全体表示

[ リスト ]

「教育基本改正に疑問  ― 現代の心の荒廃の対処には、愛国心よりも宗教的情操を 日の丸・君が代より南無阿弥陀仏を」


教育基本法改正をめぐる議論において、
教育基本法改正案の内容そのものは別にして、
ひとつ大きな疑問がある。

それは、政治家やマスコミにおいて、
昨今問題になっているいじめの問題やこどもの心の荒廃の対策として、
教育基本法改正が論じられているということだ。

今の教育の現状に対する対処法として、
教育基本改正の必要性が論じられているのだけれど、
私はどうも疑問に思えてならない。

戦後の愛国心不在の教育が、
こどもの心の荒廃やいじめ問題の原因だと、
述べる政治家が与党には多いが、
しかし、
それは本当なのだろうか。

その結び付け方は、
とてもうさんくさく、
根拠がないものにしか私には思えない。

実際、与党の改正案は、
ほとんどの内容は現行法をより細目にわたって規定するようにしたものであるから、
新たに付け加える内容としては愛国心や伝統といったことが主だろう。
だから、争点としては、やはりこの愛国心や伝統といったことが、
現在起きている教育現場の問題と関係があるのかということになる。
(細目的にすることにより管理が強化されるという点も大事かもしれないが。)

そこで思うのだが、
戦時中の軍隊で、
いかに凄惨ないじめが行われたか。

それをちょっと考えれば、
非常に強い愛国心があったところで、
かえっていじめはひどくなっても、
いっこうに解決しないことは一目瞭然ではないか。

軍隊で実際に戦死する前に、
内務班のいじめで殺されたり、自殺する人は、
相当多数にのぼったらしい。
死なぬまではなくとも、
筆舌に尽くしがたい苦痛を味わった人は、
とても多かったことが、
さまざまな当時の手記や回想からうかがわれる。

軍隊内に限らない。
関東大震災における朝鮮人への虐殺など、
愛国心や教育勅語に基づく道徳心がみなぎっていたはずの戦前の日本で、
どれほど卑劣な弱いものいじめや残虐さが横行していたか。

戦前において、
かえって「愛国心不在の戦後の日本」より、
はるかにひどいいじめや残虐行為が行われていたことは、
歴史をちょっとひもとけば簡単にわかる。

戦後の日本は、
それに比べれば、
はるかにましだったのではないか。

愛国心があればいじめがなくなるとか、
愛国心がなくなったからいじめや心の荒廃が進んだとか、
そういう議論ほど根拠のない馬鹿げたものはないと思う。

もちろん、
戦前がすべて良かったわけではなかったのと同様に、
戦後もまた、全く良かったことだらけだったわけではない。
戦後にも是正すべき問題が多くあることは、
現在の抱えている問題を見れば、
一目瞭然だろう。

しかし、それは単に、
GHQの行った改革を押し付けだったからと反発していじくったり、
戦前に回帰するように愛国心を叫ぶだけで、
単純に解決する問題では決してあるまい。

たしかに、
いまの日本には、
心の荒廃やモラルの低下が如実に示されていると私も思う。

しかし、その理由は、
愛国心教育の不在だけということは絶対になく、
もっとさまざまな複合的な理由があろう。

そして、おそらく、他の理由の方が、
ずっと主な理由ではないか。

私が思うに、
その主たる原因は、
あまりにもすべての価値観が市場化され、
単純に経済的に合理化されてしまったことにあると思う。

すべてが、経済における競争に勝ち残ることに価値が還元され、
いわば非合理な、非市場的な価値が、
だんだんと日本の中から排除されてしまったことに、
主な原因があるのではないか。

しかし、人間というものは、
本来非合理な部分を持った存在であり、
人間の存在や人生の根底を支えているのは、
無条件の慈悲という非合理の極みのものである。
これがないと、
絶対におかしくなってくる。

阿弥陀とは、
サンスクリット語で「非計量」という意味だった。

いわば市場や経済競争では決してはかれない、
無条件の慈悲という絶対の価値のことだ。

こうした「阿弥陀」の観点が、
戦後の日本においてだんだんと失われ、
あまりにも失われたことが、
現代起こっている問題の主たる原因だと思う。

そして、これは何も戦後に始まったことではなく、
戦前においても、
資本主義の発展や近代化の進展と共に、
急速に進んできたことだった。

さらにいえば、
人間の生きている限り、
法然の時代でも、
常に過酷な市場経済(高利貸しなど)の問題や、
軍事的な暴力を伴う生存競争があったことを思えば、
「阿弥陀」の精神、
非合理な無条件の慈悲というのは、
常に思い起こされ、
新たに社会に市場とは別の観点から吹き込まれねばならないものだったと思われる。

廃仏毀釈以来、
日本においては、
こうした「阿弥陀」の精神や宗教的情操は、
時に激しく、時にだんだんと、
失われ、戦後に経済的発展と共に加速し、
今に至った。

そうしたことが複合的にからみあって生じている現代の心の荒廃の、
その対処には、
愛国心教育の復権よりも、
よっぽど、
宗教的情操や文学などの教育の方が重要と私は思う。

愛国心よりも、
計量できない無条件の慈悲への感覚を。

日の丸・君が代より、
南無阿弥陀仏を。

私にはそう思えてならない。

べつに南無阿弥陀仏だけでなくてもいいと思うけれど、
宗教的情操や市場的価値を越えた「非計量」的な精神を、
しっかり日本人の魂に取り戻すことが、
何よりも大事であり、
未来のより良い日本を形成しうるのではないか。

教育基本法改正が、
そうした議論をまったく踏まえず進められるなら、
私は現代の心の荒廃に対してなんの貢献もなしえない上に、
かえって時代錯誤な逆効果を生みかねないように思われる。

閉じる コメント(8)

顔アイコン

ほんとに政治はどうなっているのでしょうね。愛国心?こじつけにしかきこえませんよね。学校は宗教はできないのなら芸術や文学などにちからをいれてほしいです。

2006/12/7(木) 午前 9:56 [ - ]

顔アイコン

おっしゃるとおり、芸術や文学に力を入れて欲しいですね。文法のひっかけ問題などはどうでもいいので、万葉集や源氏物語、平家物語でもしっかり読ませるだけでも、長い目で見ればだいぶ違いますよね。源氏物語の背後には源信が、平家物語の背後には法然が、日本の文学には浄土教の影響が非常に大きいので、本当は宗教教育も必要とは思いますが、文学をしっかり教えるだけでも、だいぶ間接的にそうした情操は養えそうですよね。

2006/12/7(木) 午前 11:15 [ miamasavin ]

顔アイコン

古典もすばらしいですね。情緒にふれるような、感動してしまうような、こころが動く教育をしてほしいですね。

2006/12/7(木) 午後 11:14 [ - ]

顔アイコン

本当にそうですね^^ 情緒や情操ということが、教育においては本当はもっとも大事なのに、知識や受験技術ばかりに偏りすぎてきてしまってますよね。古典や近現代の良い、極上の文学を、ゆっくり味わうような教育こそが、いま大切かもしれませんね。

2006/12/8(金) 午前 0:21 [ miamasavin ]

顔アイコン

傑作(0) 2006/12/6(水) 午後 11:54 | 無題 | 練習用 教育基本法改正(悪)案は成立してしまいましたが、miamasavin 様のご卓見ジックリ読みました。勿論、全面的にお説に賛同です。この正論に誰が反論できましょう。貴方のような方こそ国会議員になって欲しいです。

2007/1/17(水) 午後 11:57 [ のかた、わい ]

顔アイコン

コメントありがとうございました^^ 教育基本法は改正されてしまいましたが、宗教的情操の涵養は、これからもつとめていきたいですよね^^

2007/1/18(木) 午前 10:11 [ miamasavin ]

顔アイコン

御説に賛同いたします。南無阿弥陀仏の親は、大悲、同悲。市場原理や人間切り捨て、使い捨ての理とは対極にあります。人の生まれること、生きること、死ぬことが、あまりにも軽く、経済優先の政府により、ますます生きにくい日本社会です。聖徳太子がいまこそ日本政府の首相になるべきです。南無阿弥陀仏

2008/3/12(水) 午後 11:04 [ bjd*g4*0 ]

顔アイコン

おひさしぶりです^^

コメントありがとうございました。

そうですね、聖徳太子のような精神の政治家や有権者がもっと増えればいいのですが・・。
人間切捨ての世の中には、反対していきたいです。

2008/3/15(土) 午後 0:51 [ miamasavin ]

開く トラックバック(1)


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事