一緒じゃないですか」
「そうなんだよ」
「ふーん。そうなんだ」
 ノレン君は、少し不満顔だった。
「あれは、眼とろん星人と同程度に進化した異星人が、探査中に地球人に姿をみられたらしいんだな」
「・・・・・・」
「それで、恥ずかしい話、私が地球上で最初にコンタクトを試みたのがタコ君でね」
「うまくいきましたか?」
「いくわけないだろ、あんな下等動物に。いきなり墨をかけられて、顔が真っ黒になった」
「あははははは」
「笑うなよ。まさか、あの頭と思える部分が、胴体だなんて、思ってもみなかった」
「それはそうでしょうね」ノレン君は納得したようだ。
「まさか、不細工な二足歩行をするみょうちくりんな生き物が、進化と食物連鎖の最高位に君臨しているとは思ってもみなかった」
「あらあ、スジャータが不細工で悪かったわね」
「いいえ、スジャータちゃんは美人です」

「姉貴はうるさいんだよ」
「ノレン。あんた生意気よ」
「兄弟げんかはやめてくれたまえ」

「それで、地球生物である蛸の胴体に当たる部分が、眼とろん星人さんの頭部なのですね」
「そのとおり」
「じゃあ、そこに脳がびっしりと詰まっているのですか」
「よく分かるね。君の脳は優秀だ」
「お褒めにあずかりまして、光栄です」
「それに礼儀正しい」
「だって、スジャータの弟だよお」
「お姉さんの指導が良いんだね」
「えっへん」
「それじゃあ、地球人も、このまま進化すると、蛸みたいになるのですか」
「それまで種としての寿命があればね」

「こんどはスジャータが聴くね。
 眼とろん星人さんは、そのタコさんみたいな体を、どうやって地球人の姿に変化させたの?」
「一旦、細胞を分解して、どろどろに溶かした状態にして、対象生物の遺伝子情報をもとに細胞・臓器・骨格の順で再構成するんだ。
 地球の昆虫の蝶は、幼虫から『さなぎ』の状態を経て成虫になるね、あの状態を連想してもらえば近いかもしれない」
「へえー。でもさあ、どうやってそんなことできるの」
「ああ、それには勿論装置が必要だ。がしかし」
「しかし?」
「装置は仲間とともに異空間へ消えてしまった。だから、私はその装置を私自身の手で作らなければならないはめになった」
「材料と工具は?」
「それが問題なんだ。素手では、なす術がないからね。
そこで、私はある研究室に忍び込んで、そこの研究員の脳をコントロールし、装置を作成した。装置の筐体に用いる合金はいろいろな金属をそれぞれ別ルートから調達して、研究所で合成した」
「それで、設計図は?」
「私の記憶に頼るしかなかった。ここに写真がある」
 私は、机の引き出しから写真を取り出した。
「なんだか銀色のラグビーボールを半分に切ったみたい」
「身体組織変容再合成装置『さなぎ』のプロトタイプは、両側が滑らかな曲面を描くシンメトリーなフォルム、すなわち完全なラグビーボールの形をしていたんだが、その後、細胞増殖の段階で安定的な浸透圧が保てるよう改良が加えられ、片方の曲面をそぎ落とし、扁平に、よりコンパクトになった。
 片面が扁平な『さなぎ』なので、我々眼とろん星人は、このアンシンメトリーな改良型の『さなぎ』のことを『片平さなぎ』と呼んでいる」
「えーっ。昔そんな名前のアイドル歌手がいたんじゃなかった?後年サスペンスドラマに出たりしているけど・・・・」とノレン君。
「ふーん。偶然だな」
「『片平なぎさ』よねえ。『人を好きになると云うことは体中しみるものね♪』って、少しはにかみながら唄ってた。そうそう名曲『陽だまりの恋』ね。なぎさちゃん可愛くって、スジャータ大好き!」
「おじさん、駄洒落が言いたかっただけなんじゃないの?」
「偶然です!」
「ノレン、口を慎みなさい!眼とろん星人さんに対して『おじさん』てなによ。失礼ね」
「でも眼とろん星人さんの名前をまだ聞いてないよ。僕たちの事を『地球人』呼ぶのと同じじゃないか」
「それもそうねえ。眼とろん星人さんのお名前は、なんて言うの?」
「私という個体を特定するシリアルナンバーみたいなものはあるにはある」
「じゃあ、教えて」
「でもねえ」
「けちけちしないでさあ、スジャータ知りたいんだよお」
「君たちがそこまで言うなら、教えてあげよう。
 ▲×❤♯♧☆♨」
 みんなが耳を塞いで身をかがめた。
「頭が痛いよお。今何って言ったの?」

「君たち地球人の聴覚では聞き取る事は無理だし、君たちの声帯・口腔の構造から発音することはもっと無理だ。従って、今言った私の名前も、地球人の体に変容した私自身が発声したのではなく、録音を流したんだ」

「じゃあ、『眼とろん星』というのは、正しい発音?」
「少し違う。ただ、偶然、これは地球人にも近似した発音は出来る。
 たとえば日本人が税関で渡航目的を聴かれた時に答える『観光=サイトシーイング(sightseeing)』を覚える時、便宜的に『斉藤寝具』と覚えるだろ?
 また、日本に観光に来る英米人が『ありがとう』を覚える時に『鰐=アリゲーター(alligator)』を結びつけるだろ?それと同じ意味において、『眼とろん星』でかまわないんだ。
 ちなみに、眼とろん星では、名前だけではなく、世界に存在するあらゆる素粒子にもシリアルナンバーを付番している。
 そして、そのエネルギーと位置の因果関係を把握することによって、過去と未来の世界をモデリングすることができるんだ」
 それを聴いたノレン君は、身を乗り出して質問した。
「それって、一種のタイムマシンですよね?
 でもさ、不確定性理論によると素粒子の位置とエネルギーというのは、トレードオフの関係にあって、同時に確定できなかったんじゃなかったのかなあ?そのためにプランク恒数というのが存在するんですよね」
「今の地球の科学レベルの解釈ではそうなるだろうね。それが違うんだな。つまり・・・・・」
と言いかけたところで、いきなり「わー」という絶叫がその場を飲み込んだ。
 声の主は、今まで部屋の片隅で眠っていたドブロクスキー博士だった。博士は叫び続けながら激しくコサックダンスを踊っていた。
「お爺ちゃん。お酒がまだ抜けてないの?だめよお」
嘗てオマルハイヤームのルバイヤートそこのけのアル中である博士であったが、現在に至って、体からアルコールが完全に抜けていることは確かだった。

「それで、眼とろん星人さん。あなたの星のこと教えてちょうだい。
 眼とろん星人さんのホームページでは、眼とろん星人は、脳波でもって意思疎通ができるって書いてあったわね。その方法と原理はどうなっているの?」
「それはね・・・・・」
「あーら、えっさっさー」
 今度はドブロクスキー博士は叫び続けながら東京音頭を踊りだした。

 ドブロクスキー博士は明らかに知っているのだ。
 そしてノレン君の明晰な頭脳をもってすれば、私がこれ以上喋ったら彼にも理解できると判断したのであろう。これは、博士の『これ以上地球の文明に介入するな』という警告なのだ。私は彼の真意がよく理解できた。

「スジャータちゃん。物事を知るには、正しい順序というものがあるんだ。
 幸い、君たちには、ドブロクスキー博士という地球の良心と知性を代表する人物がついているじゃないか。しっかりと博士に基礎から教えてもらいなさい」
「ちぇっ、詰まんないの。そう言って、本当は眼とろん星人さんも知らないんじゃないの」ノレン君が、口を尖らせて抗議した。
「かもしれないね」
「偽者だったりして」
「かもね」
「ノレン、なんて事いうのよ。失礼じゃない。あんた生意気よ」
 
 ドブロクスキー博士は、私に向かって柔和に微笑みながら、頷いている。私の地球滞在もそんなに悪いものではないなと思った。


【ファイル4】2006.08.01 ドブロクスキー博士の来訪

 ちょくちょく遊びに来ると言っていたスジャータちゃんは全く顔を見せない。私にとってそれは良いことなのだが、少しばかり寂しくはある。
 一方、私が心待ちにしているドブロクスキー博士からも何の音信も無い。老人のことだから、酔った時のことはすっかり忘れてしまい、連絡先のメモも無くしてしまった可能性が大きいのである。
 それにしても、上質な知性との会話は、何ものとも替えがたい幸せなひと時を約束してくれる。そのような幸せはこの地球では味わいえないものと諦めていたから、彼の存在は私にとってかけがいのないものなのだ。

 そうこうしているうちに、時は経っていく。
 そして、今日の午後、ドブロクスキー博士が我が『アトモス部屋』を訪れた。ひとまずこのことを皆さんに喜びとともに報告したい。

 いつものように喫茶店で暇を潰した後、私は『アトモス部屋』でくつろいでいた。すると、ドアにドサリと何かがぶつかる音がする。私は驚いて、ドアを開けようとした。
 しかしながら、ドアがとても重たくてなかなか開かないのだ。それを無理に開けようとすると、なにか重たいものをずるずると引き摺る音がする。見ると、床にまごうかたないドブロフスキー博士その人が倒れていた。頭上には人差し指を伸ばした右手が高く掲げられている。
 まるで『天上天下唯我独尊』と言いながら生誕したお釈迦様のようなそのポーズは、部屋にたどり着いてインターフォンのボタンを押そうとしたところで力尽きたことを雄弁に物語っていた。まさにそれは壮絶な遭難悲話といった様相を呈していた。ああ、おいたわしい。彼ほどの知性がこのような姿で打ち捨てられているのである。私はここにおいて落涙を禁じえなかった。
 体全体から発せられるアルコール臭から、博士は相当きこし召されているご様子だ。
 私は博士の両脇に手を差し入れ、死体を引き摺るようにして博士の体を部屋に招じ入れた。空のポケット壜が乾いた音を立てて床に転げ落ちた。

 ソファに横たわった博士が眼を覚ましたのは夕方前だった。

「おや。ここはどこじゃな」
「お目覚めですね。こんにちは。『ここはどこか』とはご挨拶ですね。博士が自らの意思で来られたアトモス部屋ですよ。私は住人の眼とろん星人です」
「それは失敬失敬。とんだご無礼をつかまつった。うーん」
 博士は首を左右に振ると、大げさに伸びをした。まるで、照れ隠しのようなその挙動はとてもほほえましく、好ましいものだった。
「ああ、思い出した。実はのお。ご覧のとおり、私は一瞬たりとも酒が切れることが無い。ということは、必然的に酒代が嵩むということじゃ。こう見えても、ワシは今まで取った特許料やら何やらで、そこそこの貯えはあったのじゃがな。それとても無尽蔵ということではない。
 飲み屋のツケが貯まり、金策極まってサラ金なる高利貸しに手を出したのが失敗の元。連日の取立てに耐え切れず、思案投げ首。せめて小銭なぞ残っておらんかとポケットをまさぐっておったらのう。みょうちくりんなメモを見つけたのじゃ」
 そう言いながら、博士は懐から私があの時渡したメモを取り出した。
「第一、『アトモス部屋』などという飲み屋には馴染みは無い。そうこうしているうちに、『眼とろん星人』と名乗る、貴公の端正な面立ちに心あたってなあ。それで、藁をもすがる思いでここへとおとなったわけじゃ。ただ一回の邂逅で厚かましいお願いは重々承知の上、身寄り頼りのない哀れな老いぼれじゃ。袖振り合うも多生の縁。しばらくの間、ほとぼりが醒めるまで、匿ってくれまいか」
 それは私にとっても望外の話だ。私は博士の要請を即座に快諾した。

 私が博士と愉快に歓談していると、ドアの外でだみ声が聞こえる。
「もしもし、ドブロクスキーさん。ここにいることは分かっているんですよ。出てきなさい」最初は丁寧な口調だったが、だんだんと語気が荒くなっていく。
「おい、聞こえてるんだろ。やい、出て来い、アル中。ドブロクスキー」
 声の主は大音声で叫びだした。
 とその時、にわかに人が争う気配がした。

「アンタなによー。人のうちの前で大声出して、迷惑じゃないのよ」
 その女性の声には聞き覚えがあった。

 スジャータちゃんだ。

「ねえちゃんこそ何だ。関係ねえだろ」
「おおありよ。私は今、ここんちに用があるの。どきなさいよ。邪魔ねえ」
「用ならこっちが先約だ。痛い目に会わないうちに帰りな帰りな」
「あら、ご挨拶ね。痛い目に会うのはどっちかしら」
 
 これは一大事だ。私はスジャータちゃんのことが心配になって思わずドアを開けた。

 スジャータちゃんはニコニコ笑いながら、ウインクをして私に手を振っていた。
黒いスーツを着た屈強な男が明らかにその筋の者らしい借金取りの腕を捩じ上げていた。それは、テレビで見かけたことのあるプロの格闘家だった。
「アンタさあ、用立てなきゃなんないお金って一体いくら」
 借金取りは、苦痛に呻きながら、結構な金額を言った。
 スジャータちゃんは、いつの間にかあらわれた、プルシャンブルーのスーツを着た、知的な風貌を持つ女性から小切手を受け取ると、馴れた手つきでサインをし、取立人の鼻先に突きつけた。
「これで文句ないでしょ。さっさと消えてよ」
「まいどあり。またのご用命を」
 彼は揉み手をしながら小切手を受け取ると、腰を押さえ足を引き摺りながら帰っていった。それを見守る黒スーツの無表情さが不気味だった。隣室のドアが少し開き、すぐに閉じられた。
 スジャータちゃんは、それを見届けると私の前を素通りして、アトモス部屋に駆け込んだ。

「メーターお爺ちゃん?」
 博士はスジャータ嬢の姿を認めると大きく眼を瞠って、両手を広げた。
「おお、スジャータちゃんではないか。大きくなられて」
「えっ。二人は知り合いなんですか」
「そうなの。私に『スジャータ』ってニックネームを付けたのはメーターお爺ちゃん。私の家庭教師だったの」
「そうじゃそうじゃ。この子はとても利発でかわいいお子さんでな。私が連日連夜の実験・研究で疲れ果てていたとき、自分の大好物のヨーグルトを、『はい、お爺ちゃん』と言ってご馳走してくれたんじゃ」
「正確に言うと、ご馳走できなかったけどね。だって私、毛足の長い絨毯に足を引っ掛けて転んで全部こぼしちゃったから。それで、私は泣き出すし、使用人は掃除を始めるし、お母さんは絨毯を汚したって怒るし、お父さんは、私がまた博士の研究の邪魔をしたって怒鳴るし」
「あの時は大騒動だったのう」
 くしゃくしゃに相好を崩した博士の眼には涙が光っていた。
「実はねえ、前回のアトモス部屋読んで、メーターお爺ちゃんのことが出ていてびっくりしちゃったの。それで、いつか、お爺ちゃんがここに来たら、会いに来ようと思って、ずっと人に見張ってもらっていたの。それで、連絡をもらってここに来たら、大変なことになってるじゃない。お爺ちゃん、一体どうしたというの」
「面目しだいも無い」
 博士は私に話したことの顛末をスジャータ嬢に説明した。
「それにしても、どうして急にいなくなっちゃったのよ。眼とろんさん、お爺ちゃんたら酷いのよ。私が中学に上がる頃、急に蒸発しちゃうんだから」
「申し訳ない。よんどころのない事情ができてな」
「みんな心配して探したのよ。私がグレた責任の一端はお爺ちゃんにあるんですからね。お父さんなんか、我が家の大切な恩人になにか無礼なことをしたんじゃないかって、おろおろしてたんだから。弟なんか泣き止まずに困ったんだから」
「本当にすまんことをした」
「だからね。今日から、また家に帰ってきてちょうだい。お爺ちゃんのお部屋や研究室はあの時のまんまだから」
「いや、それだけの迷惑をかけた以上、皆さんに会わせる顔がありませぬ」
「だって、眼とろん星人さんの家にごやっかいになったら、ご迷惑じゃない」
「いえ、私はかまいませんけど・・・・・。」と言いかけたら、スジャータちゃんに怖い顔で睨み付けられた。
「そういうことだったら、博士はスジャータちゃんのお屋敷に帰られたほうが良いのではありませんか」 私は、そう言うとスジャータちゃんの様子を横目で伺った。彼女はにこにこと頷いていた。
「そうよ、そうしなさい。善は急げよ」
 そういいながら、スジャータちゃんは黒スーツのボディーガードからフルフェイスのヘルメットを受け取り、博士に手渡した。
 まごついている博士の頭に、すっぽりとヘルメットを被せたスジャータちゃんは自分もヘルメットを被ると、背中をどやしつけながら外へと博士を追いたて、オートバイの後部座席に座らせた。
 
「お爺ちゃん、しっかりつかまって頂戴ね」
 長い足を回し蹴りのようにして座席に跨ったスジャータちゃんがそう言うと、オートバイは轟音一閃、前輪を浮かせて奔馬のごとく疾走した。ヘルメットを被り、女性の背にしがみついた老人の後姿は、少々情けないものがあった。
 黒塗りの高級乗用車がその後を追った。

 あっけにとられた私は、疲労でその場に崩れるようにへたりこんだ。
 全く大したしたお嬢さんだ、スジャータ嬢は。

 
【ファイル3】2006.07.30 ドブロクスキー博士との邂逅

 疾風のようなスジャータ嬢の来訪から、しばらく私は茫然自失としていた。

 それにしても、地球人の女性というものは恐ろしいものだ。
 私たち眼とろん星人には、生来、他者の知性を測定する能力が備わっている。ところが、その能力が、地球人の美女に限っては無効となることは極めて不思議なことだ。ことにあのスジャータ嬢においては、その傾向が顕著になる。果たして、彼女には知性なるものが存在しているのであろうか。もちろん、そのへんをうろついている犬猫や、動物園の猿などはある程度の測定ができるのであるから、彼女の知性がゼロというわけではないはずだが。

 最近の私は散歩がてら、地球人の知性について調査することを日課としている。
 先述の理由から、知性が測定できるのは、美女のカテゴリーから逸脱する女性、ないしは男や子供、老人などだ。散歩に疲れると私は喫茶店でメイプル・ティーを飲みながら休息をとる。このひと時が私にとって至福の時間だ。
 大判の雑誌のページをゆっくりとめくりながら、店先を行きかう通行人を観察する。大概は普通の社会生活を慎ましく送っている一般人だ。私には彼等の姿が一番近しく、好ましいものだと思える。
 テレヴィジョンという一方通行のメデイアには、自己顕示欲で肥大し、押し付けがましいスローガンを棍棒のように振り回す化け物のような人間が百鬼夜行している。夜の繁華街の客引きのように、ザッピングで通過しようとしている視聴者の足を引きとめようと、口角泡を飛ばして泣き叫び笑い、あるいは不必要に神妙な顔で、この世の一大事を語りかける風を装っている。
 馬鹿な連中が馬鹿なことをしでかすのは、同義反復であるから私には少しも気にかからないのだが、私にとって残念なことは、その傾向が街を行く一般人にも感染しているということだ。

 それは、事件が起きる度に、一般人が街頭インタビューで待ってましたとばかりに愚にもつかない意見を大根役者の身振り手振りで得々と話す様を見ても分かる。
 その意見はその放送局が大衆に押し付けたがっているステロタイプの意見か、さもなくば、それに反対する人間はどれだけ品性下劣であるか知らしめるための予定調和的な傍証として用いられている。

 彼らは一体何が不安で、何を確認したがっているのだろう。

 そう考えていると、何やらヒートアップした調子の会話が私の耳に飛び込んできた。
「それで、親権を家庭裁判所で争っているんだけど、子供にどっちに行きたいか聞かなきゃなんないの」
「ふーん。そうなんだ」
「離婚も大変よね」
「それで、彼ったらね・・・・」
 それから、ついこの間まで夫だった男の悪口が延々と続くのだった。
私は含みかけたメイプルティーを噴出しそうになった。
 声の主は隣席の20代後半とおぼしき女性二人だ。
 地球人には離婚という愚かしい風習があるようなのだ。それについては、長くなるのでここでは論じないが、そのようなプライベートな話題をオープンスペースで話されると、私達眼とろん星人は、ぎょっとするのだ。

 私は彼女たちの肥大した欲望の波動によって、しばらく思考を攪乱された。

 彼女たちの深刻にもかかわらず、どこか他人事のような会話は結局小一時間程続いた。

 彼女達が店を出た頃には、私は疲労困憊していた。私は聴覚に施錠をほどこし彼女たちの会話を遮断したが、二人の心の奥から噴出する感情のうねりの急襲は防ぎようがなかった。
地球上ではこのような他人の通り魔的な感情の噴出によって、私の繊細な感受性が痛めつけられるということが頻繁に生じるのだ。

 私は、さすがにぐったりとして、そろそろ店を出ようと思い立ち上がりかけた。

 まさにその瞬間だった。背中にただならぬ気配を感じたのは。
 私は驚きとともに、ゆっくりと後ろを振り返った。そこには白髪の老人がテーブルに肘を突いて座っていた。眼を瞑った赤ら顔は、あきらかに西洋人の風貌をしており、よれよれの垢じみたシャツは、所々ボタンが外れていた。明らかに老人は泥酔しているのだった。
 老人の皮膚から蒸散されるアルコールが陽炎となって、背景を揺らめかせている。
 私は直ちに彼の知性を値踏みした。
 ところが、驚嘆すべきことに、泥酔による意識の混濁で形成されている暗雲の切れ間から漏れ出す曙光は、紛れもない最上質の知性のみが発する光だったのだ。それは、明らかに意図的に、その知性をカモフラージュするための泥酔状態だった。
  私は不躾を承知で彼の座っているテーブルの反対側の席に腰掛け、老人に話しかけた。
「すみません。少しばかりお話をさせていただきたいのですが・・・・」
老人の頭が前のめりに傾ぎ、テーブルに頭を打ち付けんばかりの姿勢から持ち直し、大きく旋回してふんぞり返った姿勢になった。
 老人は3回ほどしゃっくりをして、つばを飲み込み半眼を開けた。
 その刹那、老人の眼光が鋭く私を捉えた。間違いなく彼は天才だ。私の確信は揺らぎの無いものとなった。
 しかしその知性の光は、物音に驚いた鳥のように瞬時に暗雲の影へと飛び去っていった。あきらかに老人は私の存在に狼狽していた。
 老人は泥酔の不快感に名残りを告げるかのようにゆっくりと口を開いた。
「どなたじゃな、ワシのような老いぼれの酔っ払いの話を聴きたいという物好きは」
「私がどのような者か、ご存知のはずですが」
「確かに。大体のところはな。貴方は常人離れをした人物とお見受けするが、どこか遠方からいらした客(まれびと)かな」
「ご明察のとおりです」
「それで、なにやら込み入った事情から、ここにいることを余儀なくされたのじゃな」
「そこまでお見通しとは、恐れ入りました」
「一見したところ貴公は、こんなところにいるべき人間ではないからな。もっとも、人間と申し上げて良いかどうかは別として・・・・。それ以上の詮索はワシはせぬ。他人との関わりはまっぴらじゃからな」
「貴方こそ、その知性に相応しい地位と名誉と賞賛と敬意が付与されてしかるべき方でしょう」
「地位と名誉と賞賛と敬意じゃと。くだらん。まったくくだらん。そんなものは犬にでもくれてやれ。
 ワシはメートル=イラチッチ=ドブロクスキーと申すものだ。ワシの一族は祖父の代に白系ロシア人として日本に亡命してきた。祖父は帝政ロシア政府の有能な高官だった。
 日露戦争後、共産党勢力すなわち、赤色ロシアが勢力を拡大し、それに抵抗する帝政ロシア側の皇族・貴族・高官すなわち、その当時のロシアの知性とも呼ばれるべき人たち、所謂白系ロシア人は度重なる迫害を受けた。
 そしてあの赤色革命だ。あれは酷かった。なにしろロマノフ朝の方々は一族すべて、愛犬まで含めて全員アカに虐殺されたからな。そのような愚劣極まりない蛮行が、科学を僭称するマルクス主義の名の下に行われたものなのだから、笑わせるじゃないか。全体、科学とか理性とかがしゃしゃり出てくると、決まって人間は残虐非道になるものだ。その結果は見てのとおりだ。歴史が実証しておる。
 祖父は当時まだ子供だった父を伴って、作曲家のプロコフィエフと同じ船に乗って日本に来た。プロコフィエフはアメリカに渡り、祖父はこの地に留まった。みんなとても暖かく迎えてくれたからだ」
「戦争の時は、さぞかしご苦労をなさったでしょう」
「確かにな。しかし、そのことは言うまい。アカのスターリンが中立条約を交わした日本に対してやった火事場泥棒のことを考えると、心が痛む。特に満州や千島樺太でやったこととか、戦争終結後の日本兵シベリア強制連行のことなどだ。それにしても、どうして日本の連中は、国際法違反の戦争終結後の捕虜強制連行の事を『抑留』と言い換えて誤魔化すのじゃな。
 ただ、ワシ達がワシ達を迫害したアカの連中と同一視され、憎悪の対象にされたことは、とても辛かった。
 大東亜戦争敗戦後、GHQによるパージで屈折した反米感情と、独裁政権に一般的に見られる黎明期ソ連の目覚しい経済発展に勘違いした日本知識人の連中は雪崩をうって社会主義、共産主義思想のもとに走った。ワシのことを面と向かって『露助』と罵倒し、石を投げた連中がじゃ。てきめんに馴れ馴れしく声を掛けてきよってな。ワシを罵倒し石を投げたことよりも、その変わり身の早さのほうがよほど軽蔑に値するわい。何が進歩だ革新だ。へそで茶を沸かすわ。地位と名誉と賞賛と敬意なら、そのような下種な連中でも手に入れることができる。そんな下らんもの、ワシは唾棄する。

 それ以来、結局ワシに残された抗議の手段は沈黙しかなかった。ワシは既に父の代で日本に帰化しているからして、日本人じゃ」

 老人の話がまともだったのはここまでで、話し続けるうちに支離滅裂になっていき、執拗に私に絡みだした。
 私は老人を宥めるのに苦労した。店の者も、迷惑だから出て行ってほしいと言い始めた。
家まで送ろうと申し出たが、それは謝絶された。
 私は自分のことを眼とろん星人と名乗り、老人のことをドブロクスキー博士と呼ばせてもらうことを許してもらった。私はアトモス部屋の住所と連絡先を書いた紙を博士に渡し、再会を約した。ただ、彼が泥酔状態にあるだけに、その約束はとても心もとないものだった。博士の存在が、この地球で私が生活していく上で、とても貴重なものになるであろうことは明白だった。
 博士の千鳥足の後姿を見送りながら、地球人の上質な知性に対する恩知らずな扱いを目の当たりにして、私は激しい憤りを感じた。

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