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自力無効

「自力無効」

自力無効。
ここまで来るのに、ずいぶん時間がかかった。

自力無効。
ここまで落ち込んだ。

自分無効。
私の中には、何も頼りになるものはない。

有限の相対的なものや、
有限の私自身は、
決して頼りになる土台ではないのだ。

頼れるのは、
ただ無限絶対、
阿弥陀仏のみ。

本当に自分の無力を知った者のみが、
本当に強くなれる。
本当にやさしくなれる。

この逆説を、
法然上人も親鸞聖人も、
ペテロもパウロも、
身をもって証した。

自力無効。
ここに落ち込んで、
そこからが新生が始まる。
絶対他力の信心が始まる。

ここまで来るのに時間がかかった分、
ここからは真っ直ぐ往こう。

自力の心を捨てはてて、
力む心も捨て果てて、
ただただ他力にまかせて、
南無阿弥陀仏に生きていこう。

空也上人の白い道

「空也上人」


釈尊の悟られた内容が、
後世にずいぶんわかりにくくなってしまったのを、
唐の時代に善導大師が現れて正しく明らかにした。

その善導大師のこころを、
たった一人で教えてくれる人もなく、
一切経を読む中で見つけた人間が日本に現れた。

あまりにも早すぎた天才は、
後世にあまり正しく伝えられなかったが、
稀に見る求道と衆生済度の生涯をまっすぐに送った。

日本のあちこちを歩きながら、
井戸を掘ったり橋をかけ、
亡き人の魂をとむらい、
生きている人々に無条件の救いを説き続けた。

その目にはいつも涙がたたえられ、
どんな底辺の人々にも悲愛のまなざしと手をさしのべた。
自分を後とし他人を先とし、
他の人のためになることをして自らを忘れる。
(先彼後我、利他忘己)
その精神に生ききった。

「ひとたびも南無阿弥陀仏という人の
 蓮(はちす)のうえにのぼらぬはなし」

この歌を聞いて、
当時の罪人たちは随喜の涙を流した。
それは、空也上人の限りない許しと悲愛のまなざしと声に触れたからだった。

「いかにも身を捨ててこそ」

仏教の真髄をたった一言で言い表わし、
何もかも捨てて自由な風の中に生きた。
人を救うためなら、
戒律を破ることも辞さなかった。

この生きている間にこそ念仏で救われると説いた。
 「極楽は遥けきほどと聞きしかど
  つとめていたるところなりけり」
平生業成のこころをすでに歌にしていた。

阿弥陀仏の化身のような人物。
空也上人が現れたからこそ、
はじめてこの島国にも南無阿弥陀仏の声が鳴り響くようになった。

あまりにも早すぎた天才だったため、
彼の事跡はうずもれてしまったが、
二百年の時を経て、
同じくたったひとりで一切経を読む中で、
善導大師のこころを正しく汲む人物が現れた。
空也上人が育てた救いの苗を、
法然上人が確固とした大樹に育てあげた。

善導大師の種を、
正しく受け継いだ空也と法然。
ああ、私も一生、
空也法然の道に従おう。
この二人の跡をならおう。

釈尊・善導・空也・法然。
一本の白い道。

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