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ばたばたしていて、レス、訪問遅れてすみません。

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【ファイルF48】2011.06.26 大阪の老舗洋食屋さん北極星だよ

元祖オムライスのお店だねえ。

 以前、オムライス発祥の店ということで、銀座煉瓦亭をご紹介したことがあります。

 銀座煉瓦亭の記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/50343534.html


 東京銀座の煉瓦亭が明治34年から売り出した元祖オムライスの中身は卵かけご飯風のとろみのあるライスを卵でくるんだようなオムライスです。

 一方、ポピュラーなピラフを卵でくるんだ形のオムライスの元祖が大正15年に、ここ大阪心斎橋の北極星が生んだオムライスなんだって。

 つまりどちらともオムライス発祥の店だということです。

 なぜオムライスが洋食の代表的な料理かというと、昔、卵は高価で贅沢な食べ物だったからですね。


 難波からほど近い宗右衛門通り商店街のさらに西の路地に入ったところに北極星はあります。

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 サウナや帝国ホテルやらお米やさんやら、なんでもありの通りです。

 東京有楽町の帝国ホテル付近とえらく雰囲気が違うねえ。これが大阪らしさなのかな。

 わ〜い着いたよ!

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 北極星のお店は、洋食屋らしからぬ和風の建物で、町家風の佇まいです。

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 看板の横に灰皿が置いてあります。

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 ここは、喫煙するお客さんのための喫煙場所なはずですが、明らかにすぐ北にあるアメリカ村から流れてきたと思われる3人のヤンキーのお兄さんが煙草をぷかぷかやっていて、どいてくれそうもないので、撮影は諦めて、写真は食事を済ませた後、店を出てから撮りました。

 やれやれ。

 暖簾がかかっています。

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 『西洋御料理 味に輝く北極星 オムライス発祥の店』です。

 ロゴはPの字に『北』のデザイン。
 『Pole star』または『Polaris』のPかな?

 白壁と木の柱と照明が綺麗だねえ。

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 銭湯のような下駄箱に履き物を入れて、木製の下足札をとります。

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 下足札を無くすと帰れなくなるから注意してね。

 中庭の日本庭園が綺麗だねえ。

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 純和風のりっぱな佇まいのお店なので、女将さんに『もともとはどういう建物だったのですか』って尋ねたらば、この建物は、昔は高島屋の寮だったそうです。

 それで、古くて立派な建物なんですね。

 広い座敷に案内されます。

 畳敷きの部屋に座卓が並べられ、座布団が敷いてあります。


 チキンオムライス690円に370円をプラスして、エビフライとお味噌汁の付く
セット1060円也にしました。

 それでもって、チキンオムライスセットが到着。

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 お味噌汁がついているねえ。日本人は味噌汁だねえ。

 オムライスのアップ。ソースの照りが良いねえ。

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 観ての通り、卵はきめ細かいふわふわしっとりです。お寿司屋さんの卵みたいな感じもします。

 以前ご紹介した東京日本橋の『たいめいけん』のようなトロトロ感は押さえてあります。
 『たいめいけん』の記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/50473227.html

 中身はこんな感じ。

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 中のライスはケチャップまみれではない薄味スープの味がする上品ピラフです。
 チキンの塊はジューシーです。

 タマネギ等が煮詰めてある、こくのあるトマトソースと絡めて食べるので、ライスは出しゃばらないのが正解です。

 普通の洋食屋さんのオムライスより、上品なお味です。関西の薄味文化が洋食にも影響しているのかな?

 付け合わせのお寿司屋さんにあるような紅ショウガがアクセントになります。

 カレーに付いている福神漬けみたいなものかな?これが不思議と合います。

 セットのエビフライがからっと揚がったカリカリの薄い衣です。

 タルタルソースが良く合うねえ。

 上品な串カツのような食感で、ぷりぷりのエビの身が美味しくて、尻尾まで香ばしくて美味しいのです。

 セットのわかめの味噌汁が落ち着くねえ。

 ということで、ごちそうさまでした。

 味の肥えた大阪商人の舌に鍛えられた西洋料理だねえ。

 外に出て、空を見上げたら、変な看板が。

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 岡本商會だから、お顔が『O』で前髪が『m』なのかな?
 でも、いくら岡本つながりだからって、顔のデザインは岡本太郎さんの太陽の塔を思いっきりパクっているのはいかがなもんだろうかねえ。

 大阪千里の万博記念公園の太陽の塔(再掲)

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 このへんが、いかにも大阪なんだろうけどねえ。

 久左衛門商店街って書いてあるねえ。

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 こういう狭い路地があるのは歴史がある証拠なんですよね。

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 ということで、楽しい大阪の美味しいオムライスでした。





【ファイルF47】2011.06.04 新宿中村屋本店のインドカリーだよ

インド独立の闘志ビハリ・ボースさん直伝インドカリーが日本における本場カリーの草分けなんだねえ。

 新宿の老舗カレー店に中村屋さんがあります。

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 中村屋さんは支店も沢山あるし、レトルトカレーも売っているねえ。

 それで、新宿中村屋本店2階のインド・カリーレストラン『ルパ(REPAS)』に行きました。

 ルパに行くにはエスカレーターを利用します。

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 お店に入るとボーイさんが席に案内してくれます。

 すぐにお姉さんがお水を持ってきてくれて、オーダーを取ってくれます。

 インドカリーのセット2,131円也を注文しました。

 右側のテーブルには、年配の作家と編集者2人といった感じのグループで、左側のテーブルは、お姉さんのオーダーで聴かれる前に、てきぱき完璧に注文するいかにも常連のお父さんでした。

 いかにもといった感じです。

 こういう雰囲気はなんか居心地が悪いのですが、カリーのためにはがまんがまん。


 まず、出てきたのが、洋食の正しい、シャキシャキでよく冷えたフレンチドレッシングサラダです。


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 それでいよいよ、インドカリーの到着です。

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 薬味や粉チーズがついています。

 正しくカレーのポットにルウが入っています。

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 スパイシーな純インドカリーです。

 骨付きの鶏肉は軟らかく繊維がほぐれます。チキンの旨味がルウににじみでていて、ライスに絡んでとっても美味しいねえ。

 奥の小皿に骨を入れるようになっています。

 粉チーズをいれると、味に更に『こく』が出ます。

 大きなジャガイモさんが、ホクホクしています。やっぱりカレーにはジャガイモさんが入っていないとねえ。まろやかさが出ないからねえ。


 食後のマンゴージュースは甘くてトロ〜リ。

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 ラッシーと同様、このとろみが口に残ったカレーの辛みに絡みついて流してくれます。

 お水が少なくなったら、すぐに注ぎ足してくれるのも嬉しいねえ。

 日本における、さらさらの本格派インドカレーの味の基準というか、教科書的存在がここ中村屋のインドカリーです。

 それは、ここ中村屋の沿革をひもとくと、よく分かります。
 

 実は、ここ中村屋のカレーには、近代インドの独立の闘士ラス・ビハリ・ボースの魂が脈々と流れているのです。

 ラス・ビハリ・ボースさんの肖像。

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 イギリスの植民地支配を受けていたインドの独立といえば、マハトマ・ガンジーやチャンドラ・ボーズが有名ですが、もう一人のボーズ=ラス・ビハリ・ボースの存在を抜きにしては語れないのです。

 中村屋ホームページから引用してみましょう。
http://www.nakamuraya.co.jp/curry_room/room_01.html

◇ ◇ ◇ ◇

 ラス・ビハリ・ボースは明治19年、インドベンガル地方に生まれました。英国の植民地として圧政に苦しんでいた祖国を救おうと、16歳の時親元を離れ独立運動に身を投じます。

 しかし、インド総督への襲撃をきっかけに、英国政府から懸賞金をかけられ、大正4(1915)年、日本に亡命します。

 一方、日本では、アジア開放運動の志士を守ろうという動きが民間で高まっていました。しかし、日英同盟を結んでいた日本政府は、ボースに国外退去を命じます。

 このような日本の外交に反発したのが頭山満(とうやま みつる)、犬養毅(いぬかい つよし)、寺尾亨(てらお とおる)、中村弼(なかむら たすく)などそうそうたるメンバーでした。

 また、中村屋の創業者相馬夫妻もこれを新聞上で承知し、志士の身の上を気の毒に思っていました。そしてある日、店に立ち寄った中村弼に、相馬愛蔵(そうま あいぞうは「店の裏の洋館なら彼を匿えるかもしれない」とふともらします。

 この一言が頭山に伝わり、中村屋のアトリエでボースを匿うこととなったのです。

 その後ボースは4ヵ月半中村屋のアトリエで過ごします。中村屋には外国人を匿うのに都合の良い条件が揃っていました。

 部屋がたくさんある、人の出入りが多い、外国人の姿も珍しくない、愛蔵の妻、黒光(こっこう)が英語を話せるなどです。

 しかし何よりも大きかったのが、家中の人みんなの心がボースを匿うことで一致団結していたことでした。

 中でも大きな存在だったのが相馬夫妻の娘俊子です。

 俊子は、イギリスからの追及が厳しさを増し、中村屋を出なければならなくなったボースに嫁ぐことを決意、行動を共にし、支えたのでした。

 ボースは相馬家の人々の温かさに触れ、いつしか肉親以上の親しみと敬慕の念を持つようになります。
 
 そして大正11(1922)年、ついに日英同盟の破棄により英国の追及が終了。

 ボースは、翌年には日本に帰化、また中村屋の役員を務めるようになります。しかし平和な日々は長くは続きませんでした。大正14(1925)年、逃亡生活の心労がたたり、俊子が亡くなってしまいます。28歳の若さでした。

 自分を支えてくれた人を幸せに出来なかった・・・。ボースの無念は計り知れないものだったに違いないでしょう。

 このように相馬家に強い愛情と感謝を抱いていたボースは、昭和2(1927)年中村屋の喫茶部開設時に一番の恩返しをします。それは純印度式カリーの紹介でした。

 大正末、百貨店の新宿進出に中村屋は少なからず脅威を感じていました。

 また、以前から馴染み客より「買い物の時一休みできる場所を設けてほしい」との要望が上がっていました。そこで愛蔵さんは喫茶の開設を検討。

 しかし喫茶のような丁寧なお客扱いは容易には出来ないだろうとしり込みしてしまいます。

 それを聞いたボースは、相馬家へのお礼のため、また、祖国インドの味を日本に伝えるため、インドカリーを名物料理にした喫茶部をつくろうと提案します。

 そして昭和2年(1927)、喫茶部を開設。同時に、日本で初めての純印度式カリーが発売されました。

 ところが、ボースが作ったのは本場のインドカリー。

 お米はインディカ米を使用し、スパイスの強烈な香りが漂います。またお肉も日本人が見慣れない骨付きのゴロっとした大きな鶏肉。

 初めはその異国の料理に日本人は戸惑いをかくせませんでした。そこで相馬夫妻はお米をインディカ米のようにソースが浸透し、なおかつジャポニカ米のようにモチモチ感がある白目米にします。


 それでも、しばらくするとお客様が骨付き肉やスパイスの香りにも慣れ、次第に売上が伸びていくようになりました。

 当時一般のカレーが10銭から12銭程度でしたが、中村屋のカリーは80銭。それにも関わらずと飛ぶように売れたそうです。

 こうして、純印度式カリーは中村屋の名物料理になりました。そこにはボースの、祖国に対する愛情、相馬家に対する感謝があったのです。

 (中略)

 ラス・ビハリ・ボースは昭和20(1945)年1月21日、インドの独立を見ることもなく亡くなり、ボースと俊子の長男、正秀も日本陸軍戦車隊の一員として沖縄戦を戦いこの年6月に戦死します。

 また、チャンドラ・ボースも8月19日、台湾上空で航空機事故に遭い共にインド独立を見ることなく亡くなります。

 2人のボースが一生を捧げたインドの独立は2年後の昭和22(1947)年、インド国民の蜂起により果たされました。

 ◇ ◇ ◇ ◇

 このように、中村屋のインドカリーの味は、暖かい日印の交流の結晶なのですね。


【注意】

 中村屋とビハリ・ボーズに関連した著作として、

『中村屋のボース―インド独立運動と近代日本のアジア主義』中島 岳志 (著)
がありますが、これは私としては全くお勧めできません。

アマゾンの紹介では、

 内容(「MARC」データベースより)1915年日本に亡命したインド独立の闘士ボース。新宿中村屋に身を隠し、極東の地からインド独立を画策する。アジア主義と日本帝国主義の狭間で引き裂かれた懊悩の生涯。「大東亜戦争」の意味とナショナリズムの功罪を描く。

 ↑とありますがこの本が食わせもののトンデモ本なのです。

 これは、保守の皮を被った成りすまし左翼のプロパンダ本で、インドの解放のため国を追われ、日本で独立運動を続けたボーズさんと、中村屋の相馬家との温かい交流をダシに、頭山満、犬養毅、寺尾亨、中村弼、大川周明、内田良平、宮崎滔天等、アジアの独立のために彼を支援した人々や日本国を糾弾しています。


 というより、戦時中の日本を糾弾するのが目的の本で、これは、ドキュメンタリーの風上にも置けないルール違反で、取材に協力した中村屋さんに対しても、とても非礼な内容です。


 この中島 岳志という人は『同じ穴の狢(むじな)』という言葉が余程好きなようで、日本の半島大陸における歴史を無視して「インドを支配したイギリスも半島大陸を侵略した日本帝国主義も同じ穴の狢(むじな)」という自分の言いたいことをボーズさんを腹話術の人形代わりにして語らせているんですね。
 
 本書の出版当時に、中村屋本店のレジに本書が展示されていましたが、さすがに今は撤去されています。

 こんな本が大佛次郎賞論壇賞、アジア太平洋賞「大賞」同時受賞だって!

 日本って本当に大丈夫?買って読んで損したよ!







【ファイルF46】2011.05.12 両国の『天亀八』の特上かき揚げ丼セットを食べたよ

さくさくかき揚げは美味しいねえ。

 これも以前両国に行った時の記事なのですが、あまり古くなると良くないので、先に載せますね。

 ↑
 ※)こう言ってUPして調べたら、現在老朽化した店舗を建て替え工事中のようです。
   未確認情報ですから直接ご確認いただきたいのですが、どうやら、来年6月頃営業再開予定みたいです。
   そのあたりをお含みの上、記事をお読み下さいね。

 このあと浅草に行くつもりだったので、浅草の天丼でもと一瞬思ったのですが、あっちの名店は並ぶし、座ってから出てくるまで待たされるので、手軽にお昼をといった感じではありません。

 それで、以前食べて美味しかったお店をリピートすることにしました。

 江戸東京博物館東側すぐ近くにある天ぷら屋さんの『天亀八(てんかめはち)』です。

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 1949年の創業の老舗で、かき揚げ丼が名物です。

 11:30の開店直後だったので、私が一番乗りでした。

 でも、その後常連さんとおぼしきお客さんが、ぞくぞく入ってきました。

 出張に来た人を地元の人が連れてきたといった風情のサラリーマンのグループもいます。

 11:30〜14:00までのランチタイムの特別メニュー、特上かき揚げ丼セット2,800円なりを注文しました。

 天ぷら定食なら1,200円ですが、ここでランチは贅沢だねえ。

 それで、まずお茶・おこうこが出てきて、そんなに待たされずにかき揚げ丼が登場します。

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 てんこ盛りのかき揚げのせいで閉まりきらない蓋の傾きが嬉しいねえ。

 でも、この蓋ってなんか意味でもあるのかな?

 出してから食べるまでの間に蒸らしてるのかな?

 ここのかき揚げは、立ち食いそばのかき揚げのように薄い円盤状ではありません。
 立体的で適度にとげがあって、お箸をいれるとザクザクと崩れるんです。

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 ネタは築地から仕入れている芝エビ、紋甲イカ、小柱なんだって。

 かき揚げをほぐしながらご飯と一緒に口の中に入れます。
 口の中で味が混ざって美味しいよ!

 サクサク衣にイカはしこしこエビはぷりぷりだねえ。

 大きなタネの天ぷら丼だと、天ぷら単体とご飯という感じで食べ進めるんですけど、かき揚げはご飯と渾然一体になるところがいいねえ。

 カツオ出汁のきいた関東風の『カド』のあるお醤油だれと、ごま油がきいた香ばしい油がなじんでいるねえ。

 
 シジミの赤だし味噌汁にはシジミがたくさん入っていましたよ。

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 結構関東では、だしだけとって、実は食べずに捨てちゃう人がいるのですが、栄養があるからちゃんと食べるよ。美味しいねえ。

 おこうこが、いかにも『発酵した』という味がして美味しいねえ。

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 江戸前天ぷらというのは、油の後味が独特で、おこうこと味噌汁と濃いお茶との組み合わせが最高だねえ。

 ということで、江戸下町風天丼独特の味わいを楽しむなら、このお店です。

 関西風の薄口あっさり天ぷらじゃなきゃ!という人には少し重たいかも・・・。

 私はこういうお味好きですよ。

 ごちそうさまでした。








【ファイルF45】2010.11.23 駅弁の幕の内弁当『日本の味博覧』を食べたよ

東海道新幹線のお弁当だねえ。

 私は駅弁の購入については東京大丸のデパ地下を利用することが多いのですが、たまたま時間が無くて、新幹線の東京駅ホームの駅弁屋さんで適当に『日本の味博覧』というのを選んで車内で食べてみたらば、美味しかったのでびっくり。

 東京駅で買ったので、てっきり東京の駅弁だと思ったら

 販売箇所 :東京・品川・新横浜・名古屋・京都・新大阪の駅売店、東海道新幹線車内販売(一部列車では取り扱っておりません)なのだそうです。

 ということで、どの駅のお弁当と言うことではなく、東海道新幹線を利用の際のお弁当だということのようです。

 あまりに美味しかったので、また新幹線に乗ったら、是非これを食べねばなるまいと思っていところ、テレビで味にうるさそうな女医さんの西川史子(にしかわ あやこ)先生が、「駅弁では『日本の味博覧』が美味しい」と言っていて、自分の他にもこのお弁当のファンがいるんだと思って心強くなりました。

 今度は新大阪駅で買いました。

 それで、これが問題の日本の味博覧のパッケージです。

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 健康弁当宣言です。
 
 20品目以上で、野菜は120g以上使用。使用する油はコレステロール0、合成着色料一切不使用なんだって。


 ふたを開けたらこんな感じ。

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 ちゃんとお品書きを書いた紙が入っています。

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 これは、『かいせき 井中居 田中博敏氏 監修』のお弁当です。

 お品書きによると、田中博敏氏は、(株)なだ万に24年間勤務、1986年なだ万本店山茶花荘在籍の折東京サミットにおいて、総理大臣主催の公式晩餐会の調理担当を任命された一流の料理人です。

『日本の山紫水明の風土に合った季節の移り変わりを旬の味と香りで表現し、幕の内弁当の伝統と技を結集しました』という由緒のあるお弁当なんだって。

 おかず部門のアップ。

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 卵焼きには『東海道』の文字の焼き印が。

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 こういう細かい仕事がうれしいねえ。

 ご飯部門のアップ。

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 中央にで〜んと紀州南高梅が鎮座ましましています。


 レンコン、しんなり薄味ついていて、歯ごたえが良いねえ。

 シシトウ、苦みが懐かしいし、エンドウさくさく歯ごたえ、ゴボウも歯ごたえが良くて酸味がさわやか。

 昆布巻きトロ甘。カボチャは甘くて里芋とろり、茄子は旨みのある出汁がきいています。

 結び白滝(しろい糸こんにゃく)は素麺状でこんにゃくの食感が良い。

 ニンジンは柔らかいし、サツマイモは和菓子の甘さ。

 厚切りキングサーモンはご飯に合います。

 鴨のスモークは堅めのハムのような弾力ですが、歯がすっと入って綺麗に噛み切れ、あっさりしたお味です。

 卵焼きはカステラのように均質に黄色く、まろやかな食感で甘みと旨みが上品な味わいです。

 生姜酢漬けが箸休めになって、梅干しはすっぱい果肉がとろけるねえ。

 昆布はとろりとぬめりがあって、深い旨味がご飯に合うねえ。

 白ごはんもお赤飯も冷めていても、しっかりと美味しいのです。特A評価の国産米を100%使用しているんだって。
 
 それぞれの仕事がとても丁寧で、あっさり味が上品です。和食が好きな方はぜひお試しください。

 季節の旬の素材を使っているので、中身も変わるようなのでこちらをご覧くださいね。
http://www.jr-cp.co.jp/products/details.php?p_no=30

 お値段は1000円です。

 この値段で高級幕の内が味わえるので、断然お得です。












【ファイルF44】2010.10.20 神田は小川町の『笹巻きけぬきすし総本店』に行ったよ

笹巻毛抜鮨(ささまきけぬきすし)は本場江戸前のお寿司だよ。

 広沢虎三『清水の次郎長伝』の森の石松さんの台詞にありますね。

『飲みねえ、飲みねえ、寿司食いねえ、江戸っ子だってねえ』

『神田の生れよ』

『そうだってねえ・・・』

って。

 あれは淀川の大坂−伏見間の三十石船でのワンシーンなので、多分『寿司食いねえ』のお寿司は大坂名物の『押し寿司』のはずです。

 でも、やっぱり江戸っ子−神田−お寿司というイメージは揺るぎがありません。

 さすがに、大阪でも『江戸前寿司』って大きく書かれたお寿司屋さんをよく見かけます。

 大阪の人にとっても、寿司−にぎり−江戸というのが一種のブランドなんですね。

 それで、江戸前寿司の伝統を頑固に守っているお寿司屋さんが神田にあります。

『笹巻きけぬきすし総本店』です。

イメージ 1



 JRお茶の水駅から小川町へ向かう通りの西側で、ニコライ堂からさらに南に行った場所にあります。

 創業元禄15((1702)年だそうです。
  
 当時は、安宅(あたか)の松の鮨、両国の与兵衛鮨と並び江戸三鮨と称された名店でした。

 由来書きによると、旗本や松平候等、幾多の諸侯ご来店の折、毛抜きにて魚の小骨を抜き鮨を作るを見て『面白きことよ』と興ぜられ、笹巻鮨を毛抜鮨とも呼びますます評判になったそうです。

 当時の絵草紙にも、『御殿勤めの面々が宿下りの折にて家づとして笹巻毛抜鮨を持ち帰る』と記述されていました(家づと=お土産のこと)。

 東京に現存する最古のお寿司屋さんのようです。


 元禄15年っていうのは、なんと、赤穂義士が吉良邸に討ち入りした年ですからね。

 うへえ!凄い歴史だねえ。

 入店するやいなや、女将さんから、

「酢でしめてありますが、大丈夫ですか?」
って尋ねられます。

 私としては、先刻ガッテン承知の助なので、結構ですよって答えて、写真を撮らせてくださいねってお願いしました。


 カンパチが入ったということでサービスしていただきました。

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 わーい。得したねえ。

 香ばしくって、お魚独特の風味が良く出ています。


 笹巻毛抜鮨(ささまきけぬきすし)7ケ+お吸い物付き1620円也です。

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 名前の通り寿司をひとつひとつ笹で巻き、毛抜きで魚の小骨を抜いてあります。

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 隈笹(くまざさ)なんだそうです。笹には抗菌作用があるからねえ。

 昔は冷蔵庫がなかったので、とにかく『もたせる』ことが第一義で、防腐のために塩や酢を多く用いていました。

 マグロのような足の速い魚。特にトロなんて、都会人にとっては冷凍技術が発達してからの鮨ネタなんだねえ。


『古くは戦国の頃、戦陣に飯を笹の葉にて包み兵糧として運び居たる故事に思いを及ぼし、独特の技能を得て笹巻鮨なるものを世に広めた』のだそうです。


 ですから、ひとつひとつ、くるりんと笹を剥がして食べます。

 光り物(サバ)です。

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 一口食べて、びっくり。

 酢と塩が凄くきいていて、お魚が発酵熟成している感じです。

 これでも、江戸時代と較べると、現代人の嗜好に合わせて、酢も塩も控えているそうですが、それにしても昔の人はこういうお味に馴れていたのですね。

 背が青くて光っている魚が苦手な人、強い酢の苦手な人には合わないかもしれません。

 苦手な人はダメだろうけど、なにかクセになりそうなお味です。私はお酢が大好きだから、こういうお味は大丈夫だねえ。

 ここの常連さんは、「この味じゃなきゃ」っていう人なんだと思いました。

 魚類は三枚におろしたものを塩漬けにして一日、出た汁を捨てて、酸度の強い一番酢で一日しめ、それを骨抜きにして二番酢に3・4日つけ、タネの大きさに切って二番酢の中に使うまでつけているそうです。

 手間がかかるんだねえ。


 エビです。

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 これも、淡泊なエビに酢の強いサワー感が混じり合っています。

 生きたままの『まき』を使い、ゆでて開いたものに砂糖を少々加えた甘酢につけて用いているそうです。

 以下、どのネタも酢でしめたという仕事が、ネタに大きな影響を与えています。

 鮨は元来、日もちがするように、おはぎのように粘り気を出す感じで作るのが特長なのだそうです。

 作ってから三時間ほどたった方が、塩も酢もこなれてネタが笹の葉に馴染み、美味しいので、食べるタイミングを見計らって電話予約して持ち帰るお客さんが多いそうです。

 タイです。

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 おぼろです。

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 卵です。

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 ふわふわで甘い卵に、きつい酢飯が不思議にマッチしています。

 カンピョウです。

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 のりです。

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 お寿司は季節によって、一部ネタが変わるそうです。旬があるからねえ。


 ハモのお吸い物は、おだしが良く出ていて、お魚の風味が口に残ります。


 個性のあるお味なので、好き嫌いがはっきりと分かれるお店だと思います。

 私は好きだねえ。

 江戸のおつで粋なお味を体感することができました。

 ごちそうさまでした。







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