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「念仏の喜びを分かち合える人がいたら」
念仏の喜びを分かち合える人がいたら、
どれだけいいことだろう。
組織でもなく、
上下関係も一切なく、
みんなでただ喜びを分かちあうような。
私は、どんな宗派にも属さないし、
いかなる団体にも組織にも属したくないから、
基本的にひとりが好きだけれど、
念仏の喜びを分かち合うことができたら、
きっと喜びは何倍にもなって、
ずしんと魂に響く喜びがあるのだろう。
法然上人は、
既成の寺院から離れて、
生涯寺も持たずに、
上下関係のない御同行御同朋の世界を開いた。
それは、今日の形骸化した寺院や僧侶とはぜんぜん違った、
ひとりですっくと立った人同士が、
念仏の喜びを分かち合う場だったのだろう。
在家を中心にした、
本当に清新な、
生きた息吹のある集いだったのだろう。
今日の仏教や浄土教が、
ただ形骸化したものになって、
およそ法然上人や親鸞聖人の始めた頃と全く異なる、
僧侶中心のものとなっているならば、
念仏の喜びを分かち合える集いをつくるのは、
ひょっとしたら法然上人がそうだったように、
一から始めないといけないことなのかもしれない。
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