大悲の風に乗るために 信心

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

「ようこそ真実心、さよなら虚仮心」


真実心かどうか、
南無阿弥陀仏と称える中で、
ただそれだけを基準に生きること。

なんて自由な生き方だろう。

他人の目を気にせず、
ただ阿弥陀仏のまなざしだけ意識して、

一心称名の中、
自分の自由を真実に使い切ることだけ、
考えて生きていくこと。

法然上人が切り開いた、
この道が、

それまでは、
世間の目やしがらみや、
道徳に抑圧されて、
忸怩としていた私のこころを、

さわやかに解放してくれた。

空也上人や一遍上人や、
親鸞聖人も、
この自由を生ききった人だったのだろう。

この八百年の間、
この島国は、
必ずしもそんなに真実心ばかりではなくて、
相も変わらず虚仮心ばかりひしめいているけれど、

私の心の中の虚仮心よ、
さようなら。
私の心の中の真実心よ、
ようこそ。

そう思って、
南無阿弥陀仏と称えて生きていこう。

南無阿弥陀仏の一声一声は、
虚仮心へのさよならと、
真実心へのようこそだ。

「真実に自由を生ききってこそ」


人の目を気にして、
言いたいことも言えなくなったら、
それは私の人生ではない。

人の目を気にして、
やりたいこともやれなくなったら、
それは私の人生ではない。

もちろん、
自由には最低限のルールがあって、
他人の自由を侵害してはならないんだけど、

他人の自由を侵害しない範囲であれば、
私が私の自由を、
真実に生きる権利を、
誰にだって妨げられる筋合いはない。

私は、
他人の目ではなく、
自分にとって何が真実かどうか、
それだけを基準に生きよう。

そう、
12世紀の時に、
すでに法然上人は、
他人の目を気にするのではなくて、
真実心かどうかを基準にして生きるように、
虚仮心ではないように、
生きることを勧めてくださった。

あれから八百年経っても、
相も変わらずこの島国は、
自分にとっての真実よりも、
人の目を気にすることに汲々とするクセが抜けきらなくて、
私もそんな世間にうんざりしながら、
実は人一倍そんなクセが抜け切れてないんだけど、

他人の自由を侵害していないんだから、
自分が真実に生きたいと思ってしてきたことを、
なんであれ肯定しよう。

その結果、
キャリアが遅れたり経済的にちょっと人より計画的でないとしても、
それでいいじゃないか。

大切なのは、
自分の自由を、
思いっきり自分にとって真実に、
使い切ることだ。

他人は他人、
自分は自分。
I am O.K. , you are O.K.
それができなきゃ、
自分とは言えないだろう。

真実に自由を生ききってこそ、
私の人生なんだ。

私の人生は必ず大丈夫

「私の人生は必ず大丈夫」


もうまったく、
私はだめかもしれない。

もうまったく、
私は大丈夫かもしれない。

どっちに思った方が、
人生は楽しいだろう。

大丈夫と思った方が、
いいようだ。

だったら、
大丈夫と思っていこう。

それに六方のガンジス河の砂の数ほどの、
いろんな仏様が、

南無阿弥陀仏とさえ称えれば、
この世もあの世も必ず大丈夫と、

いつも証明してくださっている。
そう阿弥陀経にも書いてある。
法然上人も選択集に書いている。

だったら、
南無阿弥陀仏とさえ称えていれば、
この人生も必ず大丈夫。

大丈夫だと思った方がいいのだし、
大丈夫だとこれだけ証明されているんだ。
大丈夫だと思って、
人生を生きていくのに越したことはない。

「時間に拘泥しない無量寿のいのちを」


あっという間に、
時が経っていくのが、

惜しく、
恐ろしいような、
そんな気がして生きてきたけれど、

南無阿弥陀仏と称えれば、
時間に拘泥しない、
無量のいのちが開ける。

無量寿、
永遠のいのち。

人は南無阿弥陀仏の中で、
永遠のいのちを生きる存在なのだから、

そんなに時間に、
かりかりしなくていいのかもしれない。

遅れたことは、
取り戻せる。

学びに早い遅いはあるけれど、
大事なことは学んだかどうかであって、

早くすまして何も学ばないよりは、
遅くとも確実に何かを学んだほうがいい。

大器晩成でいいじゃないか。
どうせ、長く長く生きるんだ。
人はみな、
永遠のいのちを生きる存在なんだ。

そんなに時計とにらめっこして、
命を削ってどうするかい。

のんびり、
永遠に生きるまなざしを持って、
今日を楽しめばいい。
そのまなざしを、
一声一声の南無阿弥陀仏で、
いただきたい。

「人とは励まし合い、み仏には」


代わってくれる人はいない。

それぞれの人生は、
それぞれが、
背負っていくもの。

けれども、
呼び交わすことはできる。

そして、
一緒に背負うこともできる。

いや、誰も他人の荷物を背負うことはできない。

けれども、
みんなそれぞれに、
背負っているのだと、

ひとりではないのだと、

呼び交わす中で、
気付くことはできる。

そして、
長い道のりで、
励ましあっていくことはできる。

人間同士であれば、
そうだ。

しかし、
み仏は、
人は担うことができない、
人生の荷物を背負ってくれる。

船に乗せて、
陸路のつらい道のりから解放してくれる。

み仏は、
いつも荷物を一緒に背負ってくださる。
肩代わりしてくださる。

人とは励まし合い、
み仏には荷物を背負っていただき。

この長い人生を生きていこう。
この長い人生を生きていける。

南無阿弥陀仏、
南無阿弥陀仏。


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事