【ファイルET83】2013.08.01 銀座の伝統がある泰明小学校だよ関東大震災の教訓を生かして、子供の安全を考えた震災復興小学校なんだねえ。カフェーパウリスタでブラジルコーヒーを堪能し、有楽町駅の方に戻ると、ビルに囲まれた、緑の建物を見つけました。カフェーパウリスタの記事はこちら。 http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/54322899.html これが、東京都中央区銀座にある中央区立泰明小学校(ちゅうおうくりつ たいめいしょうがっこう)です。 ランプがとってもお洒落だねえ。 校名のプレートに“TAIMEI ELEMENTALY SCHOOL”と英文表記もされています。 “フランス門”と呼ばれる瀟洒なデザインの門扉がとても素敵です。その両脇には緑が植わったアーチ型の開口を有する塀が設置されています。 説明プレートもあります。 ※ ※ ※ みゆき通りと門扉(もんぴ) この通りは明治天皇が宮城(きゅうじょう)より海軍兵学校に御行幸(ごぎょうこう)された折にお通りになられたことから みゆき通りと呼称されるようになったといわれている また門扉は その時代南フランスの貴族の館で使用されていたものである ※ ※ ※ こんなカッコイイ小学校だったら、通うのも楽しかろうねえ。 校舎はこんな感じです。 ツタの絡まる校舎の外壁。時計のあるところが、バルコニーになっているのかな? もう一つプレートが。 ※ ※ ※ 東京都選定歴史的建造物 Tokyo Metropolitan Government Selected Historical Structures 中央区立泰明小学校 Taimei Elementary School 所在地 中央区銀座五丁目1番1番13号 設計者 東京市 建築年 昭和4年(1929) 泰明小学校は明治11年に開校し、現在使用されている建物は、関東大震災を機に、耐震・耐火性の高い鉄筋コンクリート造の校舎として建て替えられたものである。 表現主義と呼ばれる建築様式の建物で、カーブを描く壁面やアーチ窓等を使った外観に特徴がある。L字型校舎の南端に位置する玄関部分には、柱や入口庇等に個性的な装飾が集中して施され、建物の顔となっている。これらの意匠は、震災復興期につくられた他の小学校ではあまり見受けられない個性的なものである。また、校庭に面した側の窓は他の学校より大きくとられ開放的な印象を与えている。 蔦のからまる校舎は銀座のシンボルとして人々に親しまれており、今なお往時の景観を残している。 東京都 Tokyo Metropolitan Government ※ ※ ※ 泰明小学校は、校舎の講堂と雨天体操場が上下二層構造となっている点も特徴のひとつで、隣接する数寄屋橋公園等と一体的に計画することによって、工夫の凝らされた建物配置を行い、都心小学校特有の狭小敷地でもあるにも関わらず、日当たりが良く明るい施設になっています。 南端の玄関部分です。 3階の半円形の窓が特徴的ですね。左端には銀座名物の柳の木が植わっています。 玄関の柱が、タケノコみたいだねえ。 右側に『泰明小学校』のプレートが、左側に『泰明幼稚園』のプレートが設置されていますね。 玄関右にはアーチが。 ここにも石碑があります。 ※ ※ ※ 昭和五十三年六月二十五日 泰明この日百年 泰明小学校は明治十一年にこの地の公立小学校として創立されここに一世紀を経ました この間国運の消長時代の変革社会の推移制度の変遷の中で常に地域の初等基礎教育を担いました 特に関東大震災第二次世界大戦時には再度灰燼に帰しながらも復興し内実を深め校風を維持 絶えず誇り高く歩み続けいまや有為な人材一万人あまりを地元日本の銀座をはじめ広く世に送っています また幼稚園は昭和二十八年に開設され泰明の一貫教育に貢献しています Taimei Elementary School Establishment 1878 Taimei Kindergarten Establishment 1953 ※ ※ ※ 涼しげな緑を纏ったいかにも日当たり良好そうな窓です。 明治40(1907)年、東京府東京市泰明尋常小学校と校名変更。 大正12年(1923)年に発生した関東大震災によって焼失した木造校舎に代わり、昭和4(1929)年に鉄筋コンクリート造3階建校舎として再建されます。震災の教訓から、震災復興事業の一環として通常の壁厚が15cm程度であるのに対し、22cmを有する堅牢なつくりに設計されました。 大東亜戦争の戦局がおしつまった昭和19(1944)年4月、埼玉県大里郡・八基村(現深谷市)に学童185人の集団疎開が行われました。 昭和20(1945)年1月の空襲により教師4人が殉職されます。 同年5月24日の焼夷弾により校舎全焼。 軍事施設でも何でも無い民間施設の小学校を爆撃するのは、明らかな戦争犯罪行為です。 校舎は全焼しましたが、堅牢に作られていた校舎は見事に復興を遂げ、現在に至っているのだそうです。 平成21(2009)年度より中央区特認校制度の指定校に。 校歌の作詞者は『花』や、『美しき天然』などを作詞した武島羽衣、作曲者は『故郷』、『朧月夜』などを作曲した岡野貞一です。 泰明小学校出身の著名人は以下の通りです。 朝丘雪路、池田彌三郎、和泉雅子、加藤武、金子光晴、北村透谷、近衛文麿、島崎藤村、殿山泰司、中山千夏、福田徳三、信欣三、稲山嘉寛、河原崎国太郎、矢代静一、澤村田之助、村田あゆみ、はんつ遠藤、平賀譲 多士済々の人材を輩出しているのですね。 ちなみに、以前、洋食屋さんの「たいめいけん」の記事を書きました。 http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/50473227.html 「たいめいけん」初代茂出木心護さんが、泰明軒本店に奉公したのは、昭和元年のことで泰明軒本店の大旦那は畑安之助さんという人だったそうです。 つまり、「たいめいけん」のルーツは泰明軒本店だったのですね。 泰明軒の始まりは、明治18年に京橋通りに店を出した「西支御料理処」泰明軒で、当時は西洋料理だけでなく、支那料理も出していました。東京で最初にシューマイを売り出したのはこの店だという話もあるそうです。 「たいめいけん」初代茂出木心護さんは、昭和6年にのれん分けで独立し、新川の泰明軒支店を委され、戦後の昭和23年に、日本橋(現在の野村證券本社ビルのほど近く)へ移転。同時に名前を「たいめいけん」と改めたのだそうです。 ということで銀座にある由緒ある小学校。泰明小学校でした。 東日本大震災があったにもかかわらず、学校の耐震化は進んでいません。昔の人の方が偉かったような気がしてしょうがありません。
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江戸・東京の部屋
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右下隅の広い道が、もともと数寄屋橋が架かっていたお濠を埋め立てた外堀通りで、その上を首都高速八重洲線が覆っています。 お濠の形がそっくりそのまま道路になっているところが、東京は徳川家康が作った江戸の町を継承している証拠ですね。 それで、発掘調査のあった場所に行きました。 発掘調査の場所を北側から見ると、現在こうなっています。 写真右側の四角い建物(イトシアプラザ)に『公事場(くじば)』や『砂利敷(お白州)』があったメガネスーパーが入っていて、写真左側の壁がカーブを描いたマルイの『○I○I』マークがあるビル(有楽町イトシア)の右側JR有楽町駅寄りに『表門』や『囚人置所』があったんだねえ。 それで、南町奉行関係のモニュメントは石組みとプレートだけではありません。 先程のグーグルマップでは、有楽町中央口の前に緑色の円で標記されているのが円形屋根で、屋根下のエスカレーターで地下に降りると、地図ではオレンジに標記された地下広場に着きます。 ※ ※ ※ 南町奉行所跡(みなみまちぶぎょうしょあと)から発見された穴蔵(あなぐら) この板枠は、ここの再開発に伴う遺跡発掘で発見された「穴蔵」を、壁に立てて展示したものです。この穴倉は、江戸時代中期の南町奉行所内に掘(ほ)られた地下室で、なかから伊勢神宮の神官が大岡忠相(おおおかただすけ)の家臣に宛てた木札が出土しました。 また遺構(いこう)両脇の木製ベンチには江戸時代の水道管(木樋:もくひ)を、向かいの石のベンチには奉行所の石組材を再利用しました。 穴蔵の構造は、厚い板材を舟釘(ふなくぎ)で留(と)め、隠し釘となるように端材(はざい)を埋め、板材の間には槇肌(まきはだ:木の皮)を詰めて防水処理をしています。また、壁板の一辺には水抜き穴があき、そこから竹菅が延(の)びて桶(おけ)に水が溜(た)まる構造となっています。 ここがかつて町奉行 大岡越前守(えちぜんのかみ)がつとめた南町奉行所(東京都旧跡)であったことや、江戸時代の技術などを伝えるために設置しました。 千代田区教育委員会 ※ ※ ※ ※ ※ ※ 大岡越前守様御屋敷 二而 上段右から 市川儀平太様 山本左右太様 小林勘蔵様 下段 檜垣六神主 福井土佐 久志本権之亮 複製(原資料:千代田区立四番町歴史民族資料館所蔵) ※ ※ ※ TBS系の『大岡越前』では、大岡越前役を加藤剛(かとう ごう)さんが、父親の大岡忠高を片岡千惠藏(かたおかちえぞう)さんが、徳川吉宗将軍を山口崇(やまぐち たかし)さんが演じていましたが、一番格好良くて美味しい役が何といっても、先頃亡くなられた竹脇無我(たけわき むが)さんが演じていた大岡越前の友人で相談役の医師、榊原伊織(さかきばらいおり)でした。 競馬新聞を一心不乱に読みふけっているおじさんたちが座っていて、撮るのに苦労しました。 地下広場はこんな感じです。 実は、写真正面にクリスピー・クリーム・ドーナツの有楽町イトシア店があって、そこが大ブームで行列が出来ていたころ、この前を通ったことがあったのですか、その時はそんな展示があるなんて、全く気がつきませんでした。 ということで、有楽町から銀座をお散歩される際には、話のタネにお立ち寄りくださいね。 次に続きます。
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【ファイルET79】2013.02.03 保存・復元工事が完成した東京駅新丸の内駅舎だよ(その4)当時から、安全安心のために目に見えないところで誠実な努力がはらわれていたんだねえ。(その3)からの続きです。前回の(その3)はこちら。 東京駅新丸の内駅舎(その1)から読まれる人はこちら。 http://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/53804685.html 年末の東京駅はライトアップもされて、もの凄い人出でしたね。 混雑している上にお金を取られるスカイツリーでも人気なのに、無料でこれだけ凄い建物を見ることが出来るのですから大人気なのは当然です。 東京駅及びその周辺は、『八重洲』という地名でも分かるように、もともと日比谷入り江の洲浜だった場所なので、とても軟弱な地盤で、基礎工事がとても重要だったのです。 ですから、創建当時の人達はどうしたかというと、まず実験をした上で、基礎の工法を決定したのです。 ※ ※ ※ 大林組の施工は、基礎コンクリートの最終打設工事から始まっている。敷地全体の地表は前工程によりすでに総掘りされていて、松材の食いがびっしり打ち込まれていた地下3.6メートルへ、すでに厚さ1.2メートルの基礎コンクリートが打たれていた。ベタ基礎と呼ばれる格別頑強なものである。 この上に格子状に平鋼と丸鋼を組み敷いて配筋し、もう一度コンクリートを打って床盤の基礎とするのだ。現在の鉄筋とは異なる方式であるが、いずれにしても鉄筋コンクリートであることにかわりない。ここで当時最新の建設機械が採用されている。このコンクリート打設に、初期の蒸気動力によるコンクリート・ミキサーや工事用エレベータなどが投入されており、生コンクリートを打設場所へ運ぶためのレールが各所の床に敷いてあった。これらの利用は、本格工事としてはわが国最初の事例である。さらにその上面へ、人びとが歩くための床コンクリートが打たれていく。砂利や石炭滓(かす)が混入されたものである。頑丈の上に頑丈を重ねる基礎部の施工ぶりである。 できあがった基礎の上に赤レンガの壁体が、平均厚さ60センチに手積みで積み上げられていった。躯体レンガの積み方は「オランダ積み」と呼ばれるものである。構造躯体であるレンガは、先行していた鉄骨をガイドラインとしながら、これを包むように一つ一つ積み上げていく。外壁部には、2メートル間隔に鉄骨の柱が配置されている。鉄骨筋違いの部分にもレンガを切り欠いて加工し、鉄骨に密着させて積む。地下部分は三枚、地上部分は二枚半を、一段ごとに交互にずらして、躯体外壁として積み上げていき、さらに入出口などの外壁表面には特別仕上げの化粧レンガを貼り付けていく。こちらは「ドイツ積み」と呼ばれる積み方であった。・・・・・・ ※ ※ ※ 震災時の惨状を観ると、いかに東京駅丸の内駅舎が巨大地震に対して強靱にできていたかわかります。 見えない部分で真に重要な仕事を誠実に行う、その姿勢に本当に頭が下がります。 2011年3月21日早朝、支那の広東省珠海市南屏鎮広昌村で、建設中のマンションの倒壊事故が起きました。 養殖池を埋め立てた後に建てたにも関わらず、わずか1メートルしか基礎を打ち込まないという手抜き工事の違法建築だったのですが、なんの負荷もかかっていないにも関わらず、自重によって完成を待たずに倒壊したのです。 建設費用は共産党幹部が中抜きしたのでしょうね。かの国において、こんな事例はほんの氷山の一角で枚挙に暇がないのです。 耐震強度偽装問題を起こした姉歯のビルでさえ、こんなことはありえません。 マスメディアは日本のゼネコンのことを談合だなんだって目の敵にしますが、それで日本の建設会社が手抜き工事をして無茶苦茶なことになっているのならともかく、日本の土木技術は世界一です。それはただゼネコンだけではなく下請や日雇いの建設作業員の質の高さにも負っているのです。 先の東日本大震災においても、道路の奇跡的な復旧速度に世界中が驚嘆したのは記憶に新しいところです。 その時でさえ、工事が激減したのでブルドーザー等の重機が海外に売り飛ばされていて絶対量が不足し、大変だったということです。 海外のゼネコンが大災害の時、すぐにかけつけて不眠不休の復旧作業なんてやってくれると思っているのでしょうか? インチキマスメディアは、それまで、TPP参加を散々煽っておきながら、それがとんでもない愚策だということが国民に分かってくると、報道量を激減させ、影でこっそり参加を既成事実にしようと画策しています。これを売国と言わず何と言うのでしょう? 労働の質以前に、支那、朝鮮半島の犯罪発生率は日本のそれとは比較にならないほど高く、今でさえ在日外国人犯罪や不法入国の多さ、凶悪さは問題になっているのに、マスコミは警察白書を見れば普通に載っているこういった情報を隠蔽し、日本国民の知る権利を妨害しています。 そうして、小泉某とか、橋下某とか、自由競争が正義だって単細胞がいて、それを気持ち悪いぐらいにもてはやすマスコミや学者がいて・・・。 スカイツリーにせよ、落札額が極端に低くてその安全性を懸念する声もあがっているのです。 橋下某なんて、人気取りのために保守になりすましていながら、その裏で外国人の地方参政権導入や人権擁護法案を推進しています。この人本当に日本人なのでしょうか? この人達に言わせれば、ぶっ壊したら何かが生まれるそうです。これって、覆面にヘルメット被ってゲバ棒を振り回していた全共闘暴力学生の連中が言っていたことですけどね・・・。 中高年オヤジがいい歳こいて反抗期って何? 覆水盆に返らず。英語ならIt's no use crying over spilt milk.【こぼれたミルクのことをなげいてもしょうがない】です。 世界的に、破壊の跡に創造があるなんて思うのはバカだっていうことわざがあるのに。 柿右衛門の壺は三歳児の子供にも破壊することが出来ますが、それをもう一度作ることがどれだけ大変か、この連中は、そんな簡単なことも分からないのでしょうか? 国宝級のツボを次々と破壊して嬉嬉としている小泉某とか、橋下某とか、それを褒め称えるマスメディアや、それに乗っかって支持する人達は、三歳児にも劣る知能なんですよね。 東京駅を観たとき、一度考えてみてはいがかでしょう。
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