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「宗教とは根源への態度のとりかた」
宗教というものは何だろう。
自分の生き方であり、
世界観であり、
他界観であり、
絶対者にいかに自分を開いていくかということだろう。
すべての文化の中心には、
名状しがたい生の中心をしめる根源に、
いかなる態度をとるかという、
態度のとり方の問題があると思われる。
してみれば、
根源に、絶対者に、
いかなる態度をとって生きるかということに、
人生も、文化も、
一切がかかっているのかもしれない。
現代なき宗教も問題だが、
宗教なき現代もやはり不毛のものではないか。
私は自分自身の態度というものに、
もっと自覚的でなくてはならない。
根源に、絶対者に、
いかなる態度を私はとってきたろうか。
無関心、逃避、
あるいは混交、混乱。
そうした長い月日は、
思えばのりしろとして使わなくては、
無駄な不毛なものになってしまうようだ。
いま、私は阿弥陀仏に対して、
すべてを委ね、
己を任せ開いていくあり方を、
念仏を通して知ろうとしている。
また、己の生き方を阿弥陀仏に受け止めてもらい、
浄土に引っ張って往ってもらうことに、
心からの信をいただこうとしている。
いずれにしろ、
宗教とは根源への態度のとり方であり、
いのちの風をいかに受け止めるかということであろう。
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