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「法然上人の“寺院無用論” 念仏と供養についての若干の考察 その3」
法然上人は、
“寺院無用論”を結論していたのだと思う。
実際、生涯ひとつの寺も持たず、
終始市井の中での生涯を貫いた。
法然上人は、
念仏さえ称えて信心をいただけば、
どんな人でも死後は浄土に往生すると説いた。
また、亡くなった人への供養にも、
念仏さえ称えれば、
阿弥陀仏が光を放って救い、
苦しみは止み、解脱できると説いた。
さらに、
在家が称える念仏も、
出家が称える念仏も、
功徳になんら変わり目がないと説いた。
要するに、
自分のにも他人のにも、
死者の供養にはなんら、
寺院や僧侶を必要としないという結論になる。
真心をこめて、
自分が念仏を称えればいいということになる。
寺院や僧侶の仲介はなんら必要なく、
各人がそれぞれ直接に、
念仏を通して仏と結ばれればいい。
職業を持って市井に生きる人が、
それぞれ阿弥陀仏に直結できる。
この結論は、
当時の寺院にとっては許しがたいものだったろう。
当時、聖道門の諸寺院は、
死後の不安を抱えた多くの人から、
莫大な寄進を受けていた。
さらに寄進を受けるため、
地獄絵図などを宣伝し、
人々に死後の恐怖を吹き込み、
亡霊の祟りの恐怖を吹き込んでいた。
自分の浄土往生や、
亡くなった人の成仏を願う人々から、
諸寺院は祈祷料や供養料として莫大な寄進を受けていた。
そうした状況に対して、
法然上人は根本的な異議申し立てを行ったことになる。
自分の死後も、亡くなった人の死後にも、
なんら僧侶を仲介する必要はない。
坊主にお布施を払って供養してもらう必要はない。
自分が念仏を称えればいい。
こうした法然上人の主張が、
もし多くの人に受け入れられれば、
寺院の葬式ビジネスは致命的な打撃を受ける。
当時、法然上人が南都北嶺の諸寺院の僧侶から常に迫害され、
しばしば大規模な法難を受け、
死後は墓まで破壊されたことは、
このような寺院の利権に、
致命的な打撃を与えかねなかったことによるのだろう。
法然上人の革命的な異議申し立ては、
その後ほとんど理解されず、
受け継がれることもなかった。
早くも、その弟子の鎮西上人や西山上人は寺院を構えていたようだし、
親鸞聖人は法然上人の精神をよく汲んで弟子を一人も持たず過ごしたようだけれど、
その子孫は最も巨大な寺院と葬式ビジネスをつくりあげていった。
法然上人の時代から八百年経った現代も、
今もって、
日本の仏教のあり方は、
坊主にお布施を払ってお経を読んでもらって、
死者の成仏を願っている有り様で、
なんら八百年前とさして状況は変わっていないだろう。
いかに法然上人の称えた仏教が、
先駆的で、革命的なものだったか。
今の日本の状況から見ても、
あまりに早すぎるものだったか。
そのことは、
もう一度考え直されてしかるべきと思う。
仏教が葬式仏教から脱却して真に復興されるのは、
この法然上人の精神に立ち返ることにあると思う。
職業をもって市井に生きる人が、
信心を語り合うような場所は必要だと思うし、
あった方がいいと思うけれど、
それは葬式ビジネスや今日の寺院とは、
まったく違うし、
これから一からつくっていかなくてならないものかもしれない。
仏と会うためには、
何も寺に行く必要も僧侶にお布施を払う必要もなく、
自分の一声一声の念仏があればいい。
これが、法然上人の教えだった。
そして、自身の遺言で、
法然上人が、念仏を称える人のところには、
どこにでもいると遺言してくださった。
いったいそのことは今、
どれぐらい覚えられていて、
受け継がれているのだろう。
まったく受け継がれてこなかったのが、
この八百年の日本の仏教史であったと思う。
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