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湿原に咲く花は

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「湿原に咲く花は」


湿原に咲く、
小さな花は、

本当に、
人の心をやさしくしてくれる。

サギソウや、
タヌキモや、
サワキキョウや、

浄土のように湿原を、
夏のほんのひととき、
愛らしく、うつくしく、
荘厳してくれる。

人なつっこく、
「こんにちは」と、
あるいは、
「なもあみだぶつ」と、
私にあいさつしてくれる。

浄土のような場所の、
仏のような花々。

私も、
こんな優しい心をもって、
いつも生きていけたら。

この湿原の花々の、
やさしいこころをもらっていこう。

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「何百年も潜伏して咲いた花  ―旅先で見た教会」


この地に、

再び教会が立ち、
十字架がかかげられるまでは、

どれほどの大変な時間があったことだろう。
どれほど困難な道行きがあったことだろう。

弾圧と受難の厳しい冬の時代において、

どれほどの苦難と、
曲がりくねった長い道のりがあったことだろう。

死んだ方が簡単なぐらいの、
悲しみや苦しみもあったことだろう。

人間、
耐えて生きていけば、
必ず、
再び光を見る時もある。

この地の、
すばらしい教会を見ていて、
そんなことを思った。

何百年も潜伏し続けて、
再び地上に咲いた花。

天草や長崎ではキリスト教が、
薩摩や人吉では浄土教が、
江戸時代には、禁制のもとで密かに持続していた。

人の信仰がどれほど強いものか、
命がけの信仰とは何か、
それらの歴史は教えてくれる。

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「この山にこんな滝があった」


ああ、
この山には、
こんな滝があったのか。

昔、
何度もこの道は通って、
この山には来たことがあったのに、

今日、
はじめてこの滝の近くに行き、
その息吹に触れることができた。

こんなに轟々たる、
勢いの良い水が、
ここから迸(ほとばし)り出ていた。

昔は、
小さい子どもで、
祖母や親に連れられるままに、
この道を通っていた。
だから、寄り道して滝を見ることもなかった。

あれから、十年以上経って、
今は自分が運転する車で来たから、
ちょっと寄り道して、
この滝を見ることもできた。

同じ場所に来ても、
すこしずつ見る角度が違ったり、
違うものを見つけたりすることがある。

たぶん、その分だけ、
きっと自分が成長したということなのだと思う。

何をしているのかわからず、
無為に過ごしているだけだと、
自分を責めることはしょっちゅうあるけど、

きっと、そんな日々の積み重ねの中で、
すこしだけは成長してきた。
だから、この滝も見ることができた。
その分、きっと生きている意味もあったんだ。

もっと成長して、
さらに深い味わいや、見たことのない景色を、
この山から引き出そう。

これからも、
また歩いて往こう。

思い出の地

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「思い出の地」


思い出の場所に、
旅の途中にひさびさに訪れた。

小さい頃、
毎年、夏休みの度に、
飛行機で祖母の家に遊びに行った。

そのついでに、
祖母や、いとこたちや、
大勢の親戚で泊まりに行ったホテルがあった。

乗馬を楽しんだ馬場は、
もう閉鎖されてなくなっていた。

釣りを楽しんだ池は、
そのままだったけれど、
なんとなく閑散とした感じになっていた。

山並みだけは変わらずに、
み仏が寝た姿のような、
やわらかな緑のなだらかな線を、
そのままの姿でとどめていた。

稲穂を渡ってくる風が、
とてもかんばしく、
なつかしかった。

あれから、
多くの家族が浄土に往ってしまった。

いっしょに、
この山並みを見てくれているだろうか。

思い出の地にひさしぶりに来て、
緑の山並みにむかって、
南無阿弥陀仏としばらく称えてみた。

いつか私も、
家庭をもって、
大家族を再び築いて、
ここに毎年来るようにしよう。

思い出で胸がいっぱいになったが、
この景色を再び見れただけで、
いろんなことを乗り越えて、
今まで生きてきて良かったとしみじみ思った。

小さい頃は、
大人たちに連れてこられるばっかりだったのが、
今は自分で車を運転して、
ここまで来た。

自分で自分の人生を切り開いて、
再びここに来るようにしよう。

橋を渡れば

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「橋を渡れば」


この橋を渡っていったら、
どんなところに出るのだろう。

そう思って、
渡っていったら、

虹の滝があった。
光があった。

そういえば、
念仏は橋だと、
愛欲や執着の川を渡る橋だと、
法然上人は言っていた。

人生というのも、
いくつもの橋を渡って、

はじめて虹や滝や、
憩いや、
光に出会っていけるのだろう。

私も一心称名しながら、
人生の危機や愛欲の川に、

白い橋を見つけて、
乗り越えて渡って往こう。

どんなところでも、
必ず橋はあり、道はある。

念仏さえしていれば、
阿弥陀仏が架けてくださった、
見えない橋を見つけることができる。

【参考資料】

浄土の宗旨称名の本願のみ、苦海の船師、愛河の橋梁にて、愚鈍下智の当機にあいかなえるとて、聖道浄土の奥義をのべられける。
(慈鎮和尚との対話 昭法全731)


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