熊野にて

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神武東征物語 大阪湾

孔舎衛坂(くさかさか・くさえのさか)の戦い
吉備を出発した神武軍は、難波の岬を通って河内の国の草香邑(くさかむら・東大阪市日下)の白肩の津に着いた。
http://kodai.sakura.ne.jp/nihonnkennkokusi/kusaezaka.gif 現在の日下は内陸部で、舟で行けるような場所ではない。だが大阪平野には、縄文晩期から古墳前期(約3000年前から1600年前)、河内湖(初期は海水の潟で、後淡水の湖となる)と呼ばれる湖があったとされる。天王寺イメージ 1あたりから、東海道新幹線新大阪駅あたりまで伸びる上町台地と、吹田市南の陸地に囲まれた淡水湖である。淀川、大和川がこの湖に流れ込んでいたとされる。

古田武彦氏はこのことから、神武軍が、草香(日下)に上陸したという記述は、日下が内陸部になってしまった後世に創作できるものではないとする。湖を実際に漕ぎ渡った事実にもとづく記述であり、このことから神武東征は史実であると主張する。イメージ 2
草香に上陸した神武軍侵攻の様子をたどってみよう。
はじめ生駒山地の南につながる、信貴山南麓あたり龍田越えで、奈良盆地への侵攻を試みる。だがその道は狭く、イメージ 3険しいので引き返す。
次に生駒山の北を越えて侵攻しようとするが、孔舎衛坂(くさかざか、またはくさえのさか)(東大阪市日下)で応戦した長髓彦(ながすねひこ)に敗れるのである。この戦いで長兄五瀬は脛(すね)に矢傷を負う。
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 『日本書紀』と『古事記』は最初の天皇を神日本磐余彦(かんやまといわれひこ)すなわち神武とする。
イメージ 6『日本書紀』は、神武が橿原の宮で即位した年を辛酉(かのととり)紀元前660年のこととする。紀元前660年といえば縄文晩期(最近の炭素年代測定では弥生時代)とされる時代で、とても詳細な年次や、事件の内容が伝わるとは考えられない。
しかし記紀が語る神武東征物語は、まったくの架空の物語であろうか。
結論を急ぐ前に、各地に残る伝承や、記紀の記述をもとに、東征の物語を見ていただきたい。
http://kodai.sakura.ne.jp/nihonnkennkokusi/tousei.gif図は『日本書紀』が伝える東征の経路である。
イメージ 1物語の大筋は『古事記』と似るが、細部は若干異なる。
たとえば『日本書紀』は椎根津彦(しいねつひこ)に会つた場所を、筑紫(九州)の宇佐に到着する前のこととする。だとすると速吸の門(はやすいのと)は豊予海峡の速吸の瀬戸と考えられる。
これに対し『古事記』は槁根津日子(さおねつひこ)(どちらもウズヒコとする同一人物)に会ったのは吉備を出発してからとする。だとすれば速吸の門を、明石海峡あたりとする説も生まれる。
また仮の宮を置いたとする安芸(広島)の宮を、『日本書紀』は埃の宮(えのみや)とし、『古事記』はタケリの宮とする。
イメージ 2ここでは記述がより詳細で、具体的な『日本書紀』の記述を中心に構成する。
『日本書紀』は出発地について明確にしないが、出発してから最初に、筑紫の宇佐に寄ったとする。
出発地は『古事記』の日向を発ったとする伝承と合わせて考えれば、宮崎県あたりとなろう。
宮崎県日向市の南に、耳川という川がある。この河口に美々津と呼ばれる小さな港がある。
この美々津は神武東征の出発地伝承を持つ。
伝承によると、出発が急遽早まったため、早朝里人を起こして回ったとするのである。その伝承を「起きよ祭り」として今に伝える。イメージ 3
また出発にあたり、餅の餡(あん)を包んでいる時間が無かった。そのため小豆と餅を一緒につき込んで渡した。この餅を「つき入れ餅」といい、この伝えを今に残す。
日向を出発した神武は、筑紫の菟狭(大分県宇佐市)に寄り、その後筑紫の岡の水門(みなと)にしばらく留まったとする。その場所は、遠賀川河口ということで福岡県遠賀郡芦屋町あたりとする説と、北九州市八幡西区黒崎にある岡田神社とする説がある。私は後者だと考えている。しかし何れイメージ 4にしても不思議な記述である。
東の奈良盆地を目指すなら、九州北岸の地に寄らずに、直接豊後水道から瀬戸内海に入れば、よさそうなものである。この疑問に対する私の見解は別の機会に述べる。
その後安芸(広島県)の埃の宮に留まった。更に吉備(岡山県)の高島の宮に移る。
仮の宮をつくり、ここで兵船を整え、食糧を蓄え、東への侵攻の準備をしたとすイメージ 5るのである。
ただし東征の始まりの時点では、総大将と言うべき人物は神武ではない。長兄の五瀬命(いつせのみこと)である。しかし、五瀬は戦いで、他の二人の兄も水難に会い命を落とす。最後に残った神武が東征を果たし、大和王権を樹立したとされる。
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神武東征5

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国見丘の戦い
次は久米歌として挿入される、国見丘争奪の戦いである。
「神風(かむかぜ)の伊勢の海の 大石にや 這(は)ひもとへる 細螺(しただみ)の 細螺の 吾子(あご)よ吾子よ 細螺のい這ひもとへり うちてしやまむ」
従来の解釈では、神風を伊勢の枕詞とする。
また伊勢を伊勢神宮と考えるため、伊勢神宮が祭られるのは垂仁の時代で、神武の時代に伊勢神宮は存在しない。したがつてこの歌は後世の創作だとするのである。神武東征が創作された物語であるという説の根拠にもなっている。
だが神風は枕詞ではない。この時代に枕詞というような慣用的表現は、まだ生まれていないと見るのが妥当であろう。
神風とは、神武一行が荒坂の沖で遭遇した暴風である。この暴風で難破した場所は、熊野から伊勢に入った直後、他ならぬ伊勢の海である。
重要なのはつぎの「大石」である。
『日本書紀』は、この歌の説明として「歌の心は、大石を国見丘に喩(たと)えたのである」とする。
この大石は海岸ならどこにでも見かける、ありふれた岩ではない。
「楯ヶ崎(たてがさき)」である。
楯ヶ崎とは、荒坂の津とされる、熊野市二木島湾の外側にそびえる高さ約80m、周囲約550mに及ぶ、大岩である。柱状節理の岩塊は見る者を圧倒する。
暴風に会い、神武達がまさに命がけで上陸した場所であり、仲間を失った、忘れる事の出来ない場所でもある。
http://kodai.sakura.ne.jp/nihonnkennkokusi/06tategasaki.jpg

また従来次の細螺(しただみ)を久米の者達と解釈して、細螺のように国見丘をはいまわって敵を討とう、とする説が多い。しかし戦意を鼓舞する歌としては、細螺にたとえたのでは、いかにも迫力に欠ける。
細螺(しただみ)は「下民」で敵兵のことである。
吾子(あご)よ吾子よは、伝承される過程で、這いまわり始めた赤ん坊に、元気に這いまわれと呼びかける歌として、後から付け加わったと考える。
したがって「暴風にあった伊勢の海の大石(楯ヶ崎)に這いまわっていた細螺(小さな巻き貝)のような、国見丘に這いまわる細螺(下民)を、這いまとわり付いて討ち滅ぼしてしまおう」である。
暴風で難破し楯ヶ崎の険しい絶壁を這い上がり、からくも一命を得た久米の者達にとって、国見丘の険しさなどものの数ではないという、戦いを鼓舞する歌である。
またこの歌から神武達が難破したのは、熊野市二木島湾の外海、柱状、楯ヶ崎であったという、二木島に伝わる伝承が真実味をおびてくる。
かくして神武軍は八十梟帥(やそたける)を国見丘に撃破する。
http://kodai.sakura.ne.jp/nihonnkennkokusi/05tategasaki.jpg
神武上陸伝承地碑(伊勢湾台風で損壊し台座のみが残る)
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神武東征の物語4

高倉山からの偵察
『日本書紀』は次のように記す。
天皇は、あの菟田の高倉山の山頂に登り、域中を望み見た。国見丘の上には八十梟帥(やそたける)がいた。また女坂に女軍を置き、男坂に男軍を置き、墨坂に赤い燠(おき)を置いた。・・中略・・
賊どもの拠点はみな要害の地で道路は塞(ふさ)がれて途絶(とだ)えてしまい、通るところはなかった。
http://kodai.sakura.ne.jp/nihonnkennkokusi/takakurayama1.jpg
 
墨坂は西峠である、現在の墨坂神社は宇陀川沿いに祭られているが、古くはこの西峠に在ったとされる。
西峠は榛原(はいイメージ 1ばら)〜長谷寺間の峠で、宇陀から奈良盆地に抜ける主要道路でもある。奈良盆地側から見れば、侵入する敵を阻止する要害の地である。

この墨坂の南の山塊が
音羽三山と呼ばれ、北から音羽山、経ヶ塚山、熊ヶ岳と続く、奈良盆地と宇陀地方を分かつ、青垣山の一つである。国見丘とはこの山塊の一つとされる。
更に南は大峠を挟んで龍門ヶ岳に続く。宇陀から奈良盆地に向かうには、上記の西峠を通るのが一般的だが、大宇陀町の半坂から、音羽山の北山麓を抜け、桜井市の粟原(おおはら)イメージ 2に抜ける峠道がある。ここを下って桜井市忍坂(おっさか)に至る。忍坂(おっさか)街道と呼ばれる古い街道である。
男坂とはこの坂とされる。
また大宇陀町宮奥から大峠を越えて、多武峯(とうのみね)の東に抜け、桜井市に至る街道がある。ここが女坂とされる。

この高倉山とは山麓に高倉という地名を持つ榛原町の福地山のことである。福知山の稜線から、西峠や音羽三山を正面に望むことができる。
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神武東征の物語3

 
菟田の高城に鴫罠張る
イメージ 1
熊野は山深い、道案内無くして熊野山中の縦断は困難である。
頭八咫烏(やたのからす)の案内で、神武軍は熊野山中を突破する。
頭八咫烏はもちろん烏ではない。

建津身命(たけつみのみこと)または建角身命(たけつのみのみこと)と呼ばれる人物で、その功績により宇陀地方で、葛野主殿県主(かずののとのものあがたぬし)となり、後に山城に移り、賀茂県主の遠祖となったと、される人物である。
神武軍は菟田(うだ)の穿邑(うがちむら)(奈良県宇陀郡菟田野町)に到着する。
そして宇陀地方の首長を懐柔する。
イメージ 2しかし首長たちの中で、弟猾(オトウカシ)は帰順するが、兄猾(エウカシ)は帰順すると見せかけ、抗戦するのである。最後はエウカシを菟田の血原で斬ったとする。
神武軍がどのように戦ったかを伝える歌が、記紀に採録されている。
久米歌といわれる歌である。イメージ 3
久米と呼ばれる氏族は和歌山市あたりの出身で、途中で神武軍に加わったと推測される。久米歌は自分達の活躍を、歌と踊りにして子孫に伝えたものと考えられる。
久米舞は国風歌舞(くにぶりのうたまい)の一つとして、今も宮中に伝えられる。ただし現在のものは一度絶え、江戸時代末期に復活イメージ 4されたものとされる。
記紀に採録された久米歌の解釈を中心に話しを進める。
「莵田の高城に鴫罠(しぎわな)張る わが待つや 鴫は障(さ)わらず いすくわし 鯨(区http://kodai.sakura.ne.jp/nihonnkennkokusi/zi.gif羅)障(さ)やる」(紀)
莵田の高城(たかぎ)の場所を確定できないが、その場所として、次の二つの候補がある。その一つが、宇陀郡菟田野町佐倉あたりとする説である。この近くにある桜実神社境内に「八ッ房杉」といわれる杉の巨木イメージ 5がある。国の天然記念物ともなるこの巨木は、神武がこの地に陣を張った時植えたとの伝承を持つ。
もう一つは榛原町赤埴(あかばね)の高城山(810m)という説である。高城山に続く後背地に三郎ヶ岳があり、その東側裾野に血原という場所もある。
この高城に鴫罠(しぎわな)を張ったというのである。
まさか鳥を捕る罠で、鯨が捕れることは無い。鴫も、罠も、鯨も、比喩である。
高城で対峙した敵の中心人物は、奈良盆地中央部を本拠とする磯城(しき)彦である。
シギはシキで、敵対する磯城彦のことである。また鯨は山鯨(猪)のことで兄猾(エウカシ)のことである。『日本書紀』は「区http://kodai.sakura.ne.jp/nihonnkennkokusi/zi.gif羅」、『古事記』は「久治良」とする。
意訳すれば『宇陀の高城に鴫罠(磯城彦を討つ罠または陣)を張って待つた。鴫(磯城彦)でなく鯨(兄猾・エウカシ)が、かかった』という意味でる。
「馬鹿なエウカシよ」とあざけり笑った歌である。
イメージ 6なお「いすくわし」の意味は不明であるが、私は「こざかしい」というくらいの意味に解釈する。
さらに歌は「こなみ(前妻)が な(魚)こ(乞)わば たちそばの 実のなけくを こきしひゑね うはなり(後妻)が な(魚)こ(乞)はさば いちさかき 実のおほけくを こきだひゑね」(紀)と続く。
古い妻がさかなを欲しいと言ったら、たちそばの実のような、身のないところをやる。新しい妻がさかなを欲しいと言ったら、いちさかき(椎)の実のような 身の多いところをやる。
男が複数の妻を持った時代、新しい妻がいとおしいという、男の本音を笑いの種にした歌である。
前後の歌に、意味のつながりは無い。ともに笑いの種にしたという意味で、男達が集う仲間内の宴席などで、歌い継がれてきたのであろう。
『古事記』は「歌にこたえてはやしの声にぎやかに、ののしり笑う。」として「ええしやこしや ああしやこしやはや」とはやしの言葉を記す
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