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「悲しみをゆるしと優しさに変えること 法然上人」
法然上人はきっと、
人一倍悲しい思いをしたから、
人の悲しみを思いやるだけの、
魂の深みがあったのだろう。
父が殺され、
母と生き別れ、
師は入水し、
愛弟子は処刑された。
自身も流罪にあった。
最愛の恋人には、最後に一目会いたいとの手紙を受け取りながら、看取りに行くこともできなかった。
法然上人の生涯を思うとき、
どれだけの悲しみがあったか、
そしてだからこそ、
人は限りなく優しくもなれるかを思わずにはいられない。
法然上人の父を殺害した犯人の武士は、
長い放浪の末、
法然上人にめぐりあい、
その教えに帰依したという。
法然上人は、
母からもらった手紙をずっと大事にして、
流罪にあう時まで肌身離さず持っていたという。
龍神になるから住むのにふさわしい池を探してくれと、
師に頼まれて遠い地まで旅して見つけ、
師の入水のあとは師のことを生涯忘れず、
浄土宗を開いたときは、
遠くまで旅してその池まで報告にいった。
最愛の恋人の死後は、
自分がきっと会いに行って抱きしめてあげられなかった慟哭から、
当時の常識を破って、
弟子の親鸞に玉日御前との結婚を勧め支持し、
誰よりも祝福した。
自らの流罪や弟子の処刑ののちも、
その処置をした権力者が、
やがて受ける運命を予言し、
かえって深く憐れんでいた。
ずっとのちに、その権力者は戦争に敗れ島流しになって、
しばらくののち、念仏の教えに帰依したという。
法然上人の人生を思うと、
どんな他の、
仇討ちや天下取りの話よりも、
偉大なものがあったと私には思われてならない。
悲しみを恨みや憎しみに変えることなく、
許しと慈しみに変えることこそ、
本当に偉大なことだと思う。
そして、
それができるという証拠が、
そこにはあった。
南無阿弥陀仏と称えさえすれば、
救われると法然上人は説いたが、
当時の人々は、
南無阿弥陀仏と称える中で、
本当に法然上人が、
悲しみを許しと和解に昇華させていたからこそ、
信じたのだと思う。
私も、
南無阿弥陀仏と称える中で、
いつかいろんな人生で経てきたことを、
もっと昇華させることができれば、
と思えてならない。
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