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「神々にも念仏を」
法然上人は、
神々にお参りするのはなんら差し支えないし、
この世のことを願う分には神社参りもいいことだと言った。
そして、神前においても、
念仏を称えるのが良いと言った。
その心を、
極限まで実践したのが一遍上人だった。
諸国のあらゆる神々に、
南無阿弥陀仏と称えてまわった。
明治に廃仏毀釈が行われるまでは、
この列島では仏と神々が仲むつまじく暮らしていた。
廃仏毀釈までは、
神社で南無阿弥陀仏と称える人も多かったようだ。
そうした中世の神仏習合の方が、
排他的で偏狭な近代よりも、
よほど深い霊性を具えていたように私は思う。
だから、私は、
いろんな神社にお参りする時も、
数珠をもって南無阿弥陀仏と称えよう。
およそ善い神々ならば、
南無阿弥陀仏と称える念仏の行者を必ず守ると、
法然上人は言った。
善神であれば、
南無阿弥陀仏と称えることを必ず喜ぶ。
空海・空也・法然・一遍の、
その心に私は生きよう。
神仏習合こそ、
日本の本当の心ではなかったろうか。
八幡も天照もさまざまな仏の変化身の神々も、
すべて阿弥陀仏を讃え仕える聖衆だと、
中世では考えられ信仰されていた。
たとえるなら、日本の神々というのは、
西欧における天使や妖精のようなものだった。
西欧の神の位置には、阿弥陀(大日)があった。
廃仏毀釈は、その意味で、
神々の解放というよりは、
天使や妖精が仕えるべき神を殺してしまい、
何が本当の宗教の対象なのかわからなくさせてしまうものだったように思われる。
ただ阿弥陀仏のみをたのみ、
そのうえで神々を敬うところに、
この列島に住んだ人々が、
中世の長い時間をかけて培った、
やさしい大らかな心のエッセンスがあったように思われる。
神にはたのまず、
仏にのみたのむ。
しかし、神々を軽んぜず、
ちゃんと敬う。
法然上人のこうした教えは、
とても微妙なものだけれど、
それだけに、
単なる排他的な一神教とも、
単なる節操のない多神教とも異なる。
本当の宗教の精髄がある。
そう思われてならない。
【参考資料】
一、 念仏を行したる物が、物まうでは、いかに。
答、くるしからず。
(百四十五箇条問答)
また云く、「また般舟三昧経の行品の中に説いて云ふが如し。仏の言はく、もし人専らこの念弥陀仏三昧を行ずれば、常に一切の諸天および四天大王・竜神八部の随逐擁護し、愛楽し相ひ見ることを得て、永くもろもろの悪鬼神、災障・厄難、横に悩乱を加ふることなし。つぶさには護持品の中に説くが如し」と。また云く、「三昧の道場に入るを除いては、日別に弥陀仏を念ずること一万、命を畢るまで相続すれば、即ち弥陀の加念を蒙つて、罪障を除くことを得。また仏、聖衆とともに常に来たつて護念したまふことを蒙る。既に護念を蒙りぬれば、即ち年を延べ寿を転ずることを得」と。
(選択本願念仏集 第十五節)
なお、法然上人の神祇観を、親鸞聖人のように「神祇不拝」・徹底した神道との対決という路線と、一遍上人の神仏習合という路線の、どちらに通ずるととるかは人により解釈が異なるかもしれません。
私の考えでは、論理的にどちらも排除しない、どちらであっても良いというのが法然上人の態度だったと思います。その場合、「ケガレ」観念に基づく神道はどちらの場合でも明確に否定・批判されていることが前提となっています。
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