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「高野山で見た親鸞聖人の絵」
もう随分昔のことだけれど、
高野山の宝物館で、
親鸞聖人の肖像画を見たことがある。
行李を背負い、
日焼けした、
とても精悍な男性の像だった。
親鸞聖人といえば、
葬式仏教の浄土真宗の祖で(うちも浄土真宗だったのだけれど)、
悪人を甘やかしたようなことを言い、
程度の低い単純な教えを説いた、
軟弱な公家出身の僧侶、
ぐらいに思っていた私は、
その精気に満ちた肖像に、
とても意外な感を受けたし、感心した。
けれども、その時に驚嘆しただけで、
その後ずっと親鸞聖人については格別興味を持つわけでもなく、
長く縁がなかった。
高野山への旅から帰った後も、
いっそう坐禅の修行に励んだ。
その後人生の危機に禅ではどうしても自分は救われないと思った後も、
真言密教の遍路に救いを求めていた。
そうして、何年もの時が経った。
けれども、
心のどこかに、
あの時のあの絵があったから、
浄土教は本当は精気に満ちた、
本当の生命の脈打ったものだと知っていて、
あのあと随分回り道したあとに、
法然上人や親鸞聖人に深くひかれるようになったのかもしれない。
あの時の一枚の絵を、
何年も経ってから、
しみじみと偲ばれるようになった。
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親鸞聖人が本当にわかるのは、自力の教えが本当にわかってから。それまでは、わからず、つまらぬ誤解をするであろうが、やむをえない。親鸞は大変な巨人である。南無阿弥陀仏
2007/2/9(金) 午後 10:12 [ bjd*g4*0 ]