|
「同行無数」
阿弥陀様と同行二人、
法然上人と同行二人、
お大師さまと同行二人、
いや、
同行無数。
念仏者は、
同行無数。
それが法然上人の教え。
南無阿弥陀仏と称えれば、
阿弥陀仏、観音・勢至、
二十五菩薩、四天王、八大竜王、
天神地祇、あらゆる阿弥陀の聖衆たちの、
あらゆる加護がある。
私を生かしてくれている、
あらゆる先祖や先達の
加護がある。
この人生の白い道を、
無数の仏菩薩の守護の中、
生きていくことができる。
み仏のまなざしを忘れず、
常に寄り添い守ってくれる聖衆たちを忘れず、
大いに安んじて往こう。
念仏者は同行無数、
大宇宙の無限の生命とつながって、
不動の境地を生きて往く。
【参考資料】
選択本願念仏集 第十五章
観念法門に云く、「また弥陀経に説くが如き、もし男子女人あつて、七日七夜および一生を尽して、一心に専ら阿弥陀仏を念じて、往生を願ずれば、この人は常に六方恒河沙等の仏、共に来たつて護念したまふことを得。故に護念経と名づく。護念の意は、またもろもろの悪鬼神をして便りを得しめず。また横病横死、横に厄難あることなく、一切の災障、自然に消散しぬ。不至心をば除く」と。
往生礼讃に云く、「もし仏を称して往生する者は、常に六方恒沙等の諸仏のために、護念せらる。故に護念経と名づく。今既にこの増上の誓願あり、憑むべし。もろもろの仏子等、何ぞ意を励まさざらむや」と。
私に問うて曰く、ただ六方の如来のみあつて、行者を護念したまふはいかんぞ。答へて曰く、六方の如来のみに限らず、弥陀・観音等、また来たつて護念したまふ。故に往生礼讃に云く、「十往生経に云く、もし衆生あつて、阿弥陀仏を念じて往生を願ずれば、かの仏は即ち二十五の菩薩を遣はして、行者を擁護したまふ。もしは行、もしは坐、もしは住、もしは臥、もしは昼、もしは夜、一切の時、一切の処に、悪鬼・悪神をして、その便りを得しめざるなり」と。また観経に云ふが如く、もし阿弥陀仏を称礼念して、かの国に往生せむと願ずれば、かの仏、即ち無数の化仏、無数の化観音・勢至菩薩を遣はして、行者を護念したまふ。また前の二十五の菩薩等と百重千重に行者を囲遶して、行住坐臥を問はず、一切の時処に、もしは昼、もしは夜、常に行者を離れたまはず。今既にこの勝益あり、憑むべし。願はくはもろもろの行者、おのおのすべからく至心に往くことを求むべし。
また観念法門に云く、「また観経の下の文の如く、もし人あつて、心を至して常に阿弥陀仏および二菩薩、観音・勢至を念ずれば、常に行人と勝友・知識となつて随逐影護したまふ」と。また云く、「また般舟三昧経の行品の中に説いて云ふが如し。仏の言はく、もし人専らこの念弥陀仏三昧を行ずれば、常に一切の諸天および四天大王・竜神八部の随逐擁護し、愛楽し相ひ見ることを得て、永くもろもろの悪鬼神、災障・厄難、横に悩乱を加ふることなし。つぶさには護持品の中に説くが如し」と。また云く、「三昧の道場に入るを除いては、日別に弥陀仏を念ずること一万、命を畢るまで相続すれば、即ち弥陀の加念を蒙つて、罪障を除くことを得。また仏、聖衆とともに常に来たつて護念したまふことを蒙る。既に護念を蒙りぬれば、即ち年を延べ寿を転ずることを得」と。
|