【ファイルMU1】2007.01.13 マーラー 交響曲第6番イ短調(1904年) 佐渡裕指揮 兵庫芸術文化センター管弦楽団
実演で聴かないと、曲の全貌って分からないもんですね
コンサートのチラシ
今回は関西まで遠征です。
『アトモス部屋IN大阪』の取材も兼ねています。
直前に酷い風邪をこじらせて、行けないのではないかと気を揉んだのですが、お陰さまでなんとかかんとか行くことができました。
佐渡さんのコンサートは最近チケット入手が困難で、やっと取れたのです。その昔聴いたブラームスの第二交響曲は名演でした。それで、また聴こうと思ってから、ずっと切符がとれませんでした。
以前はもっと簡単に取れたのですが、佐渡さんのメディアの露出が増えてから、とても人気です。
特に本拠地の兵庫芸術文化センターは杮(こけら)落としから、ずっと切符が取れないのです。
今回、チケットが取れたのは、きっと80分以上の大曲に恐れをなした人が多かったのでしょう。
といっても、この人は実力が先行していて、大指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤン氏が、晩年小澤征爾氏に『日本の若手の佐渡裕と高関健の才能は素晴らしい』と頻りに話していたそうです。
オーディオというのは、もともとハイフィデリティー(原音再生)を目指して発達してきたのですが、究極的には、ダイナミックレンジが大きいオーケストラの臨場感の復元を追及しているといって、過言ではないでしょう。
因みにCD開発当時の最大収録時間74分のフォーマットは、SONYの大賀社長(元声楽家)と親しかったカラヤンが発した「ベートーヴェンの第9が1枚で収録できる様に」の鶴の一声で決まったそうです。
ですから、CDが開発された時は、ダイナミックレンジが狭くて済むポピュラー音楽ファンのCD需要は全く想定していなかったのです。
とはいっても、こんな100人以上の大オーケストラ(5管編成のフルオーケストラだけど、フレンチホルンはなんと8人いる)なんて、はなからオーディオ装置で再生不能ですから、生演奏を聴かなければ話になりません。
兵庫芸術文化センター管弦楽団は比較的小編成のオーケストラですから、半数以上はエキストラ(客演奏者)になります。
楽器編成
ピッコロ、フルート 4(ピッコロ持替え 2)、オーボエ 4(コーラングレ持替え 2)、コーラングレ、クラリネット 4(ソプラニーノクラリネット持替え 1)、バスクラリネット、ファゴット 4、コントラファゴット
ホルン 8、トランペット 6、トロンボーン 4、チューバ
ティンパニ 2人、グロッケンシュピール、カウベル、むち、低音の鐘(ティーフェス・グロッケンゲロイデ、複数)、ルーテ、ハンマー、シロフォン、シンバル、トライアングル、大太鼓、小太鼓、銅鑼、そりの鈴、ウッドクラッパー(振るとかたかた音の出る木のおもちゃ)
ハープ 2、チェレスタ
弦五部(1stヴァイオリン、2ndヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス)
誰もいないステージにマイクを持った佐渡さんが登場しました。
佐渡さんはラグビー選手みたいに体格が良いのです。マオカラー(詰襟)の黒スーツに身を固め(この服、カラヤン氏や小澤征爾氏、小泉和裕氏が良く着ていた)、何時もどおりの柔らかい京都弁のイントネーションで喋ります。
別にカラオケを始めようということではなくて、曲の解説です。
少し、お痩せになったのかな?
佐渡さんは太るとホンジャマカの石塚さんに似てきそうな感じがするので、一安心です。
被り物をして、エアーホッケーやってる場合ではありませんから。
佐渡裕さんにとって、この曲は、恩師の大指揮者レナード・バーンスタイン(映画ファンの方は、『ウエスト・サイド・ストーリー』の作曲者としてご存知だと思いますが)が、ウィーンフィルハーモニーを指揮した時に勉強し、フランスのブサンソン国際指揮者コンクール(初代優勝者が小澤征爾氏)で優勝後、新日本フィルハーモニー交響楽団でプロ指揮者としてデビューした時演奏した思い出の曲だそうです。
普通は、こんな大曲でデビューなんかしません。このへんが大物なのですね。
大まかな曲の流れを解説した後、ステージに燕尾服を着た青年が呼ばれました。
笑っちゃうほど巨大な大樽に柄がついたような木槌をもっています。これが『ハンマー』です。
江戸時代の火消しが、類焼を防ぐために周囲の家屋を破壊するために大きな木槌を持っていましたよね。その木槌です。火消し装束を身に纏った赤穂浪士が吉良邸に討ち入るときに使った木槌です。
青年は金髪の優男(やさおとこ)です。といっても、髪を染めた日本人ではなくて、本物の異人さんです。
青年の名前はエリックさんといいます。
『ハンマー(木槌)』なんて楽器はありません。ハンマーはハンマーですから、楽器屋さんで売っていません。それで、劇場の大道具さんに特別に作ってもらったらしいのです。
これを、ステージの一番高いところに置いてある、鏡餅を乗っける台を巨大にしたような台に叩きつけるのだそうです。
佐渡さんはお客さんに特注の自慢の木槌を見せるように何回もエリック青年に持ち上げるように促します。最初のうちは笑顔だったエリック君の顔がだんだん引き攣っていくのが分かります。
彼はパーカッショニストで、巨大木槌を打ち下ろすだけの役ではないのです。舞台裏で鉄板を叩いたり、ドラムロールとかもするのですから、演奏前に筋肉に乳酸が溜まってしまったら、演奏に差し支えるのですから、当然です。
あと、この曲では、牛さんの首につるす大きな鉄のベル(カウベル)を鈴なりにして、カラコロ鳴らしたり、お好み焼き屋で使うような大きな鉄板を舞台裏に仕込み、教会の鐘のように響かせたりします。
この曲の演奏はそのへんの準備からいるので、とても世話が焼けます。
それで、佐渡さんの解説が終わって、袖に引っ込み、オーケストラの団員が入場して、チューニングを終えたところで、満場の拍手と共に、佐渡さんが颯爽と再登場しました。
一瞬の静寂の後、チェロとコントラバスが叩きつけるようにリズムを刻み不吉な軍隊行進曲が奏でられます。
わっ、マーラーの音だ!
この瞬間って、とってもいいものですね。
そして、マーラーの世界が陸続と展開していきます。
マーラーの音楽は、現代人の持つ自意識がのた打ち回るさまを表現したような複雑な構造を持ち、さまざまな音響が輻輳(ふくそう)して一筋縄にはいきません。
これが多彩で、好きだという人と、散漫でとっつきにくいという人がいます。私はどちらかというと後者で、同じ長大な曲なら、ブルックナーの方が余程聴きやすいのです。
2楽章は、1楽章の雰囲気を残した、重苦しく引き摺るようなスケルツォです。
3楽章は子守唄のようなメロディーが美しい幻想的な曲調です。
ヴィスコンティの名画『ヴェニスに死す』ではマーラーの第五交響曲のアダージョの美しい旋律が繰り返し用いられ有名ですが、この曲のアダージョも、同様にマーラーの持つ耽美性の白眉とも言える名旋律です。
カウベルがカラコロ鳴って牧歌的な雰囲気をいやがうえにも盛り上げます。
さすがマーラーだけあって、ただ単に『美しい』だけではない毒がありますけど、それがスパイスになって妖艶さをかもし出すんですね。
4楽章(最終楽章)は、しっちゃかめっちゃかです。華麗に錯綜する音響が堪能できます。
ベルリオーズのアヘン妄想音楽『幻想交響曲』の5楽章『ワルプルギスの夜』を髣髴とさせるような悪魔的な音楽です。
さて、問題のハンマーです。
マーラーの自筆稿では、作曲当初にはハンマーの導入は考えられておらず、後にハンマーを加筆したときは、第4楽章で5回打たれるようになっていました。
第1稿を出版する際にこの回数が減らされて3回とし、さらに初演のための練習過程で、マーラーは3回目のハンマー打撃を削除し、最終的に2回となった(第2稿)ということです。
3回目の打撃を削除したのは、これがマーラー自身の命を絶つ運命の音を暗示するのだという強迫観念からではないかというようなことも言われているのです。
佐渡さんの師匠のバーンスタインは3回目の打撃を復活させ、佐渡さんもそれに倣っています。マーラーさんは既に鬼籍に入っているわけですから、関係ありませんものね。
明らかに、佐渡さんは、エリック青年の木槌を打ち下ろすタイミングを合わせるように指揮しています。
振り下ろして、叩きつけるまで、相当なタイムラグがあるからです。
観客も音楽どころではなく、息を殺してエリック青年に注目しています。
それにしても、燕尾服で正装した、ハンサムな西洋人の青年が、満座の前で、ステージの一番高い場所で、巨大鏡餅台に巨大木槌を叩きつけるというのは、とっても不思議な光景です。
生まれてこのかた、芸術というのは、とりもなおさず『狂気である』という事をこれほどまでに痛切に実感したことはありません。
最後に、曲は中途半端に盛り上がり、ピツィカートの響きをのこして、ぷっつりと終わります。
どんちゃかどんちゃか騒がしい全4楽章=80分以上の大曲にしては、あっけない終わり方です。
この曲を聴く度に、遠くに連れて行かれてそのまま置き去りにされたような気分になります。
おそらくマーラーの意図したことなのでしょうが、例えば、ベートーヴェンの交響曲を聴き終えたときのカタルシスとは全く異なる倦怠に似た感情の澱のような後味が残るのです。
それにしても、佐渡さん、オーケストラの皆さんは大変な好演、熱演でした。とにかくお疲れ様でした。
終演後、エリック青年が客席からひときわ大きな拍手を受けたのは当然のことでした。
ちなみに『定期演奏会ではアンコールはしないんだけど』と言いながら演奏された故武満徹作曲の『波の盆』(TVドラマのための音楽)はとても美しい名曲でした。
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ハンマー(巨大木槌)を打ち下ろそうとするパーカッショニストのピコリン。ハンカチ王子ならぬ『トンカチ王子』です。大熱演だねえ。エリック青年の似顔絵は難しいので、許してね☆
因みに、彼の師匠のレナード・バーンスタイン=ウィーンフィル、於:ムジーク・フェラインザールの同曲DVDライヴ映像を確認したら、ハンマーは確かに3回鳴らされていましたが、打ち付ける木の台は、今回ほど立派ではなく、ステージの床の上にそのまま置いたミカン箱の親分みたいのに木の板を重ねただけのものでした。
佐渡さんが誇らしげに自慢する理由が良く分かろうというものです。
(2007.01.13兵庫県芸術会館大ホール)
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