念仏の詩

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白い道を歩きぬこう

どんなにつらかろうと
 
生きていかねばならぬ
 
どんなに落ち込もうとも
 
どんなに悲しかろうとも
 
白い道を歩きぬこう

呼びづめに呼ばれて

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「呼びづめに呼ばれて」



呼びづめに呼ばれていて、
いまやっと気付いた。
いのちの大河に。

呼ばれっぱなしに呼ばれていて、
やっと気付いた。
この宇宙の願いに。

この身このままで、

宇宙のいのちとひとつ、
いのちの大河とひとつ、

何の差支えもない。
何のこだわりもない。

何の、
このままではいけないという、
注文もない。

この身そのままで、
呼びどおしに呼ばれていた。

そのままで救う、
と。

南無阿弥陀仏。
南無阿弥陀仏。

この身そのままで

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「この身そのままで」


なんとまぁ、
自分で力んで、
じたばたして、

せっかく与えられているこのいのちを、
尊びもせず、
喜びもせず、
自ら否定してきたことか。

この身そのままで、
すでにみ仏の願いの結晶。

阿弥陀仏の大事な子ども。
妙なる作品。

生まれつきのままで、
百点満点。

この上なく尊い、
無限他力の現われ。

そのことがわからず、
自らつくった袋小路に入りこみ、
じたばたとしてきた。

南無阿弥陀仏の光のおかげで、
少しずつ力みが解けて、

勝手に減点してきた自分が、
実は阿弥陀仏の大事な作品であり、
瓦礫ではなく黄金であり、

どんな時も尊ぶべき、
百点満点のものだと、
少しだけ見えてきた。

帰還真実

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「帰還真実」


念仏とは、
真実に帰還することだ。

弘法大師は、
阿弥陀仏とは“真実”を指す言葉だと、
『理趣経開題』の中で言った。

一遍上人は、
弘法大師のその言葉を、
ことのほか愛していた。

法然上人や善導大師も、
念仏の一声一声に、
阿弥陀仏の真実心が与えられると説いた。

つまり、
阿弥陀仏とは真実のことであり、

南無阿弥陀仏とは、
真実に帰還することに他ならない。

およそ、
真実から外れたものは、
阿弥陀仏とは別のもの。

真実であれば、
すなわち阿弥陀仏。

そうであるならば、
浄土教は、
本当は、科学の探求と一致するべきで、

信仰と科学が一つになるような、
宗教と科学が究極的に一致するような、
そんな営みでなくてはなるまい。

真実とは何か、
そのことを常に問い、

天地いっぱいの真実を受けて、
一挙手一投足魂をこめて生きていく時、

きっとそこに、
本当の往生や救済もあり、
本当の念仏もあり、
本当の科学もある。

南無阿弥陀仏、
帰還真実、
帰依真実、
帰命真実。

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「永劫宇宙の働きに生かされている味わい」


永劫宇宙の働きに生かされている。

ひたすら念仏すれば、
誰でもたやすくそのことを、
味わうことができる。

万法に証されるだとか、
言葉だけで言ってもどうしようもない。

自分自身が、
深いいのちを味わい、
生きねば、
宗教は何にもならない。

念仏し、
永劫宇宙の働きに生かされていることを味わい、
真に生きることこそ、
仏教の精髄、
大乗の至極。

念仏を知っていながらせずに過ごす人は、
無量の宝の山に入って、
むなしく帰るようなものだと、
法然上人は言ったけれども、
私もかつて本当にそうだった。

念仏三昧の中、
永劫宇宙の働きに生かされていることを、
味わう暮らしに、
歓喜信受がある。


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