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「天草四郎の見た夢とは」
天草四郎とは、
いったいどんな人だったのだろう。
あまりにも資料が乏しく、
またその痕跡が消されてしまったので、
漠然としたイメージしか、
今日の人にはのこされていないけれど、
なんだかとても魅力的な、
不思議な人物だったように偲ばれる。
三万七千人もの人間を組織して、
幕府と闘うだけの、
大きな出来事を、
たった十六才ぐらいの少年が、
かつてこの地で成し遂げた。
そんなことができるはずはないので、
架空の人物だという説もあるけれど、
歴史を見ると、
アレクサンドロスや北畠顕家のような早熟の天才もいるから、
ありえなそうな話だから架空だというのは、
あんまり論理的な推論ではない。
あれほどの出来事には、
やはり強力な指導力と中心となる人物が必要だろうから、
私は天草四郎は実在したのだと思う。
そう考えたほうが、よほど筋が通る。
彼がいったい何を夢み、
何を求めたのか、
今日その手がかりは本当にわずかしか残っていないけれど、
「天地同根万物一体、
一切の衆生貴賤を撰ばず」
(天も地も同じ根でつながっており、
すべてのものは一体。
その愛は、あらゆる生きとし生けるもの、
身分の上下を関係なく、平等にそそがれている。)
という天草四郎が幕府軍に送った書簡の中の一節が、
彼を知る手がかりであり、
また最も雄弁にその精神を語っていると思う。
ここには、
あらゆる宗教の真髄が、
たった二行で簡潔に表現されているし、
人間の持つ願いが凝縮されている。
これほどのものを書く人は、
やはり只者ではないし、
その宗教的な境地の高さは、
きっと想像を超えるものがあったろう。
いったいいかなる人生が、
それまでにあったことか。
この一文に、
天草の地で改めて触れたときに、
本当に感動した。
調べてみると、
この「天地万物一体同根」という一節は、
仏教の「肇論」という書物にもともとは出てくる言葉で、
ひょっとしたら仏教や大蔵経についても、
天草四郎は教養があったのかもしれない。
天草四郎とは、
いったい何者だったのか、
知れば知るほど謎が深まるけれど、
私はある一つの仮説に、
証拠はないけれどとても心ひかれる。
それは、かつて読んだ本の中に書いてあった、
天草四郎は千々石ミゲルの息子だという説だった。
その時、そうかもしれない、
もしそうだったら、いろんな不審も解けるような気がして、
とても感じ入るものがあった。
当時のスペインの記録に、噂話としてのこっているらしい。
天正遣欧少年使節の四人のうち、
たったひとり最後まで生き残り、
家庭をもち、
キリスト教のみならずあらゆる宗教を捨てて、
無神論になった人物。
四人の少年の中で、
天草四郎の父親だった可能性があるのは、
その千々石ミゲルだけだけど、
そこまで背後の事情を正確に知って、
スペインの記録にそんな一行が書き込まれるものだろうか。
何か事実があって、遠くヨーロッパにまで伝わったのではなかろうか。
天草四郎は、
一般的には絶望的な状況で一揆を起こし、
集団自殺のような戦争を起こしたように考えられているけれど、
一説には、何も絶望して自殺のために戦争を起こしたわけではなく、
ポルトガルの援軍を待ち、
生き残りや勝つことを十分考えて決起したともいう。
それほどの視野と、
日本人離れした構想力や計画力を持つのは、
案外天草四郎の背後に、
遠く西欧まで実際に見てきた人があったからかもしれない。
そう考えてみると、
いろいろ腑に落ちる気がする。
べつに天草四郎は、
千々石ミゲルの息子ではなかったかもしれない。
だが、
天草の地にかつて一瞬栄えた文化と夢が、
天草四郎に受け継がれていたからこそ、
あれほどの夢と理念がありえたのだと思う。
結局、
島原の乱は幕府の大軍の前に全滅させられてしまったけれど、
夢や理念というものは、
ずっと受け継がれていくものだと思う。
島原の乱は、
戦争や反乱としては負けたし、
失敗だったかもしれないけれど、
わずかの言葉だとしても、
今も通じるような理念と志がのこったと思う。
私にとっては、
自己利益と戦争に明け暮れた戦国大名たちよりは、
一向一揆の指導者だった雑賀孫一や楠木正具や、
島原の乱の天草四郎の方が、
よほど偉大な人間だったように思われる。
資料は少ないけれど、
よほど興味をそそられる。
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