大悲の風に乗るために 信心

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ひとつの根源から

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「ひとつの根源から」


この世界の一切が、

そこから生じ、
そこに還るような、

そんな根源のことを、

唯識では阿頼耶識と呼び(もしくはアマラ識)、
弘法大師は大日如来と呼び、
法然上人は阿弥陀仏と呼んだ。

キリスト教やヒンドゥーは、
神と呼んできたのだろう。

もし、
この世のすべてのものが、
ばらばらのものではなく、

ひとつの根源から生じているならば、

目の前に映る世界は、
単なる風景ではない。

すべては、
意味を持った出来事。

根源の光が、
私に見せてくれたもの。

私に映し出してくれた、
光のプリズム。

今の私に与えてくれた、
プレゼント、
賜物。

根源の光が、
すべてを映し出していると知るだけで、

世界の見方は、
全然異なってくる。

六道四聖、
三千世界のすべてが、

阿弥陀仏の白毫の光の、
映し出したものと、
法然上人が言ったことを忘れず、

すべてを受け取り、
すべてに合掌礼拝し、
すべてを愛して、

すべて、
光の海の、
同じ一滴と知って、

一心称名して往こう。

「私にではなくて、ロゴスに聞いて、万物がひとつであることを認めるのが、智というものだ」
と古代ギリシャのヘラクレイトスは言ったそうだが、
ロゴスを阿弥陀仏と言い換えれば、
まったく浄土教の心と同じである。

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「罪とは個別具体的なもの」


罪とは、
個別具体的に考えるべきで、

誰に何の損害を与えたか、
具体的に考えることが大事だ、

と、最近読んだ本に書いてあり、
なるほどと思った。

今まで、
漠然とした罪悪感に苦しめられて、

具体的に考えることなく、
自分を罪人のようにしばしば感じて、
苦しんできた。

もちろん、
自分で気付いてない罪は、
具体的に考える中で気付いていくべきなのだろうけど、

あまり根拠がない、
思い癖のような罪悪感は、
具体的に考える中で、
取り除いていくべきなのかもしれない。

考えてみれば、
そんなに良いこともしてないが、
そんなに他人に損害を与えてきたわけではない。
むしろ、ささやかに、
プラスのこともしてきたこともあったかもしれない。

根拠の無い、
漠然とした罪悪感や自己否定はやめよう。
そう、思った。

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「一切愛 ―永劫宇宙の働きのおかげ」


一切が永劫宇宙の働きのおかげであり、
永劫宇宙の恩恵でないものはひとつもない。

そのことが全然見えず、
わからなかった。

そんな愚かな私が、
いっぱしに賢いつもりでいて、
何の感謝も知らずに生きていたのだけれど、

世の荒波に打ち砕かれ、
念仏を称える身にしていただき、

念仏を称えるうちに、
ようやく少しずつ、
ほんの少しだけわかってきた。

私だけの力でつくったものなど、
この世にひとつもない。

私の力だけで生きていた時など、
ただの一瞬もない。

すべて、永劫宇宙の働きのおかげだし、
いつも永劫宇宙の働きに生かされている。

その永劫宇宙の働きのことを、
むかしの人は阿弥陀仏と言っていたわけだけれど、

南無阿弥陀仏と称えているうちに、
ようやくそのことが少しずつわかってきた。

般若心経のいう、
無自性というのも、
要するにそういうことで、
自分の力だけでは何もありえないということ。

一切皆空というのも、
阿弥陀仏に生かされている真理のことで、
言い換えれば、
一切愛ということ。

南無阿弥陀仏も般若心経も、
やっとこの頃になって、
この年になって、
少しだけその意味がわかってきた。

恩返しなど到底できない、
莫大広大な恩愛だけれど、

せめて恩を知らないよりは、
この阿弥陀仏の恩に報い、
感謝していきたい。

阿弥陀仏への報恩謝徳の生き方というのが、
真実の生だというのが、
やっとすこしだけわかってきた。

み名を称え、
永劫宇宙の働きを讃えて、
一心称名報恩に生きるとき、
きっとそこに、
永劫宇宙の本当の光がさす。

本当の幸せというものはそこにある。

気付くのが少々遅かったけれど、
これからは片時も忘れまい。

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「いつか仏になろうと努力するより」


いつか仏になろうと努力するより、
今すでに菩薩である生き方を。

念仏さえ称えれば、
誰もが菩薩であると、
法然上人は説いた。

永劫宇宙とひとつになると定めれらた、
正定聚の菩薩だと。

普賢菩薩のような生き方をする、
菩薩だと。

それが、
それまでの仏になろうとする聖道門と異なる、
法然上人の説いた浄土門の教え。
浄土教の真髄。

今の自分を否定して、
仏になろうとしても、
いつか本当の自分になろうとしても、

たった今救われていなければ、
たった今が他ならぬ本当の自分だと知らなければ、
何になろう。

たった今、
今ここが、
久遠の光に包まれており、
無限他力の現われであり、

念仏の一声一声に、
そのことが明らかにされ、
永劫宇宙とひとつになり、
菩薩として生きていくことができる。
そこにこそ、
真実の生もある。

菩薩とは、
要するに仏のような人のこと。
三明六神通という超能力こそないけれど、
和顔愛語・勇猛精進・少欲知足の、
仏のような人のこと。

私はいまここで菩薩である。

念仏の中で、
そう自覚して、
自覚させられながら、

救いを求めるのではなく、
現に救われていることを感じながら、

ないものを求めるのではなく、
すでに与えられていることに感謝しながら、

菩薩として、
“仏”として、
あるがままに生きて往こう。

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「往生とは永劫宇宙とひとつになること」


往生とは、
南無阿弥陀仏と称えて、
私と永劫宇宙がひとつになること。

私が帰命し、
阿弥陀仏の働きとひとつになること。

南無阿弥陀仏とは、
往生とは、
そういうことだ。

法然上人は、
往生は平生にわたると言った。

良忠上人は、
往生とは悟道のことだと言った。

一遍上人は、
「念仏往生とは、念仏即往生なり。
南無とは能帰の心、
阿弥陀仏とは所帰の行、
心行相応する一念を往生といふ」
と言った。

それらを踏まえれば、
往生とは死後のことではなく、

今生きている時からのこと。

たしかに、
死んだ後に浄土往生することも大事だが、

たった今ここで、
往生することこそ、
永遠とひとつになって救われる呼吸こそ、
浄土教の真髄ではあるまいか。

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