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「浄土教とキリスト教の比較考察」


日本が中世から近世に移行する時代、
室町末期から桃山・江戸時代において、

最もおびただしい殉教者を出し、
時の権力から弾圧され、
あるいは権力者に対抗して闘ったのは、

間違いなく、
浄土教とキリスト教の二つだったろう。

そして、二つには大きな共通点がある。

「天地同根萬物一体、
一切の衆生貴賤を撰ばず」

(天も地も同じ根っこつながっており、
すべてのものは一体だ。
あらゆる生きとし生けるものは、
身分の上下はなく平等である。)

これは天草四郎の言葉だが、
浄土教のスローガンと言ってもいいぐらいだと私は思う。
一向一揆の心と同じだったと私は思う。

もともと、この天地同根万物一体という言葉は、
阿弥陀経を翻訳した鳩摩羅什の弟子の、
僧肇の著作・肇論に出てくる言葉。

法然上人も、
すべての人が平等だということを、
阿弥陀仏のもとで一つだということを説いた。

天草四郎の陣中触書には、
「後生」という言葉が多用されるけれど、
これも法然上人や蓮如上人をはじめ、
浄土教において広まり親しまれた言葉であることは言うまでもない。

人間の平等や救済への希求、
不条理で理不尽な領主権力への抵抗、

それらの要求は、
浄土教の一向一揆も、
キリスト教の島原の乱も、
まったく同じだったと思う。

近畿・北陸・東海地方等では、
一向一揆として表現されたことが、
九州では、
キリスト教を通して表現されたように思える。
時として、同じ言葉まで使われていた。

その点からすれば、
非常によく似た現象であり、
共通点を持った宗教だったと言えよう。

ただし、
この二つには大きく異なる点もあった。

まず第一に、
浄土教は同時代の外国の勢力とはなんら結びついていなかったのに対し、
キリスト教はスペイン・ポルトガル・イギリス等の、
西欧の勢力と結びつく可能性を持っていた。

キリスト教が、
同時代の西欧世界と直接結びつくパイプとなったことは、
西欧の文化との交流など、
大きな可能性を開くと同時に、
外国の勢力が日本に侵略をする手引きになるかもしれないという危険性を伴っていた。
(実際は、当時の日本の陸軍力は世界でも非常に強力な方だったし、西欧も日本と中国の軍事占領は不可能だと判断していたらしいから、杞憂だったかもしれないが。)

徳川幕府が、
浄土教に対しては弾圧せず、
キリスト教に対しては峻厳な弾圧をもって臨んだのは、
このことが大きな理由だったろう。

第二に、
浄土教は、
本当は「神祇不拝」などの要素を秘めていたとはいえ、
従来の日本の伝統文化とさほど不調和を起こさない、
調和の範囲内にあったのに対し、
キリスト教は、
たとえば切支丹大名の領内において寺院や神社が破壊されたように、
日本の伝統文化との不調和やその否定をもたらす要素があった。

そのことが、
神道や仏教の保守派や、
幕府・朝廷からキリスト教が警戒され嫌われた理由だったろう。

三つ目の理由は、
織田信長と対決した浄土真宗が、
その実力が決して侮れないことを、
おびただしい犠牲と十年間に及ぶ戦争の末、
信長に認めさせたことがあったという理由もあったように思う。

権力の側も、浄土真宗を敵とすることの大変さを十分に認識したし、
一方、本願寺の方も闘いの過程でだいぶ妥協し、歩み寄った。

また、徳川家康も、
一向一揆との苦い戦いを通じて、その実力をよく知っていたし、
自身浄土真宗とよく似た浄土宗に帰依しており、
念仏を精神的支柱としていたことも、
浄土教を弾圧しなくなった理由だったかもしれない。

それに対して、キリスト教は、
あくまで日本全体から見ればまだ少数勢力であり、
圧殺しようとすればできないことはない勢力に過ぎなかった。

その他にも理由はあったかもしれないが、
この三つの主要な理由に比べれば二次的な問題だったように思われる。

それらの結果として大きな差が生じ、
キリスト教が、
江戸時代の間長く弾圧されたのに対し、
浄土教は
浄土宗は徳川幕府の菩提寺に、
浄土真宗も公然と認められた宗教となって、
なんら弾圧は受けなかった。

そのことは浄土教にとって、
非常に恵まれたことでもあったろうけど、
いくつか問題点もはらんでいたと思う。

いつの間にか弛緩して、
権力との緊張関係を失い、
日本の空気や伝統に、
悪い意味で同調し過ぎたように思われる。
そのつけが、近代以降噴出したように思われる。

また、浄土教とキリスト教を比較していて思うのは、
キリスト教は天正遣欧少年使節を生み出したり、
非常に日本と西欧世界の現実とが結びつくきっかけになっているのに対し、
仏教・浄土教は、明治にいたるまで、
インドや中国等の現実とあまり直接結びつかない傾向が強かった。

そもそも仏教において、
インドに直接行こうとした人物自体が、
弘法大師の弟子の高丘親王ぐらいで、あまり聞かない。
明恵も志したらしいが、結局実行に移さずにやめている。

中国には、けっこう渡っている人物も多いが、
初期の密教僧や禅僧がほとんどで、
浄土教はあんまり中国にも渡っていない。
書物を通じてはともかく、
海外との交流があまりない気がする。
澄円が慧遠流の念仏を学んできたということと、
蓮如が契丹人と交流があったということぐらいしか思いつかない。

もちろん、明治になってからは、
弁栄上人や大谷光瑞がインドに行ったりしているのだが、
キリスト教と比べて、この差は単に航海技術だけに還元されるのか、
非常に不審に思われる。

一向一揆の戦術においても、
同時代の中国の白蓮教などと結びつく余地はなかったのだろうか。
蓮宗宝鑑などはけっこう日本でも読まれていたらしいので、
ひょっとしたら白蓮教のことも意識や念頭にあったのかもしれないけれど、
どうも海外の情勢と没交渉だったように思われる。

日本にやってくる海外の仏教僧にしても、
古代においては清賀上人のようにインドからやって来たという人物の事績もあるし、
鑑真のように甚大な影響を日本に与えた中国僧もいたけれど、
古代を除いては、あまりない気がする。

禅僧は、鎌倉時代も江戸時代も、かなり多く亡命してきたけれど、
一部の武士等特権階層にはともかく、
庶民にはほとんど関係なかったように思われる。

キリスト教の宣教師が、
アルメイダなど日本の庶民の中に入っていった姿勢と大きく異なる。

こうして考えてみると、
権力への妥協と、
海外との没交渉・閉鎖性という、
浄土教や仏教の問題点が見えてくる。

本来は、浄土教がキリスト教にひけをとらない強烈な信仰と力を持っていたことは、
戦国時代にキリスト教以上に権力者との闘いでおびただしい殉教者が出たことや、

江戸時代においても、
薩摩や人吉など、浄土真宗が禁制となった地域では、
かくれ切支丹同様、かくれ念仏が存在し、
三百年間の間、弾圧をかいくぐって信仰の火をたやさず保ち続けたことからもうかがえる。

浄土教は、
キリスト教と比較してみると、
案外欠点や長所も、
発見しやすくなるかもしれない。

ただ、比較する場合に忘れてはならないのは、
根源は同じだということだと思う。

きっと法然上人や鈴木重成のような人物は、
キリスト教の観点から見ても立派な人物だったと思うし、

アルメイダや天草四郎のような人物も、
仏教の観点から見ても立派な人物だったように思われる。

そんなことを、
旅先でつらつらと思った。

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●1452年:ローマ教皇ニコラウス5世はポルトガル人に異教徒を永遠の奴隷にする許可を与えて、非キリスト教圏の侵略を正当化した。

1637年11月14日にキリスタンにそそのかされた一揆軍は天草苓北町の本渡の戦いで富岡城代の三宅重利を討ち取った。
勢いを増した一揆軍は唐津藩兵が篭る富岡城を攻撃、落城寸前まで追い詰めた。

一揆軍はこれを機に日本国内のキリシタン(16世紀末の最盛期には日本の人口の10%を占めていた)を蜂起させて内乱状態とし、さらにはポルトガルの援軍を期待した。実際、一揆側は日本各地に使者を派遣していた。

2018/2/12(月) 午後 2:22 [ マレーシアにまた行きたいな ]


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