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「円光大師」
法然上人にとっては、
きっと大師号など、
どうでもよかったのだろうけど、
円光大師というおくり名は、
よく似合っている気がする。
全てを包む、
まるい愛、
まどかな光。
円光。
生きている時は、
寺をひとつも持たず、
流刑になり、
死後は弾圧のため墓まで破壊されたけれど、
何百年か経つうちに、
法然上人は、
朝廷や幕府の最も尊信する人物となって、
七つも大師号が贈られた。
円光・東漸・慧成・弘覚・慈教・明照・和順、大師と。
七つの大師号の追贈は、
日本の僧侶の中で、
ずば抜けて多い。
他の宗派の開祖にも例のないことで、
どうも、上人は、
浄土で微苦笑されているような気がする。
法然上人がいかに、
この八百年の間、
人々に愛されてきたことの証拠としてならば、
そんな大師号も意味のあることなのかもしれない。
しかし、幕府があまりにも祀り上げた結果、
かえって庶民に程遠いイメージがつくられてしまったならば、
意味のないことだろう。
大切なことは、
法然上人の徳を忘れないこと。
大師号も、
本来はきっと徳を忘れないためのものなのだろう。
七つある大師号の中では、
最初の円光大師という贈り名が、
私は一番法然上人にあっているような気がする。
法然上人の円かな光を、
忘れず、
照らされて、
私は生きていきたい。
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円光大師というのは素晴らしいおくり名ですね。教団があるゆえに深く教えが根づいた反面、他宗派の人からはやや距離を感じさせてしまう祖師方の存在は残念ですね。もっと大きな存在感で日本人の心の中に生き続けてほしいですね。私が仏教徒でないからそう感じるだけかもしれませんが。
2006/8/22(火) 午後 5:28 [ 森からの手紙 ]
コメントありがとうございました^^ 僕も同じように思います。日本の場合、強力な宗派の祖師はその宗派の人々にやたら持ち上げられますが、法然上人や一遍上人のように少数宗派の宗祖の場合は、本当のすばらしさがあまり伝わらないということがありますよね。宗派や宗教は関係なく、いのちと向き合った人々のいのちの光が、現代社会でも人々の心の中に生き続けたらいいですよね^^
2006/8/22(火) 午後 11:17 [ miamasavin ]
法然聖人は、南無阿弥陀仏を信じ称えれば、そこがわが寺わが遺跡と喜ぶことでしょう。南無阿弥陀仏
2008/6/9(月) 午前 0:26 [ bjd*g4*0 ]
本当にそのとおりですね^^
南無阿弥陀仏
2008/6/20(金) 午後 9:27 [ miamasavin ]