念仏の詩

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「不安な世の中を生き抜く念仏を」


未来に不安を抱えて、
誰もが生きているのだと思う。

かなりな金持ちではない限り、
誰もが将来に不安を抱えて、
この時代を生きている。

いつからこんな国になり、
こんな社会になったのか。

希望が持てない、
格差がどんどん開いていく、
そんな世の中になった。

べつに怠け者だからというわけではなく、
意欲があっても、働いていても、
なお貧しくなり続ける人が、
今の日本には多くなってきた。

私は何もしてあげることはできないけれど、
せめていつか、
おそれなき心を、
いろんな人にプレゼントすることができるようになれたらと、
そう思う。

結局、釈尊も法然上人も、
その時代の貧富の格差や闘争を、
必ずしもすべてなくしたわけではないけれど、

出会う人に、
おそれなき心を、
無畏のこころを布施した。
不安や心配から人々を解放することをした。
そして、それが最も偉大なことだった。

本当に人々を不安から解放するには、
社会の仕組みを工夫することも大事だけれど、

それはいつできるかわからないし、
社会の仕組みをいくら工夫しても、
なお人間が生きていくには不安や恐れはつきまとうだろう。

いかなる世にあっても、
いかなる社会の仕組みにあっても、

まず無条件に愛され、
無条件に許され、
無条件に幸せであることを、

知ることが大事だと思う。

それには、
南無阿弥陀仏しかない。

そのうえでこそ、
社会の仕組みの改善もある。

まずは、
今の世の中の中で、

安心し、
積極的なこころを持つこと。
それを示すこと。

そのためには、
南無阿弥陀仏と称えて、
自分の運命を愛し、
運命を肯定して、
生きていこう。

たとえ崖から落っこちるとしても、
地面に着くまでは安心して生きていこう。

そして、
たとえ世界が亡びる運命にあるとしても、
抵抗しながら滅んでいこう。

滅ぶとしても、
何も憂いず、
大いに高らかに笑って生きていこう。

不安な世の中を生き抜いていく念仏を。

高らかに笑って、
安心して生き抜いていく念仏を。

それこそ、
末法の世において、
法然上人が示した道。

この道を、
生きていこう。
法然上人のように。

念仏は波動調整

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「念仏は波動調整」


念仏は、
波動調整。

むしゃくしゃしていた心が、
嘘のように消えていく。

怒っていた心が、
すっと鎮まる。

乱れていた心が、
静かに澄んでいく。

曇ったり闇のように感じていた心が、
とても落ち着いた、
大らかな光の心になる。

ただ南無阿弥陀仏と称えるだけで、
自分のバイブレーションが整えられていく。

すべての物質が波動ならば、
私もまた波動。
日々整える必要があるもの。

世の波風に、
自分の波動が乱れたとしても、

ただ念仏を称えるだけで、
速やかに、
和やかなバイブレーションとなる。

南無阿弥陀仏は、
最も簡単で、
最も優れた、
波動調整。

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「生きている間はずっと念仏の功徳が積もっていく」


南無阿弥陀仏とは、

私の人生を、
すべて阿弥陀様にお任せすること。

阿弥陀仏の願いを、
私の心に映すこと。

阿弥陀仏の喜びを、
私の心に映すこと。

私という一滴の水が、
生命の大河に還ること。

大宇宙の進化向上と平等の慈悲を、
己が願いとし、
その助成に生きること。

阿弥陀仏のあらゆる功徳が、
そのまま私に与えられていくこと。
開かれていくこと。

いとも簡単なこの一声一声を、
毎日ただ繰り返すだけで、
どれだけ深い縁が阿弥陀仏と結ばれ、
どれだけ莫大な功徳が積まれることか。

昔は生きることが時にしんどく、
めんどくさいと思ったこともあったが、

法然上人の教えとめぐりあって、
生きている間に極楽を、
いともたやすく生きる道があるとわかってからは、

無理に死のうとも生きようとも思わなくなった。
ただ南無阿弥陀仏と称えて、
肩の力を抜いて生きて往こうと思うようになった。

「生けらば念仏の功積もり、
死なば浄土へ参りなん。
とてもかくてもこの身には、
思いわずらうことぞなし」

生きている間は、この人生は決して無駄ではなく、
念仏の功徳がずっと積もっていく。

念仏の功徳がずっと積もっていくということは、
生きている間に錬金術のように、
私の心がみ仏の本願へと変容していくということであり、

この上ない喜びや幸いの、
種が私の心に蒔かれて、
育っていくということだ。

いずれにしろ、
生きるにしても死ぬにしても、

念仏さえ称えていれば、
何も心配する必要はない。

ただありのままに生きていけばいい。

生きている間も死んで後も、
極楽を生きることは間違いないのだから。

ならば、生きている間も、
いっぱいこの念仏の喜びを喜んで、
明るく楽しく、
思い煩うことなく、
日々の恵みを味わい往こう。

おそらくそれが、
真に生きるということ。
生まれてきた甲斐というもの。

大宇宙が何十億年もかけて、
私へとかけてきた、
願いそのもの。

念仏しているうちに、
そう思うようになった。

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「本願へと心を変容させていくこと」


本願へと心を変容させていくこと。

日々の念仏も読経も遍路も、
私の心を本願へと変容させていただくためのもの。

阿弥陀仏のみ旨を、
己が心に映すためのもの。

生活の中の出来事や試練や恵みも、
そのためのもの。

阿弥陀仏の四十八の本願とは、
要するに、平等の慈悲と進化向上と浄土建立との、
三つにまとめられる。

かくも愚かしく、
何が善いやら悪いやら、
さっぱり倒錯してわからなかった、
凡夫の私が、

ただ南無阿弥陀仏の名号の力で、
平等の慈悲と進化向上と浄土建立の願いの方へと、
心を変容させられていく。

少しずつ導かれ、
心が深められていく。

阿弥陀仏の本願の宮仕えを、
法然上人は念仏者の生き方として勧めた。

つまり、宇宙の進化向上の助成、
平等の慈悲と浄土建立の実現こそ、
念仏者の生き方ということだ。

本願の方へと心を変容させていくことこそが、
一声一声の念仏であり、
生きる限り続いていく精錬であり、
生きる意味に他ならない。

南無阿弥陀仏、
生命の大河につらなり、
大宇宙の願いを願いとして生きて往こう。

私もこの大宇宙のひとかけら、
阿弥陀仏の映った一滴のしずくなのだから。

朝の勤行

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「朝の勤行」


四誓偈、真身観文、阿弥陀経、
願生偈、一枚起請文、十二光礼讃、

早朝に拝読し、
念仏を称えていると、

心の奥から、
体の奥から、
喜びが湧き上がる。

如是我聞、
如是我聞、

歓喜信受、
歓喜信受、

阿弥陀仏は常に経文を通して、
いま私に説法してくださる。

阿弥陀仏今現在説法、

光が私に入ってくる。
阿弥陀仏が、
私の六根六識に入ってくる。


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