法然讃歌

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円光大師

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「円光大師」


法然上人にとっては、
きっと大師号など、
どうでもよかったのだろうけど、

円光大師というおくり名は、
よく似合っている気がする。

全てを包む、
まるい愛、
まどかな光。
円光。

生きている時は、
寺をひとつも持たず、
流刑になり、
死後は弾圧のため墓まで破壊されたけれど、

何百年か経つうちに、
法然上人は、
朝廷や幕府の最も尊信する人物となって、
七つも大師号が贈られた。
円光・東漸・慧成・弘覚・慈教・明照・和順、大師と。

七つの大師号の追贈は、
日本の僧侶の中で、
ずば抜けて多い。
他の宗派の開祖にも例のないことで、

どうも、上人は、
浄土で微苦笑されているような気がする。

法然上人がいかに、
この八百年の間、
人々に愛されてきたことの証拠としてならば、
そんな大師号も意味のあることなのかもしれない。

しかし、幕府があまりにも祀り上げた結果、
かえって庶民に程遠いイメージがつくられてしまったならば、
意味のないことだろう。

大切なことは、
法然上人の徳を忘れないこと。

大師号も、
本来はきっと徳を忘れないためのものなのだろう。

七つある大師号の中では、
最初の円光大師という贈り名が、
私は一番法然上人にあっているような気がする。

法然上人の円かな光を、
忘れず、
照らされて、
私は生きていきたい。

法然上人だったら

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「法然上人だったら」


法然上人だったら、
どうしただろうなあ。

そう思うと、
すこし糸口が見つかる気がする。

阿弥陀様にお任せしたろうなあ。

人を責めなかったろうなあ。

自分も責めなかったろうなあ。

ただ精いっぱい、
至誠心をつらぬいたろうなあ。

行き詰った時、
つまずいた時、
そう考えてみると、

自然と立ち直れる気がする。
解決の糸口が見つかる気がする。

そして、また念仏しながら、
生きていける気がする。

海のような上人の心を仰ぐと、

私も少しだけ、
広々とした心になれるような気がしてくる。

雲ってばかりの私の目も、
上人のような澄んだ目に、
すこしだけ近づけるような気がしてくる。

勢至菩薩和讃

「勢至菩薩和讃」

1、

勢至菩薩の無辺光、
あまねく子らを摂取して、
光の子とぞなしにけり、
とてもかくてもこの身には、
思い煩うことなしと、
自ら範を示しつつ、
常楽我浄に導けり。

2、

忍土に受けし悲しみの、
涙を真珠と変えうるを、
自ら身もて示したる、
勢至菩薩の現し身の、
御目に宿るその色は、
南無阿弥陀仏のその姿、
無縁の慈悲こそ湛えけり。

3、

無縁の慈悲なるみ仏の、
願いを知るが悟りなり、
その釈尊の真髄を、
勢至菩薩のひとり継ぎ、
この島々の枝葉まで、
南無阿弥陀仏を伝えゆき、
紅葉の色に染めあげぬ。

4、

南無阿弥陀仏と称ふれば、
いかなるものも救わると、
勢至菩薩の証誠し、
自ら身をもて生きにけり、
源氏平家のもののふの、
戦ばかりの世にありき、
かくも不思議な物語、
国の宝ぞいつまでも、
のちの世までも語り継がなむ。

5、

大仏焼きしもののふも、
春をひさぎし遊女らも、
魚とり殺す漁師らも、
大泥棒も破戒僧も、
むろん善男善女らも、
あまねく照らす無辺光、
勢至菩薩の口伝ふ、
南無阿弥陀仏を称ふれば、
光の子らとなりにけり、
光の国へ生まれ往く。

6、

勢至菩薩の御目には、
無縁の慈悲こそ湛えられ、
南無阿弥陀仏と称ふれば、
いずこにいても現われて、
影に身に添い守るなり、
おそるることは何もなし、
はばかるものも何もなし、
ただ極楽の身を生きん、
ただこの白道を踏みゆかん。

7、

光明生活・共生浄土、
往還一如の心もて、
南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏、
一心称名即成道、
なにむずかしきことぞなし、
いともたやすき念仏の、
この道のあるありがたさ、
性のまにまにそのままに、
生まれつきのまま救われゆかん。


【注】
無縁の慈悲=無条件の愛、の意味

「生まれつきのままの肯定 世界史的に見ても稀有な法然上人の道」


生まれつきのままを肯定することは、
本当に難しい。

なぜなら、生まれつきのままを、
否定するメッセージの方が、
昔から世の中には溢れているから。

道徳や宗教に努力すればするほど、
生まれつきのままをどんどん否定し、
離れ去っていってしまう。
生まれつきのままの価値がわからなくなる。

日本において、
生まれつきのままを肯定した、
稀有な宗教家は、
ただ法然上人だけだった。

法然上人の影響を受けた、
親鸞聖人や一休さんもそうだったかもしれない。

しかし、後世ほとんどその道は理解されなかった。

西欧においても、
ルソーやヒュームの登場まで、
ずっと生まれつきのままの価値は、
否定されてきたのではあるまいか。
ラブレーは、もっと早く肯定した先駆だったかもしれないが。
そして、本当は、
キリストは生まれつきのままの価値を誰よりも肯定したと思うが、
教会は一番その抑圧に努めてきた。

道徳や宗教の拘束が弱まることが、
生まれつきのままの価値を肯定することには、
必ずしもつながらない。

現代は、
道徳や宗教の権威や拘束は、
かつてに比べればだいぶ薄れたが、

世間というモノサシが、
金や学歴や肩書や競争ということが、

人間の生まれつきのままの価値を、
決してそのままでは肯定せず、
条件づけて、
否定している。

人は皆、努力しなければならぬと思い込んでいる。
競争で勝たなければならぬと。

生まれつきのままの価値の肯定は、
本当は無条件の愛とセットでなければありえない。

ニーチェは、
生まれつきのままを肯定しようとしながら、
競争を肯定して無条件の愛を否定したため、
自ら破滅してしまった。

生まれつきのままの肯定は、
現代においても、
非常に困難な、
か細い道なのだろう。

世界史的に見ても、
法然上人の道は、
原始キリスト教と並んで、
非常に稀有な、
生まれつきのままの肯定の道なのだと思う。

「あえて都に留まり続けた法然上人」

かつては、
法然上人がその生涯を、
ほとんど京都から移動せずに留まり続けたことを、
もの足らなく感じた。

越後や関東を駆け抜けた親鸞聖人や、
日本全国を踏破した一遍上人に比べて、
危険を冒す勇気や活動力に、
そのことが欠けているように見えたからだった。

しかし、それは大間違いだった。

法然上人が京都に留まり続けた時代は、
未曾有の内戦と飢餓の時代だった。
多くの生きようとする人は、
都から脱出しようとした時代だった。

その時代に、
他に行くあてのない人々とともに、
極限状況の都に留まり続けたのは、
旅をすること以上に、
命の危険と隣り合わせの日々だったろう。

そんな状況の中で、
悠然と、
「とてもかくてもこの身には、思いわずらうことぞなし」、
と今様を口ずさんで、
安心して過ごす法然上人の姿は、
どれほど多くの人々の心に安心を与えたことだろう。

大地を駆け抜けた親鸞聖人や一遍上人も、
魅力的だし偉大だったと思うが、

同じ地にあえて留まり続ける選択をした法然上人も、
当時の状況を知れば知るほど、
限りなく優しく勇気のある人だと、
慕われてならない。


【注】
法然上人は、生まれ故郷の岡山から京都に少年の時移動した他は、師の皇円の命で遠江(静岡)を旅したこと、若い時に奈良等をめぐったこと、晩年に四国に流罪になった他は、ほとんど京都で過ごしたようである。ただ、京都の町の中は、ほとんど隈なく金剛草履ひとつで歩き回ったと、晩年自ら回想している。

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