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「往生とは永劫宇宙とひとつになること」


往生とは、
南無阿弥陀仏と称えて、
私と永劫宇宙がひとつになること。

私が帰命し、
阿弥陀仏の働きとひとつになること。

南無阿弥陀仏とは、
往生とは、
そういうことだ。

法然上人は、
往生は平生にわたると言った。

良忠上人は、
往生とは悟道のことだと言った。

一遍上人は、
「念仏往生とは、念仏即往生なり。
南無とは能帰の心、
阿弥陀仏とは所帰の行、
心行相応する一念を往生といふ」
と言った。

それらを踏まえれば、
往生とは死後のことではなく、

今生きている時からのこと。

たしかに、
死んだ後に浄土往生することも大事だが、

たった今ここで、
往生することこそ、
永遠とひとつになって救われる呼吸こそ、
浄土教の真髄ではあるまいか。

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「詩を書き始める発願 その7」

詩を六百、
書き綴ってきた。

出来はともかく、
なんとか続けてきた。

あと百、
七百まで書いていこう。

一心称名の中で。
思ったことを、
そのままに、

あるがままに、
その時々に爆発させながら、

表裏相応、
真実に書いていこう。

読む人はほとんどいないけれど、
何よりも自分のため、
自分の形を確かめることだし、

こんな詩でも、
中にはちゃんと読んでくれる人だっているのだから。

かれこれ、
ブログをはじめて半年になる。
このブログを通じて教わったことや、
紹介してもらった本は数知れない。

これからも、
他人のためではなく自分のために、
虚仮のためではなく真実心のために、

そして、その中で響きあう人がいれば、
その響きのために、

阿弥陀仏を讃え、
鉄のような確信を自分の中につくりあげていくために、

日々念仏しながら、
少しずつ詩を綴っていこう。

真の宗教のか細い道を目指して、
生を謳歌しながら。

生を肯定し救済する、
そんな詩を目指していこう。

本願に選択され、
本願を選択し、
日々歩んでいこう。

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「真の宗教とはか細い道  ―生の否定でも単なる世俗主義でもなく」


この世に生きることの肯定が、
できなければ、
そんな宗教は偽りだと思う。

しかるに、
世の中の大半の宗教は、
肯定よりはむしろその逆の、
生の否定ばかりしてきたのではなかろうか。

世の中の宗教というものの大半は、
迷信に満ち、
恐怖をあおり、
道徳的抑圧でがんじがらめにして、
人間が生を謳歌するのを妨げてきた。

中世という時代は、
洋の東西を問わず、
そのような生の否定の宗教が人々を抑圧し、
大手を振っていた時代だった。

生を深め、
生を輝かすものでなければ、
宗教などというものは存在の価値はあるまい。

真の宗教とは、
生の肯定である。

しかし同時に、
宗教というものは、
生の救済でもなくてはならない。

宗教とは人間の生死に関るものであり、
この世だけの視点からのこの世の肯定ではない。

単にこの世の視点からだけの、
救済論のない生の肯定などというものは、
底の浅いもので、
生死にかかわる人生の苦難にあっという間に粉砕されるものだろう。

この世だけのものでは人間は救われない。
別に、この世のだけのものとは別の次元いというのは、
何もあの世とは限らない。
永劫ということであり、
刹那とはまた別の次元のことだ。

永遠にかかわり、
そのかかわりにおいて生の意味を知ること。
それが救済であり、
宗教ということだと思う。

近代とは、
中世における生を否定する宗教の批判から始まったが、
永劫や永遠という魂の次元を忘れ、
刹那の次元のみの世俗主義に陥り、
救済や生きる意味を見失った時代だったと思う。

近代の世俗主義とも異なり、
中世の生の否定の宗教とも異なる、
そんなか細い道が、
真の宗教ではなかろうか。

しかるに、
真の宗教とは、
あまりにも少ないと思う。
大半は、生の否定の宗教か、
宗教を見失い忘れた単なる世俗主義に過ぎない。

どの宗教の中にも、
真の宗教のか細い道を辿った人がいたかもしれないが、
私が知るかぎりではあまり多くない。

その稀有な例が、
法然上人だったと私は思う。

「生まれつきのまま」の生を肯定し、
ただ念仏を称えるだけで永劫と相即するという、
その宗教の深みは、
弁栄上人などを除いてあまり継承されてこなかったし、

法然上人の宗教が、
道徳的抑圧や迷信からの解放であり、
最も簡単で速やかな宗教的救済であることすら、
未だに十分には評価されていない。

しかし、
もし生の否定も単なる世俗主義も避けようとするのであれば、
そのどちらにも救いを見出せないことを直視するのであれば、
もう一度、
このか細い真の宗教の道を、
二十一世紀には見直すべきだと思う。

人生の四つの目的

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「人生の四つの目的」


自然法と、
実利と、
性愛と、
解脱と。
(ダルマ・アルタ・カーマ・モクシャ)

その四つを、
ヒンドゥー教では人生の目的とするそうで、

陰々滅々たる日本の仏教よりは、
よほど人生の目的として、
はっきりといのちを謳っていると思う。

本当は、
法然上人も、
この四つを大いに肯定して、
勧めることばを残しているわけで、

浄土教や仏教においても、
この四つを求めて、
人生を謳歌する道が本当はあるのだと思う。

自然法と、
衣食住と、
恋愛と、
三昧発得と。

私もこの四つの道を、
念仏の助業としてよくよくたしなんで、
一心称名の中、
生きて往こう。

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「永劫宇宙とひとつになり」


永劫宇宙とひとつになり、

無量の縁に生かされており、

南無阿弥陀仏。

花があり、森があり、

滝があり、海に着き、

南無阿弥陀仏。

私の住む町があり、
地球があり、
宇宙がある。

南無阿弥陀仏。

無量の光、
無量のいのち、
歓喜の光、
南無阿弥陀仏。

人生の目的とは、
阿弥陀仏と出会い、
その喜びを己が喜びとすること。

永遠の光の現われを生きること。

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