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「遠くの県からも原爆は見えた」


数年前に亡くなった、
私の祖父が生前語ってくれたこと。

その年の八月九日、祖父は熊本市にいたが、
そこから、
長崎の原爆が見えた、
と言っていた。

熊本市内の道を歩いていたら、
ピカッと閃光が走り、
空気がぶるぶるっと震え、
遠くにきのこ雲があがるのが見えたと。

その瞬間、
恐怖で身体が震えたと。

私の祖父はとても気丈な人で、
大陸ですでに戦地も経験していたし、
ちょっとやそっとのことで怖がることはまずない、
肝の据わった人だったけれど、

それが、恐怖が身体を突き抜けたというのだから、
原爆とはいったい何だったのだろう。
想像に余りあるものがある。

翌日、早くも祖父は、
長崎に新型爆弾が投下されたという話を人から聞いたという。
終戦の前に、意外と早く情報はかけめぐっていたそうだ。

中曽根康弘さんの回想録にも、
高松から広島の原爆のきのこ雲が見えたという一節があった。

原爆が他県から見えたという証言は、
他にはあんまり聞かない気がする。

原爆の回想録は、
広島・長崎のものがほとんどで、
被害の実態を伝えるのには、
その証言にまさるものはないけれど、

いかに原爆の威力が強く、
恐ろしいほど規模の大きなものだったかを知るには、
直接の被害は何もなかったとしても、
遠くの県からも見えたという証言も、
案外大切かもしれない。

原爆は、
広島と長崎だけにとどまるものではなく、
あの瞬間、
空気の震えや恐怖は、
隣の県や、もっとずっと先の地球上に広がっていった。

他人事では済まされない、
何かが走り、刻印された。

あの時、
原爆の直接の被害は、
広島と長崎の人だけが、
キリストや法蔵菩薩のように、
自分の身にのみ背負い込み、
他の地域の人々は免れた。

しかし、他の地域に住んでいた人々も、
後世に生きる私たちも、
自分とは無関係のことではないのだろう。

ある無関係の地域にのみ起こった出来事ではなく、
同じ地上の、
人類の上に落ちたということを、
私たちは忘れてはいけないのだと思う。

ちょっと投下の地点がずれれば、
被害がなかった地域の人々の上に落ちていたかもしれない。
原爆ではなく水爆であったなら、
見えただけで済んだ地域も消し飛んでいたかもしれない。

恐怖の大王のような、
原爆のきのこ雲は、
もう二度と、
この地球上に作り出してはならないのだと思う。

閉じる コメント(2)

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貴重な証言をありがとうございます。大阪では東住吉区田辺辺りに原爆を落とす訓練のために模擬原爆が投下され死者がありました。大阪だけでなく数箇所に模擬原爆の訓練の後広島長崎に原爆が投下された事実も忘れてはいけないように思います。

2006/8/9(水) 午後 1:36 [ 森からの手紙 ]

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こちらこそ、本当にありがとうございます。寡聞にして、模擬原爆については本当に無知でした。模擬原爆が、五十発も落とされ、四百人もの方が亡くなっていたのですね。ぜんぜん知りませんでした。教えていただき、感謝しています。報道管制がなければ、あるいは識者の中に原爆投下の前触れだと予測できる人もいたかもしれませんね。さまざまな意味で、忘れてはならない事実だと私にも思われます。

2006/8/9(水) 午後 3:49 [ miamasavin ]


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