念仏の詩

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「無条件の愛と永遠と無限」


人の愛は条件つき。

阿弥陀仏の愛は無条件。

人の知恵は有限。

阿弥陀仏の智慧は無限。

人のいのちは無常。

阿弥陀仏のいのちは永遠。

ただ南無阿弥陀仏と称えるだけで、
有限な私が、

日々に無限と永遠と心通わせ、
無条件の愛をいただくことができる。

南無阿弥陀仏と称え、
無条件の愛に生きることが、
永遠に生きることができる。

南無阿弥陀仏、
一声に、

無条件の愛と永遠と無限が、
私に現われて、

触れることができ、
味わわれていく。

同行無数

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「同行無数」


阿弥陀様と同行二人、

法然上人と同行二人、

お大師さまと同行二人、

いや、
同行無数。

念仏者は、
同行無数。
それが法然上人の教え。

南無阿弥陀仏と称えれば、
阿弥陀仏、観音・勢至、
二十五菩薩、四天王、八大竜王、
天神地祇、あらゆる阿弥陀の聖衆たちの、
あらゆる加護がある。

私を生かしてくれている、
あらゆる先祖や先達の
加護がある。

この人生の白い道を、
無数の仏菩薩の守護の中、
生きていくことができる。

み仏のまなざしを忘れず、
常に寄り添い守ってくれる聖衆たちを忘れず、
大いに安んじて往こう。

念仏者は同行無数、
大宇宙の無限の生命とつながって、
不動の境地を生きて往く。




【参考資料】
選択本願念仏集 第十五章



 観念法門に云く、「また弥陀経に説くが如き、もし男子女人あつて、七日七夜および一生を尽して、一心に専ら阿弥陀仏を念じて、往生を願ずれば、この人は常に六方恒河沙等の仏、共に来たつて護念したまふことを得。故に護念経と名づく。護念の意は、またもろもろの悪鬼神をして便りを得しめず。また横病横死、横に厄難あることなく、一切の災障、自然に消散しぬ。不至心をば除く」と。
 往生礼讃に云く、「もし仏を称して往生する者は、常に六方恒沙等の諸仏のために、護念せらる。故に護念経と名づく。今既にこの増上の誓願あり、憑むべし。もろもろの仏子等、何ぞ意を励まさざらむや」と。
 私に問うて曰く、ただ六方の如来のみあつて、行者を護念したまふはいかんぞ。答へて曰く、六方の如来のみに限らず、弥陀・観音等、また来たつて護念したまふ。故に往生礼讃に云く、「十往生経に云く、もし衆生あつて、阿弥陀仏を念じて往生を願ずれば、かの仏は即ち二十五の菩薩を遣はして、行者を擁護したまふ。もしは行、もしは坐、もしは住、もしは臥、もしは昼、もしは夜、一切の時、一切の処に、悪鬼・悪神をして、その便りを得しめざるなり」と。また観経に云ふが如く、もし阿弥陀仏を称礼念して、かの国に往生せむと願ずれば、かの仏、即ち無数の化仏、無数の化観音・勢至菩薩を遣はして、行者を護念したまふ。また前の二十五の菩薩等と百重千重に行者を囲遶して、行住坐臥を問はず、一切の時処に、もしは昼、もしは夜、常に行者を離れたまはず。今既にこの勝益あり、憑むべし。願はくはもろもろの行者、おのおのすべからく至心に往くことを求むべし。
 また観念法門に云く、「また観経の下の文の如く、もし人あつて、心を至して常に阿弥陀仏および二菩薩、観音・勢至を念ずれば、常に行人と勝友・知識となつて随逐影護したまふ」と。また云く、「また般舟三昧経の行品の中に説いて云ふが如し。仏の言はく、もし人専らこの念弥陀仏三昧を行ずれば、常に一切の諸天および四天大王・竜神八部の随逐擁護し、愛楽し相ひ見ることを得て、永くもろもろの悪鬼神、災障・厄難、横に悩乱を加ふることなし。つぶさには護持品の中に説くが如し」と。また云く、「三昧の道場に入るを除いては、日別に弥陀仏を念ずること一万、命を畢るまで相続すれば、即ち弥陀の加念を蒙つて、罪障を除くことを得。また仏、聖衆とともに常に来たつて護念したまふことを蒙る。既に護念を蒙りぬれば、即ち年を延べ寿を転ずることを得」と。

念仏は魂の翼

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「念仏は魂の翼」


念仏を称えると、
魂が翼を得る。

天使のような翼を得て、
魂は浄土へと翔りゆく。

念仏さえ称えれば、
魂の自由を得る。

地上の重力につなぎとめられ、
長く忘れていた魂の自由を、
人は取り戻す。

死んでからではない。
魂の自由は、
いま生きている時から得ることができる。

念仏は翼だという、
法然上人のことばの、
なんと詩的なイメージに満ち、
深い体験に基づいていることか。

【参考資料】

「名利は生死のきずな、三途の鉄網にかかる。称名は往生のつばさ、九品の蓮台にのぼる。」
(高階入道西忍に示されける御詞並に御歌 昭法全709)

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「まずは念仏という霊薬を飲もう」


心を澄まし、鎮めてから、
念仏を称えるのではない。

念仏が心を、
澄まし、鎮めてくれる。

健康になってから薬を飲むのではない。
薬を飲んで健康になる。
それと同じこと。

法然上人は、
念仏を霊薬と言った。
最上の魂の薬だと。

まずは、
乱れ散る心、欲深き心のままで、
念仏をただ称えること。

そうすれば、
光化され霊化され、
穏やかで円満な人格となり、
やがて心が静かに澄んでくる。

まずは念仏すること。
まず霊薬を飲むこと。

そこから、
魂の健康も、開運も、
すべて始まる。

【参考資料】
「ただ念仏の力のみあって、よく重罪を滅するに堪へたり。故に極悪最下の人のために、極善最上の法を説くところなり。例するに、かの無明淵源の病は、中道府蔵の薬にあらずは、即ち治することあたはざるが如し。今この五逆の重病の淵源は、またこの念仏の霊薬府蔵なり。この薬にあらずは、何ぞこの病を治せん。」
(「選択本願念仏集」第十一節)

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「阿弥陀仏は根源、念仏は鍵」


あらゆる世界の物事は、
すべて阿弥陀仏の相好・光明・説法・利生。

美しい自然は、
すべて阿弥陀仏が現しだした、
阿弥陀仏の相好・姿。

この世の全てを通して、
人生の出来事を通して、
阿弥陀仏は私にメッセージを送り、
真理を説法し続けている。

あらゆる物事によって、
あらゆる物事を通して、
阿弥陀仏はいのちあるものを助け、
利益し、利生してくださっている。

そして十二光で、
光化し霊育してくださっている。

ただ念仏するだけで、
これら相好・光明・説法・利生が、
開かれていく。

それが法然上人が説き明かしたこと。

人間の世も、
仏も神々も、
いや地獄や阿修羅までもが、

すべて阿弥陀仏のつくり出し、
現しだしたもの。

そして、南無阿弥陀仏と称えるだけで、
その内容が、
私の目にも開かれていく。

だから、すべて阿弥陀仏から来たと知り、
大いに安心していこう。
そして、ただ一心称名していこう。

阿弥陀仏は根源、
念仏は鍵。

すべては阿弥陀仏から来、
南無阿弥陀仏によって開かれる。


【参考資料】

「これにつきて意得れば、惣じて六道・四生一切の凡聖は、併せて弥陀如来の毫光の所現かと疑わるる者なり。ただこの白毫の一相のみにあらず。惣じて八万四千の相、一々に皆かくの如く一切の身を現ずるなり。しかれば法界の中には、ただ弥陀一仏の遍じ給えるなり。」
(「逆修説法」 大橋俊夫編『法然全集 第二巻』p97)
「しかれば一切の諸仏・菩薩も、一切の声聞・縁覚も、一切の地獄・鬼・畜も、一切の修羅・人・天も、凡そ百界千如三千世間、皆この弥陀白毫の一相に備えたり。」
(前掲書 p98)

「名号はこれ万徳の帰する所なり。しかれば則ち、弥陀一仏の所有の四智・三身・十力・四無畏等の一切の内証の功徳、相好・光明・説法・利生等の一切の外用の功徳、皆ことごとく阿弥陀仏の名号の中に摂在せり。故に名号の功徳、最も勝とするなり。」
(「選択本願念仏集」 前掲書P196)


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