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「なぜ自殺をしてはならないか」
自殺がなぜいけないのか、
漠然といけないとは思いながらも、
家族が悲しむからぐらいの理由しか長い間はっきりつかめなかった。
死んだ方がましぐらいに悲しいことがあった時に、
それでもなんとか生きてきたのは、
家族がいたからだった。
それだけで理由は十分なのかもしれないが、
長い間積極的に生きていく理由がよく見つからなかった。
漠然とした虚無の中で、長い間生きてきたと思う。
死ねないから生きているだけで、
生きねばならぬ積極的な理由がよくわからなかった。
最近、やっと少し見えてきたことがある。
かつては、自分のいのちは自分のものだと思っていたから、
自分で死んでもかまわないと思っていたんだと思う。
けれども、本当はそうじゃない。
自分のいのちは自分のものではない。
自分が生まれるためには、
全ての縁が整っていなければ、
自分が生まれることはなかった。
ひとつとして何かの縁がかけていたら、
自分は生まれてこなかった。
ずっと今まで生きてこれたのも、
全ての縁をあげての支えがあったから、
生きてこれた。
いろんな命が自分の食べ物となってくれたから、
いろんな人の支えや助けがあったから、
いままで現に生きてこれた。
このいのちは、賜りもの。
宇宙からの賜りもの。
阿弥陀仏からの賜りもの。
このいのちは私のものではなく、
宇宙のもの、
天地の共有物だ。
阿弥陀仏のものだ。
私に属するものではなく、
仏に属するものだ。
そう気づいた時、
なぜ自殺してはいけないか、
はじめて積極的な理由が見つかった気がした。
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