全体表示

[ リスト ]

「蓮如における光明主義的要素 触光柔軟の願の重視」


蓮如の御文や聞書を、
よくよく読んでみると、
けっこう触光柔軟の願を重視していて、
法然上人の光明主義と相通じるものがあると思われた。

たとえば、
他力のたとえとして、
洗濯物のたとえをだしている。
濡れた洗濯物は、
自力で乾くのではなく、
太陽の力という他力で乾くのだと。
衆生の罪業が信心念仏で消えるのも、
そのようなものだと。

また、念仏を称えていると、
光に触れて心が和らぐということを再三述べているし、

仏心と凡心と一つになること、
一心とは信を得たと同時に阿弥陀仏の心とひとつになるということだと、

また、衆生の悪い心をなくすのではなく、
そのままに良い心を仏が加えてくれて、
調えてくれる、
ということを述べている。

蓮如が、数多く念仏を称えることを勧めて、
「いさみの念仏」などを勧めているのも、
一念で往生は足れるとしたうえで、
なお報恩のため、
そして報恩の念仏が日々光明を浴びるという要素を、
非常に重視したためと思われる。

蓮如においては、
何も後生ばかりの、
来世重視ばかりがあるわけではなく、
法然上人と同様、
現世における摂化、
光明の要素が非常に重視されていることも、
とても再評価し見直すことが大事ではないかと思われる。

三祖といって、
法然・親鸞・蓮如と並び称されるけれど、
どうも蓮如だけはあの世にばかりウェイトがかかりすぎていると、
最近まで思っていたが、
法然の現当二益、
この世もあの世も最高に救われるという、
そうした教えを正しく踏んでいると、
よく読むととてもわかってきたように思える。

【参考資料】

一 信をえたらば、同行に、あらく物を申すまじきなり。心、和らぐべきなり。触光柔軟の願あり。また、信なければ、我になりて、詞もあらく、諍いも必ず出来するなり。あさまし、あさまし。能く能く、こころうべしと云々 (聞書)


一、 わればかりと思ひ、独覚心なること、あさましきことなり。信あらば仏の慈悲をうけとりまうすうへは、わればかりと思ふことはあるまじく候ふ。触光柔軟の願(第三十三願)候ふときは、心もやはらぐべきことなり。されば縁覚は独覚のさとりなるがゆゑに、仏に成らざるなり。(聞書)


一、一心とは、弥陀をたのめば如来の仏心とひとつになしたまふがゆゑに、一心といへり。
(聞書)

一念帰命の信心をおこせば、まことに宿善の開発にもよほされて、仏智より他力の信心をあたへたまふがゆゑに、仏心と凡心とひとつになるところをさして、信心獲得の行者とはいふなり。(御文)

一、蓮如上人仰せられ候ふ。弥陀の光明は、たとへばぬれたる物をほすに、うへよりひて、したまでひるごとくなることなり。これは日の力なり。決定の心おこるは、これすなはち他力の御所作なり。罪障はことごとく弥陀の御消しあることなるよし仰せられ候ふと云云。
(聞書)

一、衆生をしつらひたまふ。「しつらふ」といふは、衆生のこころをそのままおきて、よきこころを御くはへ候ひて、よくめされ候ふ。衆生のこころをみなとりかへて、仏智ばかりにて、別に御みたて候ふことにてはなく候ふ。(聞書)

閉じる コメント(2)

顔アイコン

私の愚問に答えて書いていただいたものと受け止めております。ありがとうございます。

2007/1/9(火) 午後 2:12 [ 然 無窮 ]

顔アイコン

たまたま、最近蓮如上人の本を読んでいたので、たまたま書いたんですよ!こちらこそ、読んでくださりありがとうございます^^

2007/1/9(火) 午後 7:17 [ miamasavin ]

開く トラックバック(1)


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事