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「詩を書き始める発願 その9」


いつの間にか、
八百も詩を綴ってきた。

念仏の暮らしの中で、
本願に乗りながら。

出来はともかく、
これからも、

その時々の自分の事実を、
正直に綴っていこう。

できれば、
還相の味を出したいものだ。

信心が往生・還相していることと、
わが身がそうでないことの、
相克も含めて。

願いの真っ只中にいることの、
自覚を持って、
もっとその歓びを、
詩にしていこう。

坂本竜馬

「坂本竜馬」


今日は坂本竜馬の命日。

私が幕末で一番好きなのは、
勝海舟だけれど、
坂本竜馬も大好きだ。

土佐の海のような人物。
日本が今までに持った、
最もすばらしい人間のひとりであることは、
間違いないだろう。

願わくば、
坂本竜馬のように、
自由に、
人を深く愛して、
真剣に何かに打ちこんで、
生きたい。

願いの真っ只中

「願いの真っ只中」


願いの真っ只中にいる。

浄土教とは、
ただただそのことを、
くりかえし聞いて、
自覚することなのかもしれない。

「大江健三郎『政治少年死す』を読んで」


大江健三郎『政治少年死す』は、
山口二矢をモデルとした短編小説で、
右翼の脅迫にあって未だに一切公刊できずにいる、
つまり本になっていない小説である。

高校の頃、そんな小説があると文学史年表で知って、
いつか読んでみたいと思っていたら、
なんのことはない。

いま便利な世の中で、
インターネットでちょっと検索をかけると、
すぐに全文公開してあるHPがあった。

読んでみると、
なるほど、たしかに面白かった。
私事だけれど、
少々自分の高校生の頃に重なった。

この小説の第一部の『セブンティーン』は、
ちゃんと文庫本にもなっている。
そっちの方をすでに読んだことがあったのでわかったけれど、
これだけ読んでも読者にはイマイチわかりにくい小説かもしれない。

時代背景は少々違うけれど、
窪塚洋介の映画『凶気の桜』と似たようなテーマを、
ずっと先取りして、しかも面白く描いているように思えた。

日本における右翼的な情念や、
あるいは右翼的な狂気というのを、
大江健三郎という作家は、
本人は左翼だというのに、
意外なほど的確に理解して把握している。
おそらく、
どこかに本人にもこういうファナティックなところがあって、
それに共感・理解できる心もあり、
なおかつすでに乗り越えているので、
あえて右翼にはならなかった人のように思える。

それぐらい、
この小説は、
少々魅力的なほどに右翼的情念の面白さを描いていて、
ある種のエクスタシーと美学をきちんととらえていた。

こうした情念は決して過去のものではなく、
今も窪塚の映画が数年前につくられたり、
小林よしのりにかぶれる若者だって多いのだから、
現代社会の虚しさや現実の索漠さに不安を抱える若者ないし年配の人にとって、
右翼的な情念というのは、
いまもって一定の層には健在の、
アピールする要素のあるものなのだろう。

そうであればこそ、
この小説はちゃんと公刊して、
世の中に本になって出回って欲しい気もするのだけれど、
なかなかそこまで度胸のある出版社も今もってないのかもしれない。

もっとも、今はネット上で気軽に読めるので、
わざわざ出版する必要はないのかもしれない。
要は、本人が読むかどうかなのだろう。

私もかつて、
この小説の登場人物の安西のように『きけ・わだつみのこえ』を随分愛読した時期もあったし、
2.26事件に興味をもって随分調べたこともある。

ただ、時代背景の違いだろうか、
山口二矢やこの小説の主人公の場合は、
仮想敵は左翼だったようだけれど、
私のものごころついたときにはとっくに左翼は低調で、しかもナンセンスで、
妄想の中で自分がクーデターやテロを起こすならば、
左翼ではなく保守党の権力者こそターゲットにしたいと思っていた。
そこが、時代背景の違いかもしれない。

それに、自分の実存をかける絶対的存在というのが、
日本では昔からてっとりばやく天皇という存在がいて、
この小説もそうした存在としての天皇が描かれているけれど、
よくよく考えれば、
何も絶対的存在は天皇でなくてもいい。

むかし、福田恒存が、
絶対者がいないとしたとき、
あえてそれでも虚構でも絶対者をつくりだす方がいい、
だから天皇を持った戦前の方がまだしも何ら絶対的存在がないよりいいではないか、
という主旨のエッセイを書いていたけれど、
その主旨に沿うなら、
それは何も天皇でなくてもよかろう。

新興宗教が嘘くさいし下等なので自分の実存をかける気がしなかったり、
あるいはキリスト教が外来のものなのでそういう気になれないとするならば、
日本には昔から、もうひとつ阿弥陀仏という究極の絶対的存在がある。
戦国時代などは、
天皇の忠義な臣下以上に、
多くの百姓や武士が阿弥陀仏に己のいのちをかけてバタバタ死んでいった。

世の中には、
現実的な世界の中で満足できる人間と、
何か永遠や不死を担保してくれる絶対的な存在や絶対的な価値がなくては生きていけない類の人間がいるけれど、

私としては、
そんだけ情念を迸らせるなら、
阿弥陀仏でいいんじゃない、
という気がした。

この小説の中で、
主人公が一時農園で働き、
仏教徒の若い女性から仏教の話を聞くシーンがあって、
どうもその女性は禅宗の人のようなのだけれど、
あまり究極的な価値の対象が存在せず、
自分の実存を放棄して賭ける対象のないニヒリスティックな禅宗ではなく、
この女性が浄土教の人だったら、
案外主人公に、
もうひとつの別の道を示しえたのではないかと思うのは、
単なる私の空想や妄想に過ぎないのだろうか。

もうひとつの、
別の物語がそこにありえて、
そうしたら、この小説の、
そして実際にあってしまった、
悲劇が回避できたのではあるまいかと思う。

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