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「阿弥陀さまがしてくださった」


見守ってくださった

ひとりごを慈しむように

無限の慈悲をたれてくださった

光をそそいでくださった

救いとってくださった

御恩御用

「御恩御用」

阿弥陀様と三祖の御恩御用(ごゆう)によって、

昨年は浄土のようなすばらしい毎日を過ごせた

今年はもっときっと恵まれるだろう

日々感謝の心で念仏を称え

御恩返しに励んで生きて往こう

一心一向にたのもう

「一心一向にたのもう」

自力でなんとかしようと思ってきたから

苦悩してきた

ただ阿弥陀様に

一心一向にたのめばいい

光の中を往けばいい

苦悩は迷妄

「苦悩は迷妄」


苦悩はすべて

私の心の迷妄が生み出した

実体のない妄念だと

清沢満之の文章を読むたびに教えられる

そのたびに立脚地に戻る

「蓮如における光明主義的要素 触光柔軟の願の重視」


蓮如の御文や聞書を、
よくよく読んでみると、
けっこう触光柔軟の願を重視していて、
法然上人の光明主義と相通じるものがあると思われた。

たとえば、
他力のたとえとして、
洗濯物のたとえをだしている。
濡れた洗濯物は、
自力で乾くのではなく、
太陽の力という他力で乾くのだと。
衆生の罪業が信心念仏で消えるのも、
そのようなものだと。

また、念仏を称えていると、
光に触れて心が和らぐということを再三述べているし、

仏心と凡心と一つになること、
一心とは信を得たと同時に阿弥陀仏の心とひとつになるということだと、

また、衆生の悪い心をなくすのではなく、
そのままに良い心を仏が加えてくれて、
調えてくれる、
ということを述べている。

蓮如が、数多く念仏を称えることを勧めて、
「いさみの念仏」などを勧めているのも、
一念で往生は足れるとしたうえで、
なお報恩のため、
そして報恩の念仏が日々光明を浴びるという要素を、
非常に重視したためと思われる。

蓮如においては、
何も後生ばかりの、
来世重視ばかりがあるわけではなく、
法然上人と同様、
現世における摂化、
光明の要素が非常に重視されていることも、
とても再評価し見直すことが大事ではないかと思われる。

三祖といって、
法然・親鸞・蓮如と並び称されるけれど、
どうも蓮如だけはあの世にばかりウェイトがかかりすぎていると、
最近まで思っていたが、
法然の現当二益、
この世もあの世も最高に救われるという、
そうした教えを正しく踏んでいると、
よく読むととてもわかってきたように思える。

【参考資料】

一 信をえたらば、同行に、あらく物を申すまじきなり。心、和らぐべきなり。触光柔軟の願あり。また、信なければ、我になりて、詞もあらく、諍いも必ず出来するなり。あさまし、あさまし。能く能く、こころうべしと云々 (聞書)


一、 わればかりと思ひ、独覚心なること、あさましきことなり。信あらば仏の慈悲をうけとりまうすうへは、わればかりと思ふことはあるまじく候ふ。触光柔軟の願(第三十三願)候ふときは、心もやはらぐべきことなり。されば縁覚は独覚のさとりなるがゆゑに、仏に成らざるなり。(聞書)


一、一心とは、弥陀をたのめば如来の仏心とひとつになしたまふがゆゑに、一心といへり。
(聞書)

一念帰命の信心をおこせば、まことに宿善の開発にもよほされて、仏智より他力の信心をあたへたまふがゆゑに、仏心と凡心とひとつになるところをさして、信心獲得の行者とはいふなり。(御文)

一、蓮如上人仰せられ候ふ。弥陀の光明は、たとへばぬれたる物をほすに、うへよりひて、したまでひるごとくなることなり。これは日の力なり。決定の心おこるは、これすなはち他力の御所作なり。罪障はことごとく弥陀の御消しあることなるよし仰せられ候ふと云云。
(聞書)

一、衆生をしつらひたまふ。「しつらふ」といふは、衆生のこころをそのままおきて、よきこころを御くはへ候ひて、よくめされ候ふ。衆生のこころをみなとりかへて、仏智ばかりにて、別に御みたて候ふことにてはなく候ふ。(聞書)

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