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「靖国の問題について」
昭和天皇が、
靖国神社へのA級戦犯の合祀に、
強い不快感をもらしていたメモが見つかったと、
今朝の新聞に出ていた。
前から思っていたのだが、
靖国参拝は、
いったい誰のためにすることなのだろう。
小泉さんは、
亡くなった人々のためのようなことをいつも言うけれど、
A級戦犯の人々の最後の言行の記録や、
遺書などを読むと、
彼らが最後に救いを求め、
心の糧としたのは、
靖国神社や神道ではなく、
法然・親鸞の南無阿弥陀仏の教えだった。
そのことは、
巣鴨プリズンの教誨師だった花山信勝さんの本にはっきり書いてある。
A級戦犯で処刑された人の中でも、
土肥原大将は、家族に神道はやめて念仏の教えに帰依するように特に遺書で指示した。
東条元首相も、阿弥陀仏の四十八願に深く感動し、阿弥陀仏の四十八願をこそ本に政治を刷新することを望むと述べていた。
私には想像もつかないような、
深い業とその懺悔の中で、
彼らが魂のよりどころとしたのは、
神道ではなくて、
阿弥陀仏の教えだった。
ならば、何のために、
隣国と摩擦を起こしてまで、
靖国に参拝するのだろう。
BC級戦犯の、
上官の命令の責任を負わされたりや無実の罪で処刑されたおびただしい人々が、
心から望んだことも、
遺書を読む限りでは、
祖国日本の本当の平和と独立だった。
いま、中国や韓国といたずらに無益な感情的な対立を深めることは、
ますます対米従属を深めるしか選択肢がなくなるわけで、
日本の自主独立や平和という観点からも、
いったい何が戦没者の望みにかなっているといえるのだろう。
また、BC級戦犯として処刑された人々も、
中にはクリスチャンの人や日蓮宗の人もいたが、
実に多数が法然・親鸞の教えに魂の救いを見出していた。
彼らが巣鴨の中において、
魂の光を見出したのは、
靖国や神道ではなくて、
南無阿弥陀仏の教えだった。
また、彼らが戦争に負ける以前に、
あるいは人によってはそのあとも、
最も心がけていたことは、
昭和天皇の意に添うことだった。
その昭和天皇自身が、
A級戦犯が合祀されたあとの靖国への参拝を拒み、
そのあり方を批判していた。
それでは、
いったい、
なんのために、
隣国と不和を引き起こしてまで、
靖国に小泉首相や政治家たちは参拝しなければならないのだろう。
私にはよくわからない。
真に戦没者の追悼を願うなら、
南無阿弥陀仏と称えることではないか。
そして、
隣国との不和を解き、
アメリカへの過剰な従属から脱却する道を模索することではないか。
また、今年も靖国参拝をめぐって、
議論百出するのだろうが、
中国や韓国に干渉されることを、
内政干渉だとして反発することだけが、
本当の人間の尊厳や誇りを守る道ではあるまい。
過去の人々が本当に何を望んでいたか、
あるいは望んでいるかを、
よくよく資料にあたり、
その声を聞き届ける中で、
その願いを果たしてこそ、
本当の愛国心も国の尊厳も独立もあるのではないだろうか。
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