大悲の風に乗るために 信心

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「それだけ昔に比べれば成長した」


生かされているという厳然たる事実を、
昔はわかっていなかった。

今も、完全にわかっているわけではないけれど、
昔は本当に、まったくわかっていなかった。

生かされていることに感謝も知らず、
自力で生きている気になって、

挫折して自分の志が通らないことがあった時は、
もう生きたくない、死にたいと思っていた。

随分わがままで、
感謝の心を知らなかった。

思い込みが強くて、
柔軟性も欠けがちだった。

もっと早くから、
念仏を称えて、
生かされている事実に眼が開いていたら、
ずっと柔軟性もあったろうと、
悔やまれる。

けれども、
そうしたいろんな遠回りや七転び八起きがあったから、
今念仏のすばらしさありがたさがわかるのだろう。

念仏にめぐりあうための学びだったなら、
何一つムダはなかったし、
大切な学びの期間だったと思う。

昔に比べれば、
念仏のお育てのおかげで、
すこしだけ生かされている事実に眼が開き、
柔軟性も少しは出てきた。

それだけ、
昔に比べれば成長したということだ。

過去を振り返って、
悔やまれることがあったら、
それは必要な学びだったわけで、
そのおかげで今があるし、
その分成長したんだと、
なるべく感謝に振り替えよう。

後悔はきっとあまり意味がない。

大事なのはきっと、
何を学んだかを知って、
その分成長したと自分で評価して、
それを感謝できるか、
ということだと思う。

「生かされているという事実の発見」


生かされているという事実が、
念仏のおかげで少しずつわかってきた。

自力我執の雲が、
今まで覆ってきた、
見えなくさせてきた、

生かされているという事実が、

念仏のおかげで、
やっと少しずつ、
透明に現われてきた。

ありがたい、
光の景色、
光の事実、

生かされている風光。

人間は、
自力で生きているのではない。

何よりも、
まず生かされているという、
厳然たる事実がある。

真に生きるとは、
この事実を念仏の中で告げられ、
知らされ、
見つめて、

この力と願いに乗って往くだけのことだ。

浄土の法門とは

「浄土の法門とは」


浄土の法門とは、
性のまにまに、
生まれつきのまま、
救われること。

何の作為も努力もいらない。
ただ南無阿弥陀仏と称えるだけ。

すべて阿弥陀仏におまかせし、
自力我執の不要残留本能心は一切捨て去ること。

恐れや怒りや悲しみは、
すべて投げ捨て手放し、

ただ阿弥陀仏の、
無条件の慈しみにのみ生きること。

単純愚直に念仏を称え、
他のはからいは一切救いのためには不要と心得、

念仏を中心に生活を送ること。

そして、
この身このままで、
助けるぞ、助けるぞ、
まかせよ、
と言ってくださる、

阿弥陀仏の、いのちの親様の声を、
ちゃんと聞いて、
よく聞いて、

素直にはいと答えて、
浄土に往くのみ。

この世も安心し、
死んだら浄土に生まれる。

この他には別の子細はない。
光明生活、共生浄土、往還一如ということも、
みなこの中にある。

私は、
これが浄土の法門ということだと思う。

そのうえで、できれば、
一声一声の念仏の中で、
十二光を吸引し、

浄土への道行きの中で出会う、
すべての人や物事を、

光と愛で包むことができれば、
なおすばらしいことなのだろう。

この単純な真理を教えてくれたのが、
釈尊や法然上人たちだった。
私はそう思う。

だから、
この他の難しい道はすべて捨てて、
それでは自分は救われないと知って、
ただこの法然上人の道に従うのみだ。

「おまかせしきることはとても難しい」


阿弥陀仏におまかせしきること。

これが意外とむずかしい。

通常、自分の力で自分の責任で生きる方が、
おまかせする人生より、
厳しく難しいように思っている。

しかし、実は、
阿弥陀仏におまかせしきることは、
なかなかできない。

おまかせしようとしても、
しきれない。

自分の自我意識が、
とても抵抗するので、
案外とても難しい。

だから、阿弥陀仏におまかせしきるために、
日々一日に一万回から六万回ぐらいの念仏を称えるよう、
法然上人は勧められたのであろう。

阿弥陀仏におまかせしきることが、
速証無生身、
速やかに悟りの身を体験する、
ということなのだろう。

浄土の法門とは、
阿弥陀仏におまかせしきること。
実はこれが、
案外難しい。

難しいのは、
信じきって、
愚直に念仏を称えるのが、
こざかしい人間には難しいからだ。
私には難しいからだ。

南無阿弥陀仏と称えるだけでいいのだけど、
信じきることはなんと難しいことだろう。

信じきるために、
ただただいっぱい信心の教えを聞いて、
愚直に念仏を称えていく。
それしかないのだろう。

馬鹿になって生きよう

「馬鹿になって生きよう」


あれこれと難しく考えないで、
単純に生きればいい。

心は浮き雲のごとく、
あてにならないものなのだから、

いろいろ理由をつけて考えず、
単純に、
愚直に生きればいい。

理屈はあとからついてくる。
何かする前に理屈をつけて意味を探しても、
始める前に人生が終ってしまう。

まず生きること。
単純に生きること、
単純に念仏すること。

それだけだ。

還愚痴、
ゲングチ、

一切経やあらゆる学問を修めた末に、
法然上人は、
愚痴に還って極楽に生まると、
単純に馬鹿になって生きる生き方を称揚した。

この教えの真理が、
こざかしく生きてきた末に今やっと、
私の胸にしみる。

念仏を信ぜん人は、
たとえどれだけ多くの学問をしたとしても、
単純に愚直の身になって、
みんなと一緒になって、
智者のふるまいをせずして、
ただ一向に念仏すべし。

本当の智慧者とは、
きっと単純に馬鹿になって生きれる、
愚直に自分の生き方を貫くことができる者だ。


【参考資料】法然上人の還愚痴のすすめ
凡そ聖道門は智慧を極めて生死を離れ、浄土門は愚痴に還りて極楽に生る。所以は聖道門に趣くの時は智慧を瑩として禁戒を守り、心性を浄むるを以て宗と為す。然れども浄土門に入るの日は智慧を憑まず。戒行を護らず、心器を調えず、只々甲斐無し。無智者と成る者本願に憑み 往生を願う也。(三心料簡事)


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