共生浄土を求めて 時事・歴史

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人間を捨てない心を

「人間を捨てない心を」


「平等とは
人間が
人間を捨てぬことだ」
(坂村真民「詩と詩人」より)

この詩を読んだとき、
私が求めていた平等とは何か、
目からうろこがとれる気がした。

そう、
平等とは、
きっと人間が人間を捨てないことだ。

他の人も、
自分自身も、
決して捨てないこと。
本当は捨ててはならないのだ。

けれども、
今の二十一世紀の世は、
なんと人間が人間を捨ててしまっている時代だろう。

他人を捨て、
自分を捨て、

だんだんと、
棄民という言葉も現実味を帯びてくる時代となった。

これから世相がますますせちがらくなるにつれ、
ますます自分のことだけで人は精一杯になって、
平等という夢も幻想も、
この国では消えてなくなっていくだろう。

けれども、
大切なことは所得の平等や横並び意識ということではなくて、
人間が人間を捨てないということではないか。

摂取不捨、
受け入れて選び取って、
決して見捨てないこと。

法然上人はそのことばかり、
その平等の精神ばかりを、
一生くりかえし説き続けたように思える。

十二世紀のあの時代も、
きっと人間が人間を捨てそうな時代だったのだろう。
だが、きっと、
法然上人が生きた時代も、
なんとか人間が人間を捨てずにもちこたえたからこそ、
今の日本があるのだと思う。

21世紀の日本において、
私は、
人間が人間を捨てない心を、
くりかえし説き続け、
くりかえし建て続けたい。
多くの人とともに。

歴史と本願

「歴史と本願」


歴史は、
阿弥陀仏の本願の展開である。

歴史には、阿弥陀仏の意思が働いている。

どんなに迂遠に見えても、
阿弥陀仏の意思は必ず実現する。

本願に沿った、
共生浄土の実現を目指す、
理想が実現する。

矛盾をはらみつつ、末法の絶望や危機もありながらも、
それらを本願は乗り越えていく。

歴史と阿弥陀仏は無縁ではない。
すべての時代は阿弥陀仏に直接している。

それは、阿弥陀仏という名称はどうでもいいのだ。
どの国の、どの時代にも、
大宇宙の大悲誓願が働きかけている。
人類に本願が働きかけている。

釈尊やキリストの登場は本願の展開だった。
法然上人の登場も
おそらくは西欧の宗教改革も。
18世紀のエンライトメントや20世紀の諸国の独立も、
部分的にそれぞれ本願の展開だったろう。
社会主義も部分的に本願の展開だったろうし、
その国家の崩壊も部分的に本願の展開だったろう。

歴史と本願の展開に、
念仏者が真剣にとりくんだ著作はめったにない。
高木顕明や島田幸昭さんはその少ない人だったろう。

むしろ、キリスト者の方が、
歴史と神の意思の問題に取り組んできた。
浄土と神の国は同一だとすれば、
神の国と歴史の問題にとりくんだ南原繁などの批判主義政治学を、
念仏者は大いに学ぶべきかもしれない。

共生浄土を求めて

「共生浄土を求めて」


釈尊が悟られたのは、
縁起だった。

縁起とは、
共生だ。

真に生きるとは、
共に生きることだ。

釈尊は、
一大共生精神だった。

浄土とは調和の共生世界だ。
その理念だ。

法然上人もまた、
そのことに気付かれた方だった。

法然上人は、やはりその後にはあまり受け継がれないほどの、
一大共生精神だった。

もし、ご自身の極楽往生のみが求めることであれば、
決して黒谷から市井に降りて道を説くことはなかっただろう。
あらゆる市井の人々の中に入り、
金剛草履で歩き回って、
念仏を称え続けることもなかったろう。

この地上に、
共生浄土をつくることが、
大いなる存在の意思だ。

一心称名の中、
浄土からの働きかけに応え、
共生浄土の実現に尽くそう。

真に生きるとは、
一心称名の中、
共生浄土の実現に生きることだ。
共生浄土の実現、
それが本願ということだ。

「自在・平等・慈悲 ―念仏革命」


自在・平等・慈悲、

その実現が、
大宇宙の大念願である。

人の世は、
この方向に進化しなければならぬ。
阿弥陀仏の本願である。

ヨーロッパの近代は、
自由・平等・同胞愛によって、
革命を興し、
その結果が今の私たちの世の中である。
良くも悪くも、人類の歴史は大いに前進した。
しかし、今大きな問題を抱えていることも事実だ。

アジアの現代が、
自在・平等・慈悲の方向に、
新たな革命を興せば、
きっと人類の歴史に大いに貢献するだろう。

念仏は、
自在・平等・慈悲の革命である。
各人の精神に起こる念仏革命である。

各人が身の周りで、
自らの生活の場で、
小さな小さな念仏革命を、
自覚と心がけで起していけば、
世の中はきっと良くなる。

自在・平等・慈悲、
念仏者が起こす、
国ではない個人個人の自覚の革命が、
21世紀には求められている。

かつて法然上人は、
愛による温和な革命の先鞭を切った。
私もその跡に倣おう。

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「それが念仏者であることと何の関係があるのか?」


エラスムスはかつて、
「それがキリスト者であることと何の関係があるのか?」
と問い続けた。

怒濤の宗教改革の時代に、
カトリックの堕落とプロテスタントの狂信と、
両方に批判精神を忘れず、
真に人間が人間らしく生きる道を問い続けた。

硬直した精神を解きほぐし、
源流に遡る道を示した。

私も、この混迷の21世紀において、
「それが念仏者であることと何の関係があるのか?」
と問う精神を忘れまい。

形骸化した精神を、
原点にさし戻すことを忘れまい。

そう問えば、

単なる葬式ビジネスの一般的な寺院の世界も、
金儲けだけに奔走するエコノミック・アニマルの世界も、

隣国への脅威を煽り立て不信を持つ心も、
超大国の片棒を担いで回る心も、

過労死や自殺者が年に何万人と出る社会も、
真摯に生きることを忘れて束の間の快楽に生きることも、

およそ念仏者であることと、
関係ないあり方であることが明らかになる。
原点に立ち戻って、
自ら正すべき問題であることが明らかになる。

一心称名や、
念仏のいわれを聞きひらくことや、

同胞への友愛悲愛に生きることや、
共生浄土を実現するために自分の仕事に励むことや、

核廃絶に努めることや、
侵略戦争に抗議することや、

生きる喜びを全身で表現することが、

大いに念仏者にとって関係があることが、
わかってくる。

「それが念仏者であることと何の関係があるのか?」
大いにこの時代に目を開き、
一本の葦だとしても、
全身全霊で考え問い続けることを、
私は一生涯続けたい。

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