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【ファイルH18】2008.09.24 上野動物園にいたゾウのインディラさんと吉田首相と麻生太郎さん。

 自民党の麻生太郎総裁は本日24日、国会の首相指名選挙で第92代、59人目の首相に選ばれました。

 落語の三題噺みたいですが、何かの因縁を感じる話なので、今回はこのお話を書かせていただきます。

 上は秋葉で売ってた太郎のげんこつ飴とおまけカードの写真。

 大東亜戦争に敗戦して、日本は7年も占領されていました。
 ひどい話です。最高法規である憲法まで押し付けられました。有条件の降伏勧告文書であるポツダム宣言のどこにも、そんなことは書いていません。


 昭和27(1952)年、サンフランシスコ平和条約まで独立国じゃなかったので、外交ができず、大使館も公使館も無く、それに変わって、連合国はそれぞれ東京都に代表を置いていました。

 そんな時代の昭和24(1949)年9月23日午後、芝浦岸壁にゾウさんが到着しました。

 ゾウさんの名前はインディラさんです。

 ネール首相からの贈られたこのゾウさんは、令嬢の名前なのです。この令嬢こそ、後に首相になり、暗殺されたインディラ・ガンジー婦人です。

 大東亜戦争勃発当時、インドはイギリスの植民地として圧政にあえいでいました。

 日本はアジアに対する欧米列強の支配を打破するために大東亜戦争を戦いました。

 それでもって、インドの独立にも協力しました。インパール作戦という無謀な作戦を遂行しましたが、これは実は、大東亜会議でインドの独立運動に手を貸してほしいという要請に日本が応えたものです。

 ということで、インドと日本というのは親しい仲なのです。

 10月1日に、インド代表部の方が来られ、贈呈式が行われました。

 アジアの盟友インドのネール首相からの贈られたゾウさんなので、時の吉田総理大臣が上野動物園に現れました。
当時は下山・三鷹・松川事件と、日本の政情は騒然としており、その上吉田首相は大のマスコミ嫌いです。無作法に脚立で近寄るカメラマンに演説用のコップの水をかけたこともあったそうです。

 ところが現れた吉田首相は終始笑顔で、マスコミの注文に応じてゾウのインディラさんと並んでポーズをとったり、バナナを差し出したり大サービス。

 実は吉田首相は大の動物好きで、英国駐在大使の時も、暇さえあれば動物園を訪れていたのです。この贈呈式に出席したのも、一国の首相が日本の子供たちのためにゾウを贈ってくれるのだから、こちらも首相が出なければならないという外交感覚があったからだそうです。

 その後、昭和32(1957)年10月、ネール首相がインディラ・ガンジー夫人を伴っての訪日の折り一緒に上野動物園を訪問し、ゾウのインディラと対面しました。さらに、昭和34(1959)年秋、インディラ来園10周年記念の会を開いたとき、吉田茂さんは、令嬢の麻生和子さんを伴って出席され、その席上で「ネールさんがお嬢さんの名前をつけてきたので、お返しに日本からヒグマを贈るとき、和子とつけようと思ったが、これが(と麻生和子さんの方を向いて)クマでは嫌だというので・・・・」と呵々(かか)大笑いされたそうです。

 これだけの動物好きですから、東京動物園協会で昭和26(1951)年から会長を務めた元通産大臣の高碕達之助さんが昭和39(1964)年に亡くなった後、後任会長に吉田茂さんになって頂けないものか、古賀園長が大磯に伺うと、吉田さんは快諾されたそうです。
 吉田さんは、さまざまな団体から役員や名誉職を依頼されてもほとんど断っていたのですが、大好きな古賀動物園長の頼みならと二つ返事で引き受けられたそうです。
 吉田さんは、昭和42(1967)年に89歳で亡くなるまで協会会長に就任されました。

 このインドに贈られるヒグマに自分の名前をつけられそうになって断った、吉田茂首相の令嬢麻生和子さんのご子息が麻生太郎さんなのですね。

 血筋からいうと麻生太郎さんは、おじい様譲りで動物好きに違いありません。

 そのペディグリー(血統)の正当性を誇示なさるためにも、動物の保護育成のための施策を充実されることを望みます。

 全国の動物園・水族館関係者の方々、この際、いろいろと要望を陳情されてはいかがですか?

 麻生新首相に期待したいものです。


 参考:『もう一つの上野動物園史』小森 厚著 丸善ライブラリー

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【ファイルH17】2008.09.23 かわいそうなゾウの話の真実

 戦時猛獣処分の話をごぞんじですか?
 上野動物園のゾウ、オスのジョン、メスのワンジー、トンキーの3頭のゾウの話が有名です。
『かわいそうなゾウの話』は絵本や映画など、さまざまな媒体で紹介されました。私は漫画で読んだことがあります。

 お話はこうです。

 昭和18年(1943)8月16日のことです。当時の上野動物園の園長は、応召し、福田三郎さんが、園長代理を務められていました。

 福田園長代理は、古河忠道さんとともに、東京都庁に電話で呼び出されます。行ってみると、井上清公園課長から東京都長官からの命令を伝えられました。
 内容はこうです。
「戦局が悪化したわけではないが、万一に備えて、一か月以内にゾウと猛獣類を射殺せよ」
 さすがに射殺は付近の住民に不満を与えるからと、命令は毒殺に変更されます。
 動物園の人たちは、なんとか動物の命を救えないか、名古屋と仙台の動物園に相談しました。
 その間にも猛獣処分は連日続けられ、8月23日にはエチオピア皇帝から天皇陛下に贈られたライオンのオス・メスも毒殺されました。
 8月23に仙台の動物園から技術者1名が来園し、ゾウのメス『トンキー』と、生後間もないヒョウの子を受け取ることになり、田端駅の貨物係と鉄道輸送の打ち合わせも済みました。
 ところが、これを聞いた東京都長官(今の都知事にあたる。当時は公選ではなく、内務省の官僚が任命された)が激怒し、仙台への輸送中止を命じました。
 何故でしょう?理解ができません。

 9月1日のアメリカヤギュウのメス1頭の処分を最後に、猛獣処分はほぼ完了しました。
 でも、ゾウの処分はまだ済んでいません。
 オスのジョン、メスのワンジー、トンキーの3頭は敏感な嗅覚で毒殺用の餌を嗅ぎ分け、食べなかったのです。
 それで、絶食による餓死の処置がとられることになりました。
 性格が凶暴で、人に馴れなかったオスのジョンは餌と水を断たれて、17日目の8月29日に亡くなりました。
 でも、人になつき、芸も覚えていたメスのワンジーとトンキーはなかなか死に至りません。それは、2頭が芸をすれば餌がもらえると思い、飼育員さんの前で覚えている限りの芸を一生懸命に披露したからです。
 健気なゾウの姿を見て、さすがに担当の菅谷吉一郎さんと渋谷新吉さんは内緒で餌を与えないわけにはいきませんでした。
 それがばれて、飼料倉庫が施錠され、倉庫に近づくことを禁じられた2人は、家庭の食卓からイモをとっていったこともあったそうです。
 ゾウの殺処分が遅れ、戦時猛獣処分の事実が、公表前に世間に漏れることを嫌った東京都は、ほぼ処分の終わった9月2日に、この『時局に鑑みての非常処置』を報道機関に発表し、9月4日に動物慰霊碑の前で慰霊法要が行われました。
慰霊碑からほど近い象舎の周囲には鯨幕が張られ、中にはまだ生きている2頭のゾウが隠されていたのです。
 この7日後の9月11日、絶食18日後にワンジーが亡くなり、トンキーは9月23日、絶食30日後に天に召されました。
 この戦時猛獣処分の対象になったのは、ライオン、トラ、ヒョウ、クロヒョウ、チーター、ホッキョクグマ、ホクマンヒグマ、チョウセンクロクマ、ツキノワグマ、マレーグマ、ニシキヘビ、ガラガラヘビ、アメリカヤギュウ、そしてゾウの全27頭です。

 この話は、戦争の悲惨さを伝えるものとして、語り継がれています。

 それはそうなのですが、その際に、ほとんどの場合、この戦時猛獣処分は、『軍の命令』で行われたという話になっています。

 ところが、どの資料を探しても、『軍の命令』などみつからないのだそうです。
 当時、東京はまだ、空襲に対して切迫した状況にはありませんでした。昭和17年(1942)4月の、ドゥリットル少佐の率いるB−25爆撃機による冒険的な爆撃以降、米軍による空襲はなく、敗戦色濃厚になったB−29による大空襲が始まったのは、この一年以上先の昭和19年(1944)秋のことです。
 では、誰がこの命令を出したのでしょうか?
 後年、古河忠道園長はこういう趣旨の発言をされていました。この方は、福田園長代理とともに、東京都庁赴いて、井上清公園課長から東京都長官からの命令を聞いた人ですね。
「都長官になる前に沼南市(シンガポール)市長をしていた大達茂雄(おおだちしげお)さんは、内地に帰って、勝ち戦と思い戦争の怖さも知らないでいる国民に自覚させるために、動物園の猛獣を処分することによって警告を発したのでしょう。ゾウなどを田舎に疎開させる意見もあったのですが、動物を処分することが目的であったため、大達さんは頑としてそれを許さなかったのです」

 なんと、この処分は空襲で猛獣が逃げ、近隣住民が危険に晒されるのを避けるためやむをえなくなされたのではなく、『戦争の怖さも知らないでいる国民に自覚させる』という精神論のためになされたのです。せめて動物の疎開を許せなかったのでしょうか?本当にとんでもない話です。当時の日本の政府や軍部は、兵士や国民の勇敢さに胡坐をかいて、人の命を粗末にする傾向にあったことは、否定できません。
 この話も、実際に苦労され、悲しい思いをされたのは現場の方々です。私はこのことに大きな憤りを感じます。

 その被害が動物たちにも及んでいたのです。それは命を慈しまれた天皇陛下の御意に適うものでは決してありません。それどころが、陛下のライオンも無益に殺生したのです。とんでもない愚行を犯したものです。

 第一、上野動物園が空襲でやられるということは、首都の制空権を敵に掌握されているということで、その時点で戦争は負けです。軍としては、自らの面目が潰れるような命令は先延ばしにしたいに決まっています。

 この話は、『もう一つの上野動物園史』小森 厚著 丸善ライブラリーを参考にさせていただき、私の感想を加えました。
日本の動物園のパイオニアである上野動物園の歴史が、関係者の方々のご苦労が活写されている名著です。

 この話の章の最後に小森さんはこう締めくくられています。

※  ※  ※

上野動物園を所管していた東京市が、府と合併して都となったのは、昭和18年(1943)7月1日のことで、初代都長官に就任したのが内務官僚の大達茂雄さんであった。しかし、世間ではこの処分の命令は『軍』によるものとしたがるようだ。何もかも悪いことは『軍隊』のせいにして、己の口を拭い、戦後も羽をのばしてぬくぬくと生き延びようとした風潮のなせる業といえるであろう。

※  ※  ※

 今日はトンキーさんの命日です。亡くなった動物の皆さんのご冥福をお祈りします。

写真は今の上野のゾウさん。

 上野のゾウさんのシンクロナイズドスイミングの記事はこちら。
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/archive/2007/10/24

 『かわいそうなゾウの話の真実・続編』に続きます。↓
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/55075328.html

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【ファイルH16】2008.08.14 鬼畜米英って本当に『うそ』だったの?(下)

(上)はこちら
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/44070110.html

 皆さんは空の英雄リンドバーグのことをご存知でしょう。
1927年5月20日スピリット・オブ・セントルイス号で大西洋単独無着陸飛行に初めて成功したアメリカの英雄チャールズ・リンドバーグです。『翼よあれがパリの灯だ!』という台詞が有名ですね。

 彼は第二次世界大戦に従軍しましたが、その時の日記にアメリカ軍の実態を告発しています。

『リンドバーグ第二次世界大戦日記』は、1974年に新潮社から出ていましたが、今は『孤高の鷲 リンドバーグ第二次世界大戦参戦記 上・下』チャールズ・リンドバーグ 新庄哲夫訳 学研M文庫  として入手できます。(現在アマゾンで古書の入手になるみたい)

(下巻)昭和19年(1944)の日記−日本軍と対峙した日々より
六月二十六日 月曜日
―――(略)―――小屋の壁の一つに、絹地の日本国旗が三枚かかげてあった。日本軍兵士の死体から取ったものだという。その一枚は記念品(スペーニア)として十ポンド(三十三ドル)の値打ちがあると、ある将校は説明した。日本軍将校の軍刀を所持する男は二百五十ポンドなら譲ってもよいと言った。談たまたま捕虜のこと、日本軍将兵の捕虜が少ないという点に及ぶ。「捕虜にしたければいくらでも捕虜にすることができる」と、将校の一人が答えた。「ところが、わが方の連中は捕虜をとりたがらないのだ」
 「*****では二千人ぐらい捕虜にした。しかし、本部に引き立てられたのはたった百か二百だった。残りの連中にはちょっとした出来事があった。もし戦友が飛行場に連れて行かれ、機関銃の乱射を受けたと聞いたら、投降を奨励することにはならんだろう」 「あるいは両手を挙げて出て来たのに撃ち殺されたのではね」と、別の将校が調子を合わせる。
 「たとえば***隊だが、かなり残酷なやり方で切り刻まれている隊員の遺体を発見した。それ以来、連中は日本兵をさほど多く捕虜にしなくなったと考えて間違いない」
 話は次いで空中戦や落下傘脱出に移る。一座の操縦士は一人残らず、落下傘で降下中のパイロットを撃ち殺して差し支えないと主張した。「これも、最初はジャップの方からやり出した。やつらがその手を使いたければ、われわれにだって同じ手が使えるということだ」落下傘にぶらさがったまま、日本軍に撃ち殺されたアメリカ軍パイロットの話が幾つか披露された。

 七月二十一日 金曜日
早朝、ビアク島の断崖にたてこもる日本軍の強力な拠点に再度の攻撃を加えることになった。
 ―――(略)―――もう何週間も、二百五十名から七百名の間と推定されるいわば一握りの日本軍は圧倒的な強敵に対して、また充分に補給された火器が撃てる限りの猛砲撃にも、その拠点を死守し続けて来たのだ。
 仮に攻守ところを変えて、わが方の部隊がかくも勇敢に立派に拠点を死守したのであれば、この防衛戦はわが国の歴史上、不撓不屈と勇気と犠牲的精神との最も栄光ある実例の一つとして記録されたに相違ない。が、安全でかなり贅沢な将校クラブに坐しながら、これらの日本軍を「黄色いやつばら」と表現するアメリカ人将校の言に耳を傾けねばならないのである。彼らの欲求は日本兵を無慈悲に、むごたらしく皆殺しにすることなのだ。オウィ島に来て以来、敵に対する畏敬の言葉も同情の言葉も聞いた憶えは全くない。
 自分が最も気にしているのは、わが将校の側にある殺戮(さつりく)の欲望ではない。それは戦争に固有なものである。問題は敵の尊敬に値する特質にさえ敬意を払う心を欠いていることだ―――勇気、艱難、死、信念に殉ずる覚悟、卓越した訓練と装備にもかかわらず次々と殲滅されて行く部隊等に対し敬意を払う心が全くない。われわれには勇敢な行為であっても、彼らがそれを示すと狂信的な行為ということになる。われわれは声を限りに彼らの残虐行為をいちいち数え立てるが、その一方では自らの残虐行為を包み隠し、ただ単なる報復措置として大目に見ようとする。
 アメリカの兵の首を斬り落とす日本兵は”どぶネズミ以下”の東洋流の蛮行だ。日本兵の喉元を切り裂くアメリカ兵は「ジャップが戦友に同じような真似をしたのを知っていたからこそ、同じようなことをやってのけたまでの話だ」。東洋流の残虐行為がしばしばわれわれのそれより極悪であることを問題にしているのではない。結局のところ、われわれは自分にも、また耳を傾けてくれる人たちにも、われわれがあらゆる”善”と文明の擁護者だと絶えず言い聞かせてきたと言うことでもある。
 私は突っ立ったまま、密林の焼け焦げた跡や、日本軍が身を隠している洞窟と思しき断崖の黒点を眺めやる。あの焼けただれた地域の地表下に極度の苦悶が隠されているのだ―――飢餓、絶望、そして死体や死に瀕した男たち。ただ祖国愛と信ずるもののために耐え、よしんば心底で望んだとしても敢えて投降しようとはしない。なぜならば両手を挙げて洞窟から出ても、アメリカ兵が見つけ次第、射殺するであろうことは火を見るよりも明らかなのだから。
 しかし、われわれは彼らに爆撃を加えて洞窟からいぶり出さねばならぬ。戦争だからである。もしわれわれが彼らを殺さねば、われわれが投降の可能性を無くしたが故に彼らはわれわれを殺すであろう。それにしても、われわれがもし日本兵の遺体の歯をもぎとったり、ブルドーザーで遺体を穴の中に押しやり、浚(さら)った土をかぶせたりする代わりに、人間にふさわしい埋葬を営んでやることが出来るのであれば、私はわが国民性にもっと敬愛の心を抱けたに相違ない。ブルドーザーで片付けたあとは墓標もたてずに、こう言うのである。「これが黄色いやつばらを始末するたった一つの手さ」と。

七月二十四日 月曜日
―――(略)―――丘の斜面を降りていくと、峠に差しかかる。そこには一人の日本軍将校と、十人か十二人の日本軍兵士の死体が、切り刻まれた人体だけが見せるような身の毛のよだつ姿勢で四肢を伸ばしたまま、横たわっていた。彼らは峠の防衛戦で倒れ、死体は埋めずに放っておかれたのである。戦闘は数週間前に行われたので、熱帯地の暑気と蟻とがそれぞれの働きをなしていた。頭蓋骨を覆うわずかな肉片だけが残っている。ある場所では一個の遺体に二つの首が並んでいるかと思えば、他の場所では遺体に首が無かった。なかには四肢がばらばらになり、身体のかけらしか残っておらぬ死体もあった。そして同行の将校が言ったように、「歩兵はお得意の商売にとりかかったようだ」つまり、戦利品として金歯をことごとくもぎとったというのである。
 洞窟郡へたどり着くまでには山道を横切り、もう一つの丘を登らねばならぬ。山道の片側にある爆弾で出来た穴の縁を通り過ぎる。穴の底には五人か六人の日本兵の死体が横たわり、わが軍がその上から放り込んだトラック一台分の残飯や廃物で半ば埋もれていた。同胞が今日ほど恥ずかしかったことは無い。敵を殺す、これは理解できる。戦争の欠くべからざる要素だ。敵を殺戮する最も効果的ないかなる方法も正当化されるだろう。しかし、わが同胞が拷問によって敵を殺害し、敵の遺体を爆弾で出来た穴に投げ込んだ上、残飯や廃物を放り込むところまで堕落するとは実に胸くそが悪くなる。丘を登り詰めるまでに、われわれはもっと多くの日本軍将兵の死体をまたいで歩かねばならなかった。どうやら日本の海兵隊員に違いない―――(略)―――

八月六日 日曜日
 ―――(略)―――テントの中央には掲示板があり、告知事項や情報部の各地図が掲げてある。片隅の黒板には出動要員の操縦士一覧表、使用機種、飛行命令等が貼り出してある。黒板の下方にはチョークで横臥ヌードが描いてあった。真上から日本兵の白く光る髑髏(しゃれこうべ)が吊り下げてあった。

九月九日 土曜日
 ―――(略)―――アメリカ軍の戦死者は個別的に埋葬されたが、日本軍の戦死体はトラックに積み込み、ブルドーザーが掘り返した大きな穴に放り込んだ。原住民が主として死体の処理に当たり、彼らは多くの死体を”臭気”で見つけ出したそうである。 将校の話によれば、穴の中の遺体を「ブルドーザーにかける」前に、何人かの海兵隊員が遺体の間に分け入り、ポケットを探ったり、金歯探しに棒で口をこじ開けたりした。金歯を仕舞い込む子袋を持っている海兵隊員さえいた。その将校はさらに耳や鼻を切り落とされている日本軍の戦死体を幾つか見たとも言った。「兵が耳や鼻を切り取るのは、面白半分に仲間に見せびらかすためか、乾燥させて帰還するときに持ち帰るためですよ。日本兵の生首を持っている海兵隊員まで見つけましてね。頭蓋骨にこびりつく肉片を蟻に食わせようとしていたのですが、悪臭が強くなりすぎたので、首を取り上げねばなりませんでした」。行く先々で聞かされる似たり寄ったりの話だ。

※  ※  ※

 これは、一部分の引用です。酸鼻を極める叙述が延々と続きます。
 左翼・偏向マスコミは、昭和16年(1941) 1月に当時の陸軍大臣・東條英機が示達した戦陣訓(せんじんくん)のなかの『生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず』という一節が軍人・民間人の多量の無駄な自決・自殺の原因になったって言いますが、果たしてそうでしょうか?
 事実は、捕虜になろうとしても、虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受ける前に、機銃掃射で撃ち殺されているじゃないですか!それどころか、死後も辱めを受けています。なんでも悪いのは日本です。アメリカの英雄でも日本軍に対する米兵の態度に憤っていたのに、日本人は本当におかしいんじゃないのかな?

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【ファイルH15】2008.08.14 鬼畜米英って本当に『うそ』だったの?(上)
↑日本兵の頭蓋骨を送ってくれた米兵に礼状を書くガールフレンドの写真
アメリカ=ライフ誌1944年5月22日号より

 大東亜戦争中の昭和19年8月4日日本の新聞にとんでもない記事が載りました。

天人怒る鬼畜の米兵 英霊の神骨を冒涜 紙切ナイフ作って大統領へ贈る

【チューリッヒ二日発同盟】
ガダルカナル島戦闘以来米国兵の残虐性については亜欧戦線において幾多の実例がみられるが、ワシントン情報によれば最近米国内において目下太平洋戦線に出動中の米軍兵が記念品として不埒にも戦死した日本軍将兵の頭蓋骨その他の骨を本国に送付した事実があり死体冒涜の理由で米国内でも重大問題となっているといわれる。
即ちミズリー州のカトリック教大司教管区内の一教徒が友人の家の子供が南太平洋戦線に従軍中の兄から送ってきた日本人の頭蓋骨を玩具にしているのを見て、その旨教会へ通知したのが端緒となり死体冒涜問題が重大化するに至った。
更にワシントン・メリ・ゴーラウンドの執筆者としてまた政界通として知られるドリュー・ピアソンもペンシルヴァニア州選出下院議員フランシス・ウォルターがルーズヴェルトに太平洋戦線で戦死した日本兵の白骨で作った紙切小刀を送った事実を暴露しており同様の事例は枚挙に遑がない様子である。
なおミズリー州のカトリック教会は太平洋戦線の兵隊から記念品として日本兵の頭蓋骨やその他の骨を貰いうけることについて米人に厳重警告したが、同教会の機関週報『アーチ・ディオシイス』誌は教会の掟は〈邪悪な目的をもって死体を冒とくすることを禁じている〉ことを宣言し次の通りに述べた〈死後人間の身体に当然払われるべき節義として頭蓋骨は適当に埋葬されなければならない、この国においてはいずれが敵の身体の一部であるという事実に差別をつけない〉この週報の警告は友達の家の小さい子供達が南太平洋から兄が送って来た日本人の頭蓋骨を玩具にしていたことを知らせた手紙に対する回答であった。
『信濃毎日新聞』昭和十九年八月四日

 これが出鱈目記事かというと、違うのです。
 それで、以下が問題のアメリカ=ライフ誌1944年5月22日号の記事です。上の写真とともに掲載されました。

"Arizona war worker writes her Navy boyfriend a thank-you note for the Jap skull he sent her.
When he said goodbye two years ago to Natalie Nickerson, 20 a war worker of Phoenix, Ariz., a big, handsome Navy lieutenant promised her a Jap. Last week Natalie received a human skull, autographed by her
lieutenant and 13 friends, and inscribed: "This is a good Jap - a dead one picked up on the New Guinea beach." Natalie, surprised at the gift, named it Tojo. The armed forces disapprove strongly of this sort of thing."
LIFE MAGAZINE, 5/22/44 p.35 "Picture of the Week"
http://www.codoh.com/atro/atrocity.html

上を意訳すると。
「アリゾナで勤労動員に従事している女性が、ジャップの頭蓋骨を送ってくれた海軍のボーイフレンドに礼状を書いています」
大きくて、素敵な海軍中尉は、2年前にアリゾナ州フェニックスの勤労動員従事者ナタリー・ニッカーソン(20歳)と離別したときに、『ジャップ』を彼女に約束しました。
先週、ナタリーは、中尉と13人の友人のサインが寄せ書きされた人間の頭骸骨を受け取りました: 「これは“good Jap” 【※後注】です--ニューギニアビーチで死んだのを拾ってきました」 サプライズな贈り物にナタリーは、それを『東条』と命名しました。軍隊は強くこのような行為を戒めています。

【※注】“good Jap”=当時のアメリカでは、“The only good Jap is a dead Jap.”「唯一の良い日本人野郎は死んだ日本人野郎だ」と言われていて、この場合の“good Jap”は『死んだジャップ(日本人野郎)』という意味。
 詳細はこちらを参照↓
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/54408522.html

※  ※  ※

 勝てば官軍と言うのは、このことを言います。

 収容所のガス室で殺したユダヤ人の死体で、石鹸やランプシェードやペーパーナイフを作り、金歯を抜いたドイツのことは、断罪されますが、戦勝国アメリカのことは不問に付されます。

 ところで、このようなことは、この時だけだったのでしょうか?

(下)に続く
http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/44070231.html


【ファイルH14】2008.03.15 チベットのラサの抗議運動。
 日本のメディアは、いつまで中華人民共和国がチベットを侵略したという事実を隠蔽するつもりなのかな?

 冗談じゃないよ!

 チベットの人口は600万人。虐殺されたチベット民族は120万人。

 漢民族がチベットで今までにしでかしたことはこちら。ダライ・ラマ法王日本代表部事務所↓

http://www.tibethouse.jp/human_rights/index.html

↓上記から引用

 また、チベット亡命政府が収集した情報をまとめると、1949〜1979年の間に死亡したチベット人は、120万人を下らないという結果になる。

◆ チベット3州での死者数(チベット亡命政府のまとめ)
  ウ・ツァン    カム     アムド      合 計
拷 問 93,560   64,877     14,784      173,221
死 刑 28,267   32,266     96,225   156,758
戦 闘 143,253   240,410    49,042   432,705
飢 餓 131,072    89,916   121,982    342,970
自 殺 3,375     3,952    1,675      9,002
傷害致死 27,951   48,840    15,940   92,731
合 計 427,478   480,261    299,648   1,207,387

※  ※  ※

 上の数字って嘘?

 20万人しかいなかった南京で日本兵が30万人虐殺したって言うのは本当で、上の数字は全くのでたらめ?

 例え10分の1でも12万人殺されてるんだよ!

 以下産経ニュース2008.3.15 13:05より

 新華社電は同日、14日の暴動で多数の警察官が重傷を負ったほか、あらゆる施設などで放火や略奪が発生、石や瓶、引火性液体などを詰めたリックサックを背負った者を多く目撃したことや鉄の棒や刀類を持った暴徒がいたと伝えるなど、暴動の激しさを強調。
 同電は「警官隊は武力行使しないよう命じられたが、デモ群衆を解散させるため、限られた催涙弾を使用し、威嚇発砲を行わざるを得なかった」としている。一方、同自治区のシャンパプンツォク主席は同日、当局による発砲を否定した。

 農薬餃子も日本の陰謀なら、これもチベットの陰謀なの?

 卑劣な左翼と、ものわかりの良い平和主義者の仮面を被って、実はODA利権のために売国した政財界の連中が結託して、チベット民族の、ウイグル民族の、満州民族、その他の民族の人権を踏みにじったんだよ!

 今までCHINAに資金援助した額はいったいいくらなの?

 ふざけんじゃないよ!

 日本に向いてる核ミサイルは24基だよ!1

 パキスタンの核兵器はメイドインCHINAだよ!

 何故だって?決まってるじゃん。インドとCHINAは国境紛争やってて、インドと仲の悪いパキスタンが核ミサイル持ってたほうがいいじゃん!何が反核平和だよ。

 CHINAは地雷の輸出をし続けてるんだよ。『地雷廃絶に積極的だったダイアナ妃』とか、『地雷除去のために寄付をしたスピードスケート金メダリストの清水選手』とか、さんざん盛り上げたメディアはどうして批判しない?

 一方で、日本はCHINAこそ最大の友好国だって、ODA(政府開発援助)を過去20年間、毎年3000億円ほど支払っているんだよ!

 日本のODAで浮いた金を軍拡と、民族抑圧に使っているんだから。

 私たちの税金なんだよ!日本も同罪なんだよ!

 ホテルで集会断わられたって裁判起こした日教組がこのことを問題にしたことあったっけ?

 尖閣諸島を侵略されている沖縄で11万人なんて抗議集会が開かれたことなんてあったっけ?

 何が国の役人が税金で職員旅行をしただよ!

 冗談じゃないよ!

 CHINAに金をくれてやるより、よっぽどましじゃないのさ!

 税金で職員旅行しても、人は殺されないし、核兵器は日本に向かないよ!

 少なくとも旅行会社はもうかるじゃないのさ!

 先日、『ダルフールのことがアメリカで問題になっているようです』って恥知らずなテレビ局があったよ!

 イラク戦争を始めたアメリカが非人道的なら、あんたちはそれ以下だよ!

 どうして、好戦的右翼のアメリカでさえ問題にしているダルフール問題を他人事みたいにいうのさ!CHINAのチベット抑圧の記事で欧米メディアより遅れを取るの?

 欧米の方がCHINAより遠かった?マスコミの地球儀ってひょうたん型なんだろうね。
時空が歪んでるんだね。

 そんなにまでしてオリンピックやりたいの?

 私には理解できません。

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