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「天草のグーテンベルク印刷機の光」


この西の海の、
天草の地に、
かつてグーテンベルク印刷機があり、
独自の出版文化が花ひらいた。
そんな歴史があった。

遠く、ローマまで旅した四人の少年、
天正遣欧使節が持って帰ってきたらしい。

イソップ物語や、
キリスト教の諸文献が日本語に翻訳され、

日本の平家物語が、
西欧の言葉に翻訳され、

グーテンベルク印刷機によって、
出版された。

それまでの日本では、
中国から伝わったものが、
首都京都を中心にして流通するばかりだった。

それが、
はじめて京都からすれば僻遠の地において、
直接世界と結びつき、西欧と結びついて、
九州の一地方が、
文化の発信地となった。

それは夢のような儚い日々で、
間もなく切支丹弾圧と鎖国政策の前に潰えてしまったけれど、

今もって、
何か別の夢、
別のモデルを日本に突きつけ続けている。

現代においても日本は、
文化の発信地といえば、
首都東京に集中しているし、
無意識において、
天皇を中心とした位階が未だに漠然と存在している、

そんなあり方に対して、
各地方が、
直接、ヨーロッパやアジアやその他の世界と結びつき、
独自の文化の中心地になることができることを、
天草のグーテンベルク印刷機とその活動は示した。

そのことは、
今もって想像力のモデルとなる力を秘めていると思う。

天正遣欧少年使節は、
印刷技術だけではなく、
西洋音楽もマスターして持ち帰ったという。

夢のように、
それらは儚く潰えてしまったけれど、

その時の、
浄土のような楽しかった日々の記憶があったから、

天草には弾圧の時代でも、
多くのキリスト教徒が信仰を捨てずにいたのだろうし、

また、多くの心ある仏教徒が、
キリスト教に敬意を払って、
慰霊に努めたし、
隠れキリシタンをそれとなくかばってきたのだろう。

今もって、
あの時代に、
グーテンベルク印刷機をめぐって、
放たれた光は、
何か大きな可能性を示唆してくれているような気がする。

法然上人とその弟子たちが中心になって編まれたとも伝わる、
平家物語がはじめてヨーロッパに伝わったのは、
実にこの印刷機がきっかけだった。

平家物語には、
平重衡と法然上人のエピソードが出てくるが、
法然の名とその信仰がヨーロッパに伝わったのも、
おそらくこれが初めてだったろう。

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はじめまして。質問等は、基本的にきちんとあいさつしてからするのが礼儀と思いますが、いかがでしょうか。具体的な場所等は、内緒ということで^^

2006/8/3(木) 午後 7:55 [ miamasavin ]


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