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ミーコと私

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今日は、2度目の投稿なので、
どうかコメントは、お気になさらないで下さいね。
 
 
このお話しは、あの大NHkの会長とは、
比べものにならない、小さなホテルの社長のお話しですが・・・
 
だらだらと長くなりますので、
どうか、スルーなさって頂いてけっこうですので・・・
 
籾井会長の、就任時の失言は個人的な意見なので、
私は、こんな所で言わなくても・・・
アホやな〜って思っていただけでした。
(まぁ、あの慰安婦問題は、本当の話だとは思いますが・・・)
 
今回、NHK の籾井勝人会長が理事 10 人全員に
日付欄を空白にした辞表を提出せせていた事が明らかになったと
ニュースで見た時、
私の経験した事を思い出して、笑ってしまいました。
 
実は、私が働いていたホテルも、
バブル時代だったので、
ご多分にもれず、○○信託銀行が大株主になり
その信託銀行の何処かの支店長だった人が
社長として赴任してきました。
全く、ホテルのホの字もご存じの無い方です。
 
最初に、社員が笑った事と言えば
就任してすぐの時、レストランに来て、
カレーライスを注文されました。
ホテルのレストランのカレーって、
カレーソースとライスは別々に出てきます。
ソースの中に入っている具は、お肉だけです。
お野菜等は、全部、ソースの中にとけこんでいますからね。
私も、最近の事は知りませんが・・・
 
イメージ 2 画像はお借りしています。
 
その社長さん、カレーをライスに「だーっ」と全部掛けて、一言
「なんや、このカレーは?ジャガイモも玉ねぎも人参も
入ってないやないか〜
こんなカレーを出していたらアカンで〜」って、
ウエイターは、説明に困ったそうです。
家庭料理のカレーしか知らない支店長だったのか?
この話は、一気に社員に伝わりました(笑)
その後も、テーブルマナーは全くご存じないらしく
ほんとに、お気の毒やら可笑しいやら・・・
 
その後、節電と言う話が出て、
勿論、社長命令で、従業員のサービス通路等、
蛍光灯が何本も外されました。
お客様のサービスをするお料理を持って通る
大切な所です。
時には、暖かい物や冷たい物は、宴会場の裏で
コックさんが出向いてきて準備をされます。
その大切な通路が薄暗い〜〜!
 
ある日、大宴会場で、250人の女性ばかりの宴会がありました。
その時、見回りかお散歩か知りませんが、
廊下を歩いてきた社長、
何を思ったのか、おトイレの照明のスイッチを
全部offにしたのです。
これは、私が偶然見かけました。
もうビックリ仰天です!
でも、それを指摘する訳にも行かず、
唯々、宴会場から何方もおトイレに出て来られないのを
祈るばかりで、社長が立ち去るのをまって、
即onにしましたが・・・
この事は、当然、みんなに言いふらしてやりましたよ〜(笑)
 
一流のホテルの玄関には、
色々のコスチュームの「ドアマン」がおられますよね。
車が着けば、ドアを開けて、お馴染みのお客様だと
ちゃんとお顔を覚えていて「00様いらっしゃいませ」って
これが又、お客様の優越感、満足感を倍増するのです。
そして、色々のご案内ができます。
お客様が最初に、お会いになる言わば、
ホテルの顔です。
 
我がホテルも、一応、京都では知られていた所です。
なのに、その社長は、事も有ろうに
人件費節約に、そのドアマンを矢面に立てて
「あんなものはイラン」って・・・
フロントが2階にあるので、その後、お客様は、
いつも1階の宴会場に入って来られて、
宴会係は、そこに案内係を置くハメになってしまったりしました。
 
その他にも、数えきれないほどのエピソードがありますが、
長くなるので、これでやめておきますが、
ホテルは、お客様に接する部署の人員を減らすと
確実に、サービスが悪くなります。
そんなこんなで、その後、私が退職する時には、
もう、一流とは言えなくなっていました。
 
天下りが問題になっていますが、
畑違いの人が、役員で来られると、こんな事が起こるのです。
 
昔のホテルマンは、大学卒でも、新入社員は
お部屋のお掃除からウエイター、宴会係等を
経験させられてから、フロント係になると言う制度だったので、
支配人は、どこの部署の事も判っているのが普通だったのです。
最近は、そんな事はないですけどね。
 
 
籾井会長も、あまりメディアの事などを
勉強されていないまま、ちょっと張り切り過ぎられましたね。
 
あの大NHKと、1ホテルを比べるのは、
余りにも無謀ですが、
いずれにしても、無能な上層部、上司の下で働いてる人間が
いちばん不幸だと、つくづく痛感しています。
 
イメージ 1
 
次回は、もっと昔、高度成長期に労働組合が出来て、
組合運動が盛んだった頃のお話しを
書いてみたいと思います。
 
読んで下さってありがとうございました。
 

母の語録

                     
 
イメージ 3
 
.
 
   私の母は 明治38年生まれです
諺(ことわざ)をよく知っていて
私たち兄弟は いつも聞かされていたので
いつの間にか覚えてしまっていて
今でも 何かある度に思い出します。
今では あまり言わなくなりましたね
寂しい限りです
 例えば
* 人のふり見て我がふり直せ
* 言いたい事は明日言え 食べたい物は
   宵(今夜の内に)に食え
* 聞くは一時の恥 聞かずは末代の恥
* 天に向かって吐いた唾は、自分に降りかかる
* 口は災いの元
* 親孝行、したい時には親はいず 墓に布団は
  掛けられず
* 正直のこうべ(頭)神宿る
* 悪銭身に付かず
         等々
 
 晩年になると 兄嫁との確執があったりして
* 命長ければ 恥多し
  なんて 言いだしたりしてはいましが・・・
 
 私がいつも言われていたのが
【親の意見となすびの花は千に1つのアダは無い】
茄子は 花が咲くと それは必ず実が付くので
親の意見には1つとして無駄が無いという意味なのです。
私が 親の忠告を聞かない時いつも言ってくれましたが その時は 私自身 聞く耳を持たず
今思えば、親の見る目って間違えが無かったと
実感しています。
そしてもう一つ これは格言でも ことわざでも
ないと思うのですが 私たち兄弟(5人)が
喧嘩をして帰ってきたり 口惜しい事があって
泣いていたりすると
「勝ってやるって言ってやってしまっては
 損だから 負けとくと言う徳を貰いなさい」   と・・・
     
子供の頃にそれとなく聞かされていた言葉って
忘れないもので 何かの時にふと
思い出します 
この母心、私の人生で役立ったかな?
 私以外の4兄弟は 平凡な人生を過ごし
 みんな優しいです 
 勿論 兄2人は亡くなりましたが・・・
 
   
イメージ 2
 
 最近 私が切実に両親を想う時があって それは
 人間って 自分がその立場にならないと
 理解できない事ばかりですが 特に高齢になって
 自分が経験しないと 若い時には 決して
 理解できなかった事が判るようになりました
 
 若い時に、高齢の両親を見ていて思った事は
 
 どうしてこんな事くらい出来ないの?
 立ったり座ったりする時「イタタ・・・」って
 言っていたり
 もうそんなに歩けないから行きたくないよ
 お風呂に入るのが面倒だ
 等々 若い私には理解ができなかった事が
 今、私自身が経験して 遅まきながら
 やっと理解ができました
 
高齢者施設なんかで 介護士さんが おじいちゃん
おばあちゃんに赤ちゃん言葉でお話しされているのを見ると とっても不愉快に感じます
いくら人生はオムツで始まり オムツで終わると言っても ちゃんとした大人の人格者なんです
やっぱり 私が その立場だったら言葉使いは
大人に対しての話し言葉で話して欲しいと思います。
 
物事は 相手の立場に立って考えましょうって
言いますけど 中々難しい問題でこれは人間の
永遠のテーマかもしれませんね
 
 
だらだら、思いつくまま書いてしまいました
       ゴメンなさい!
読んで頂いて ありがとうございました(^・^)
 
 
      
イメージ 1
 

61年前の HALLOWEEN

 
 
イメージ 5
 
このブログで、2010年10月28日に、
同じ内容を1度更新しているので、
2度目の方は、どうか、スルーなさったくださいね。
 
 
イメージ 6
 
 
 
学校を卒業してすぐに就職したのが、
当時、アメリカの駐留軍(当時は進駐軍と言いました)が
宿舎として接収していた、京都の都ホテルです。
ここは、父が46年勤続していたホテルで、
戦後の就職難の時期だったので、
勿論、父のコネでの入社しましたが・・・(汗)
 
当時は、朝鮮戦争の真っただ中で、
戦地に行っていたアメリカ兵さんが休暇で帰って来られた時に
宿泊されます。
都ホテルは、将校さん専用の宿舎だったので、
18歳だった私を、一応、父は安心して働かせたのだと思います。
確かに、皆さんは、戦場から帰ってきたので、
精神的には、かなり荒んでおられたと思いますが
みなさん紳士でしたよ。
位は、少尉(Lieutenant)以上、時にはVIPで将官等ですから、
当然ですけどね。
そして、規則も厳しくて、ご自分のお部屋に
外部から女性を連れてくる事などは、一切禁止でした。
 
 
朝鮮戦争(1950年6月25日 - 1953年7月27日休戦)は、成立したばかりの大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で、朝鮮半島の主権を巡って、北朝鮮が軍事境界線を越えて侵攻したことによって勃発した国際戦争です。
全土が戦場となり荒廃した朝鮮半島は、開戦前と同様に南北二国に分断された状態のまま終結しておらず(休戦中)、随時、北朝鮮側による領空・領海侵犯を原因とした武力衝突が発生するなどしている
 
 
そんな中、クリスマス・サンクスギビング・ハローウイン等、
色々の行事は、我々従業員と一緒に楽しんでおられました。
 
1952年、今から61年前のハローウイン、
私たちは、訳も判らないまま、
仮装をして、将校さん達と一緒に楽しみました♪
バンドも入るんですよ
 
その時の写真が残っていましたので、
載せてみますね。
何しろ、60年も前の写真ですから、ヒドイ物ですが、
我々従業員は、お百姓さんや大原女になって、踊りました(^・^)
これでも、仮装をしているつもりですが、
何とも、ダサイですよね(汗)
 
後ろには、ちゃんとカボチャがありますね。
 
イメージ 2
 
私は、後列向かって右端、丸いでしょ?
勿論、呼び名は「マルちゃん」でした(笑)
 
イメージ 3
 
 
これは、その時、私が朝鮮娘になってチマチョゴリを着て
お芝居をした時の写真です。
はっきり写っていませんね(苦笑)
何しろ、カメラを持っている人は、ほとんどいない時代です。
よく写して下さったものです。
1952って書いてあるので、間違いがないですね・・・
 
イメージ 4
 
 
今では、日本でも「ハローウイン」は
クリスマスと同じように、街は賑わっていて、
時の流れを「ヒシヒシ」と感じます。
 
それでは、皆さま
 
イメージ 1
 
 
 おまけの画像です。
 
こんな写真が、アルバムに残っていました。
 
この方は、Captainと呼んでいたので、
多分、中佐か大佐だったと思います。
支配人と言う立場で、
メッチャ厳しい人でした。
 
イメージ 7
 
 この人は、名前は「二ールセン」さんと言いましたが、
位は忘れました。
とっても楽しい方で、我々を可愛がって下さいました。
 
イメージ 8
 
 
長々と読んで頂いて、ありがとうございました♪
 
 
 
 
アロハ〜
 
あれから20年・・・(綾小路きみまろ 笑)
再び、夢を追いかけてハワイへ
(1998年)65歳の時と(1999年)66歳,
2年続けて行っちゃいました。
 
でも、私が変ったのか、
同行者が20年前と同じ人では
無かったせいか、
やたら、日本人が多かったせいか、
20年前の感動や感激は全く無くて、
ちょっとガッカリ
長い旅は、
やっぱり価値観の同じ人とでないと
楽しくありません。
 
3回目のハワイは、
オアフ島・マウイ島・カウワイ島・ハワイ島
各2泊づつ
平凡に、一般の観光コースを
巡って来ました。
 
「アラ〜〜!太っちゃって〜って」
言わないで下さいね(汗)
 
イメージ 1
 
美人観光ガイドさんと・・・
イメージ 2
 
ロイヤルハワイアンホテル前
 
イメージ 5
 
 
 
 
4回目は、
ホノルルでのんびりしたいと思い
オールフリータイムの旅を選びましたが、
これが又、同行者が
毎日、お買い物に夢中で、
連日、アラモアナセンターや、
インターナショナルマーケットプレスへ、
そのお付き合いでグッタリ、
私は、仕事をリタイアした直後だったので
のんびりとテラスで海を見て
過ごしたかったんだけどな〜〜!
 
唯1つ、楽しかったのは、
あるお土産物屋さんで紹介してもらって、
リムジンをチャーターして、
高級住宅街にある「カハラホテル&スパ」の
プライベートビーチにあるレストランで
豪華なブランチを楽しみ
帰りも、リムジンのお迎えで
宿泊先のホテルまで送ってくれた事でした。
こんな大きな車に2人だけで乗って・・・
リムジンの中の様子、
あまりよく撮れてないので、
お見せできなくて残念!
 
 
イメージ 3
 
 
イメージ 6
 
オマールえびも食べに行きましたが
美味しくなかったです(>・<)
 
イメージ 4
 
 
 
 
 
そんな、こんなで
海外旅行も、始めと終わりを
ハワイで締めくくり、
今では、
もうどこへ行く体力も気力も無く
唯々、昔を懐かしんでおります。
 
3回にわたり、老人の繰り言に
お付き合い下さって、有難うございました 
 
 
マハロ〜 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 マハマハ炉
 
 
 

回顧録 (Hawaii編 2)

アロハ〜
(Hawaii回想録第2弾)
 
2度目のハワイは、1978年(35年前)
アメリカ西海岸、ラスベガス、
グランドキャニオンんの帰り道
ホノルルで2泊しました。
ホテルは、ハイアットリージェンシー
 
イメージ 1
 
最初ロスアンゼルスに着いた時
何かの手違いで、迎えのガイドさんも
バスも来てなくて
ツァー客全員が途方にくれました。
そんな時、私の相棒は英語が堪能なので、
当日は日曜日で、どこも休日で、
連絡が取れなかった中、どこかへ連絡をして
バスをチャーターし、
全員を所定のホテルに誘導し、
ツァー客の部屋割りから鍵渡し迄
1人でやり遂げました。
ツァーの皆さんからはとっても喜ばれ、
私も、何だか尊敬と共に、
鼻高々でした(^・^)
そんなこんなで、ハワイに着いた時は
旅行会社の人がお礼に来られて、
フルーツコンポ―ト等を頂いたりして
観光はしないで、
夜は「ドンホー」のショウを見た後
のんびりと過ごしました。
ホノルルの街を「ブラブラ」して
街頭でハワイアンを歌っておられた歌手が 
あまりにも素晴らしい歌声だったので、
レコードを買い、サインをして頂きました。
その時の様子ですが、サインをして頂くので 私がマイクを預かりました。
何だか、私がインタービューを
しているようにみえますね(笑)
鼻ベチャやな〜(アセ)
 
イメージ 2
 
朝食は、クーポン券で
ホテルが自由に選べたので
1日目は、ハレクラニホテルで
 
イメージ 3
 
2日目は、
ロイヤルハワイアンホテル
(ピンクパレス)で朝食でした。
何故か、写真がありません(残念!)
由緒ある一流ホテルです。
ここに泊まりたかったな〜
 
イメージ 4
 
 
その後、
ハワイの高級住宅地カハラ地区の中にある
カハラヒルトンホテル
(今は、カハラホテル&スパ)と
名前が変わっているようですが・・・
メッチャ高級で、ここでは
お茶で済ませました。
プライベートビーチのある
素敵なホテルでした。
 
イメージ 5
 
相棒が、日本人旅行者のいない所を
前回も、今回も選んでくれて
すべての観光も、全部英語ばかりで、
相棒の通訳で過ごしたハワイでした。
 
今日も、年寄のワガママに
お付き合い頂いて
ありがとうございました。
 
マハロ〜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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