過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

勢至菩薩和讃

「勢至菩薩和讃」

1、

勢至菩薩の無辺光、
あまねく子らを摂取して、
光の子とぞなしにけり、
とてもかくてもこの身には、
思い煩うことなしと、
自ら範を示しつつ、
常楽我浄に導けり。

2、

忍土に受けし悲しみの、
涙を真珠と変えうるを、
自ら身もて示したる、
勢至菩薩の現し身の、
御目に宿るその色は、
南無阿弥陀仏のその姿、
無縁の慈悲こそ湛えけり。

3、

無縁の慈悲なるみ仏の、
願いを知るが悟りなり、
その釈尊の真髄を、
勢至菩薩のひとり継ぎ、
この島々の枝葉まで、
南無阿弥陀仏を伝えゆき、
紅葉の色に染めあげぬ。

4、

南無阿弥陀仏と称ふれば、
いかなるものも救わると、
勢至菩薩の証誠し、
自ら身をもて生きにけり、
源氏平家のもののふの、
戦ばかりの世にありき、
かくも不思議な物語、
国の宝ぞいつまでも、
のちの世までも語り継がなむ。

5、

大仏焼きしもののふも、
春をひさぎし遊女らも、
魚とり殺す漁師らも、
大泥棒も破戒僧も、
むろん善男善女らも、
あまねく照らす無辺光、
勢至菩薩の口伝ふ、
南無阿弥陀仏を称ふれば、
光の子らとなりにけり、
光の国へ生まれ往く。

6、

勢至菩薩の御目には、
無縁の慈悲こそ湛えられ、
南無阿弥陀仏と称ふれば、
いずこにいても現われて、
影に身に添い守るなり、
おそるることは何もなし、
はばかるものも何もなし、
ただ極楽の身を生きん、
ただこの白道を踏みゆかん。

7、

光明生活・共生浄土、
往還一如の心もて、
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、
一心称名即成道、
なにむずかしきことぞなし、
いともたやすき念仏の、
この道のあるありがたさ、
性のまにまにそのままに、
生まれつきのまま救われゆかん。


【注】
無縁の慈悲=無条件の愛、の意味

「むずかしいことは仏教には何もいらない」



むずかしいことは、
仏教には何もいらない。

ただ光の子となるだけでいい。

何十億年以上も前から、
他ならぬこの私をめあてにして、

み仏が(大宇宙が)、
さまざまな願いをかけ、
配慮をしてきた。

だというのに、
私はずっと気付かずに、
不信と疑惑の中を、
くりかえし生きてきた。

けれども、
み仏は、
「南無阿弥陀仏」ということばさえ称えれば、

速やかに光の中に救い摂って、
光の国へと連れていくと約束してくれた。

この約束を信じて、
ただ南無阿弥陀仏と称えるだけでいい。

自分の努力や能力では、
光の中を生きることも、
光の国に往くこともできない。

ただ南無阿弥陀仏と称え、
何十億年以上も前から私にかけられた、
み仏の願いを受けとろう。

そうすれば、
十二の光がそそがれ、
光の子となり、
光の国に生まれ往く。

仏教の奥義は、
ただこれだけだ。

釈尊が悟ったのは、
このみ仏の願い(大宇宙の縁起の法)に他ならない。

そして、
後世の煩雑な経典や学問の山が見失ったこの真髄を、
再びつかみとって明らかにしたのが、
法然上人だった。
そして、実際法然上人ほど、
み仏の心を生ききった人はいなかった。

むずかしいことは、
仏教には何にもいらないし、
仏教を生きるのに、
何の役にも立たない。

ただ南無阿弥陀仏と称えて、
光に生まれ往けばいい。

むずかしいことは、
仏教にも、
宗教にも、
人生の救いにも、
何にもいらない。

ただ南無阿弥陀仏と称えれば、
光の子となり、
一切を昇華し、
光の国に生まれ往く。

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事