ミカの日記

カトリック信者の私の毎日。ただいま新しい仕事に奮闘中。マイペースにつづります。

私の好きな言葉

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 主よ きょう一日

 貧しい人や病んでいる人を助けるために
 
 わたしの手をお望みでしたら
 
 きょう わたしのこの手をお使いください


 主よ きょう一日

 友を求める人々を訪れるために

 わたしの足をお望みでしたら

 きょう わたしのこの足をお使いください

 
 主よ きょう一日

 優しいことばに 飢えている人々と 語り合うために

 わたしの声をお望みでしたら

 きょう わたしのこの声をお使いください

 
 主よ きょう一日
 
 人は人であるという理由だけで

 どんな人でも愛するために

 わたしの心をお望みでしたら

 きょう わたしのこの心をお使いください


 マザー・テレサ

今年の6月28日から来年の6月29日は、カトリック教会では「パウロ年」とされています。
今日はパウロの書簡から、好きな言葉をひとつ紹介させていただきますね。

 
 
 主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。

あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。

主はすぐ近くにおられます。

どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。

何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。

そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなた方の心と考えとをキリスト・イエスによって

守るでしょう。


「フィリピへの信徒への教会への手紙」 4章 4節〜7節


 いつも喜びの気持ちを持っていることはなかなか難しいことですが、感謝の気持ちを忘れずにいたいなと思います。
 ここでいう祈りとは、「こうしてください」というのではなく、自分の思いをささげることだそうです。確かに、毎日、少しでも祈りの時間を持つと心に平安がおとずれますね^^

 「神はこうしてくださるだろう」という祈りは、信仰ではなく希望だそうです。
神様が今この時に私の思いを聞いてくださっている、今この瞬間を信じることが、大事なのでしょうね。



 

「なんとかなるさ」

今日は、晴佐久神父様の『生きるためのひとこと』から、勇気付けられる文を。
とても気に入っているので、少し長いけど御紹介しますね。


「なんとかなるさ」

 
 悲観主義者は言う。
 「もうだめだ」
 
 すると楽観主義者が言う。
 「だいじょうぶ、なんとかなるさ」
 
 悲観主義者はいらだつ。
 「無責任なこと言うな。なんとかなるって、どうなるんだ」
 
 楽観主義者が答える。
 「どうにかなるなんてわからない。でも、なんとかなる」
 
 不毛なやりとりに聞こえるかもしれないが、この会話には重要な秘密が隠されている。
 
 だれであれ、明日どうなるかを知ることは、人間にはゆるされていない。
明日どころか、一秒先のことだって、確かなことを言える者はだれもいない。
予言をする者はあっても、そのときがくるまでは何だって言えるし、何だって言えるということは、
何も言っていないに等しい。
それこそが、決して後戻りできない「時間」の神秘であるが、この世界がここまで完璧に明日が分からない仕組みにつくられているということは、「わからない」ということ自体に、何か特別な恵みが隠されているということなのではないだろうか。
この世の創造主は、何か愛に満ちた深いわけがあって、この世界をそのような予見不能なる仕組みにつくったのだ、と考えた方が自然ではないだろうか。
そして、そのわけとは、「信じる」という喜びを与えるため、とは考えられないだろうか。
 
〜中略〜

 明日はわからない。
もしわかってしまったら、今日の意味がなくなるということをどれだけの人が理解しているだろうか。
明日はわからないこそ、信じることができるのであり、信じることが人生の全てなのだ。
だれがどんなに暗い予言をしようとも、状況がどれだけ悪化しようとも、明日を思い煩わず、明日を信じて今日を生きることが、生きることのすべてなのだ。

 お気づきだろうか。実は冒頭の会話は、いつもわれわれの心の中で交わされている自問自答である。
特に悪い病気を宣告されたとか、勤め先が倒産したとか、何か大きな試練に襲われたとき、この悲観と楽観が対峙する。

そんなときにこう思ってほしい。

「明日のことはわからない。わからないことはすばらしい。きっとなんとかなると信じられるのだから。」
 そう信じたときこそ、人は生きるものとなる。

 そして実際、なんとかなる。


『生きるためのひとこと』 晴佐久昌英 2007年 女子パウロ会出版 より

晴佐久昌英 1957年東京生まれ、1987年司祭になる。現在、カトリック高円寺教会主任司祭。

 
 まだわからない将来のことについて、思い悩んでしまうことってあると思います。
また、何かあったとき、上記のような自問自答をどうしてもしてしまうこともあります。
でも、こちらを読みまして、「わからないこと自体に何か特別な恵みがあるのかな」と思うと、また違ったプラスの視点で捉えることができる気がします。
「わからないことはすばらしい」と、普段から思えたら、とても素敵なことだと思います。
 
 こちらを読んでいると、「明日のことまで思い悩むな。明日のことは自らが思い悩む。その日の苦労はその日だけで十分である。」(マタイによる福音書6章34節)を思い起こしました。

 その日のことだけを考えて自暴自棄になるのではなく、希望を持って、毎日を自分なりに丁寧に生きていきたいなと思っています。
 
 
 いろいろなことに思い悩んでしまうこともあるかもしれませんが、また新しい日が訪れます。
だから、今日もゆっくりやすみましょう。

 主の豊かな恵みがありますように。

十 主の平和

こんばんは。
今日は、先日購入した本の中から、心に響いた言葉を御紹介します。
この間から少しずつ読んでいたのでした。


 
 Take your time.

 自分の時間の中で成長していきましょう。
 
 自分の弱さを認め、自分自身に対して時間をとって忍耐していくことが、

やがて根を下ろすことになるのです。神さまは寛大です。

わたしたちに無理はさせません。


 
 『やさしさの愛につつまれて』(バレンタイン・デ・スーザ著、2006年、女子パウロ会出版)
 
 著者紹介
 1946年、インドのタールバールに生まれる。68年、ボンベイ大学卒業後、イエズス会に入会。
74年、来日。80年、上智大学神学部卒業。90年、カリフォルニア大学クリエイション・スピリチュアリティー修士取得。98年、ジョージア大学老年学修士取得。現在、カトリック六甲教会で司牧にあたる。
著書に、『神様は私たちといる』『そよ風のように生きる』がある。


  
 自分の弱さを受け入れることは、なかなか難しいなって今年の前半にかなり思いました。
弱い自分に対して失望してしまったりと。
 時間はかかったけど、今は大分自身のことを受け入れつつあるなと感じています。
受け入れるまでって、とても悩むし、なかなか大変でしたけど、今は大分気が楽になった感じです。
少しは根をおろせたかしら。
 
 「神さまはあなたに無理はさせませんよ。何が無理かそうでないかは、まずは体調を基準にしていきましょう。」と、先日お世話になった神父さまからもいいただいた言葉だっただけに、心に響きました。
今、自分にできることを、焦らずに行っていきたいです。

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十 主の平和

こんにちは。

今日は、いつくかある聖母賛歌の一つ、Salve Regina(サルヴェ・レジナ)をご紹介させていただきます。分かりにくいと思うので、日本語訳も加えておきますね。

私がとても好きなお祈りの一つです。とても心が温かくなり、元気が出ます。

このブログで聖母マリアに触れるのは、初めてかもしれません。

Salve Reginaは、ロザリオの祈りの終わりで唱えられます(歌われます)。

ロザリオの祈りについては、いつかまた触れたいと思います。)

旋律もとてもきれいです。


「Salve Regina 」

Salve Regina, Mater misericodiae,
めでたし元后、あわれみ深いおん母

Vita, dulcedo et spes nostra, salve.
私たちのいのち、なぐさめ、望みなるお方、めでたし。

Ad te clamamus exsules filii Hevae.
私たち、さすらいのエヴァの子はあなたに向かって呼ばわり、

Ad te supiramus gemen tes et flentes in hac lacrimarum valle.
あなたに向かって泣き叫びます、この涙の谷で。

Eja ergo, advocata nostra, illos tuos miseri
私たちの代願者よ、あわれみのおん目で

cordes o culos ad nos converte.
私たちをかえりみてください。

Et Jesum, benedictum fructum ventris
ご胎内の祝せられた尊い御子イエズスを

tui nobis post hocexilium o stende.
この旅路の果てに示してください。

O clemens, O pia, O dulcis Virgo Maria.
ああ寛容、ああ仁慈、ああ甘美なる 喜びのおとめマリア。


 
 「イエスは、母とそのそばに立っている愛する弟子とを見て、
母に『婦人よ、この人はあなたの母です』と言った。
それから弟子には、『この婦人は、あなたの母です』と言った。」
(ヨハネによる福音書 19章26節〜27節)

 これは、十字架にかけられたイエス様が息を引きとる前に、マリア様と弟子たちにかけられた御言葉です。このときから、マリア様は私たちキリスト者のお母様にされたのだと思います。
私たちキリスト者は、お母様であるマリア様のお取次ぎを願い求めます。
(簡単に言うと、子供がお父さんに直接言いにくいお願い事をまずお母さんに話し、お母さんからお父さんにお願いしていただく、こんな感じです。)

 この世がどれほど「涙の谷」であっても、主に信頼して、主と一致して喜んで生きていきたいと思います。


 写真は、とある教会のルルドのマリア様です♪

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