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集団的自衛権についてをこの記事で読むと面白いと言うか目からウロコです
ねずさんのひとりごとから抜粋
今日は集団的自衛権のことを書きたいと思います。 |

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こんにちは、ゲストさん
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集団的自衛権についてをこの記事で読むと面白いと言うか目からウロコです
ねずさんのひとりごとから抜粋
今日は集団的自衛権のことを書きたいと思います。 |
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本日は転載記事です
友人から拡散願いますとの依頼です
民主党政権下における野田首相の答弁〜同じ事例がかつてあった。
本日は、民主党政権時代の議事録を紹介する。
今回、農林水産大臣が辞任する自体となり、民主党はこれを国会で強く指摘。
現在、審議拒否の構えだ。
では、民主党時代、野田総理が「首相として」どのように答弁したか。
また日教組の組織内議員らがどのように答弁しているか、まずもってご覧頂きたい。
自分はいいが、人はダメ。
それは流石におかしいのではないか。
(該当部分を抜粋)
○委員長(山本順三君)
関連質疑を許します。義家弘介君。
○義家弘介君
自由民主党の義家弘介です。 |
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東日本大震災で被災した宮城県石巻市などで活動中の陸上自衛隊第14旅団(香川県善通寺市)の
隊員が津波で児童の約7割が死亡・行方不明となった石巻市立大川小の児童とみられる女児から
捜索活動に感謝する手紙を受け取った。
コピーが他の隊員にも配られ、心の支えになっている。
手紙は動物のイラストが描かれた1枚の便箋に
「つなみのせいで、大川小学校のわたしのおともだちがみんなしんでしまいました。
じえいたいさんががんばってくれているので、わたしもがんばります」
とつづられていた。
「日本をたすけてください。いつもおうえんしています。じえいたいさんありがとう」とも。
広報を担当する伊丹秀喜2等陸尉(47)は
「手紙に大きな力をもらった。気持ちに応えられるよう、一日も早い復興に力添えしていきたい」
と話している。
旅団では手紙をコピーし、多くの隊員が財布などに入れて持ち歩いている。
(4月30日 産経新聞)
・・・・
不肖・宮嶋、東北の民が、いや日本人がこの戦後迎えた最悪の苦難をいかに克服していくか、
それを見届けるため、この地に滞在することすでに40日を越えた。
その間、有名、無名の多くの人が被災地に来て去っていくのを見た。
自衛隊、警察、消防はもちろん、多くは老若男女を問わず、
何の見返りも求めず、居ても立ってもおられず少しでもこの地で東北の民をお助けしたい、
復興の少しでもお役に立ちたい、手弁当でやって来たのである。
あのジャニーズの中居某なんか、休みの日に、こっそりやってきて
避難所のお手伝いをしとったというではないか。
TVのクルーも連れてなかったからこの不肖・宮嶋も気づかんかったくらいや。
やるやないか、見直したで。
石原軍団の炊き出しのノウハウもすごい。
約1万5千食の物量は自衛隊顔負けや。
さらにおでんもカレーも焼きそばもレトルトやない、手作りである。
・・・それも丸々、1週間はなかなか出来るこっちゃない。・・・
(4月28日 産経新聞 カメラマン 宮嶋茂樹)
長渕剛も行きました、自衛隊の慰問に・・・
被災した山田市街地
空自 北施隊による山田市街地復旧活動
行方不明者の懸命な捜索
ガレキ除去作業:田老町
行方不明者の捜索
がれきの集積
亘理での捜索 水中処分艇で岸壁へ
医療支援活動
津波のため多賀城市内で立ち往生した被災者を
救助ボートで救助する隊員 頑張れ即自! 仙台市七郷小における給食支援
給水支援活動をのぞきこむ女の子
多くの住民を救った給水支援
有難い 給湯支援
医療支援
6特科連隊員の活動
小松基地でC-1へ救援物資搭載
小松基地でC-1へ救援物資搭載
福島空港での支援物資積み下ろし(C-130)
救援物資を搭載する KCー767
仙台石巻沖大島へ到着したMH53Eの物資積み替え
YS-11への支援物資搭載
おにぎりを握る自衛官たち
救助された園児たちに食事提供
バージを曳き福島第1原発の災害派遣に向かう多用途支援艦「ひうち」
子供たちを励ます自衛官
慰問演奏
114号線応援団!
慰問活動
孤立した園児たちを救助 護衛艦「たかなみ」
輸送艦「おおすみ」 救援物資搭載
衛生科隊員による被災者への活動
被災者救援活動
19普連即応予備自衛官松島基地到着
行方不明者の捜索
行方不明者の捜索
行方不明者の捜索
行方不明者の捜索 陸前高田
行方不明者の捜索
吹雪の中、飲料水を提供
雪の中、行方不明者の懸命な捜索
難航する捜索活動
行方不明者の捜索
行方不明者の捜索
行方不明者の捜索
行方不明者の捜索
被災者の救助活動 日の丸
遠野サッカー場に掲げられた横断幕
「日本をたすけてください。いつもおうえんしています。じえいたいさんありがとう・・・」
( 防衛省 活動フォトギャラリーより) |
日本によって台湾が統治されていた明治二十八(一八九五)年から昭和二十(一九四五)年までの 日本時代を経験した台湾人は誰しもそうですが、私の家も日本と深い関わりがあります。 特に、私の祖父は台湾で最初の日本語教育の場として有名な、台北市の芝山巌学堂の第一期生で、 積極的に日本人として生きた人間でした。祖父は中国清朝の人間で、明治二十八年、二十三歳の時に 日本人になってから亡くなるまでずっと日本人でした。 父は、日本時代に日本人として生まれ、四十歳を過ぎてから終戦を迎えて中国人になり、 そして自由中国(中華民国)で、自由台湾を見る前に(台湾独立の前に)亡くなってしまいました。 私も日本時代に生まれ、終戦で中国人になり、その後ようやく台湾人として目覚めて、 これからというところなのですが、今、八十歳を過ぎてしまいました。・・・・・・ 今も日本の学校では、台湾のことがきちんと教えられていません。 台湾が日本領だったということも、歴史の教科書には書いてはあるけれども、 戦争のこともあって近代史はきちんと教えられていません。 教えられるとしたら、日本が悪いことをしたということばかりなわけです。 だから、日本人は正しい歴史を直視していないと思います。 大東亜戦争で日本人が悪いことをした、悪いことをしたと、一生懸命、何十年も経っても謝っていますが、これは大いに間違いです。大間違いです。戦争というのは愚かな歴史ではありますが、 日本が戦争に突入していかざるを得なかった当時の状況を、日本人はきちんと学ぶ必要があるのです。「NHKスペシャル シリーズJAPANデビュー」に出演し、発言をゆがめられたとして NHKに抗議していた柯徳三(か・とくぞう)さんが2月2日、心不全のため死去されました。88歳。 上記の文章は柯徳三さんの著書「母国は日本 祖国は台湾」に書かれているものです。 心よりご冥福をお祈りいたします。 ・・・・・・ 台湾にはいろんな思い出がありますが、その一つが「台湾軍の歌」。 仕事で台北にいた頃、昼間にカラオケに誘われ、先輩が歌って周りから拍手喝采でした。 なるほどなぁ・・と思いました。 この歌の作詞は台湾軍司令官をしていた本間雅晴中将です。 当時、台湾には原住民による高砂義勇軍というめっぽう強い軍隊がおりました。 日本が台湾を統治をする頃に、日本軍への抵抗で手強かったのが高砂族でした。 日本軍にも劣らぬ勇敢さと、特にジャングルの中では人間離れした動きと鋭い感性。 その後、高砂義勇軍は同じ日本軍として大東亜戦争をともに戦いました。 その忠誠心は日本人以上とも言われています。 高砂族15万人のうち6千人が志願して、半数が戦死したという。 しかし、高砂族はどこかの民族とは違って、日本に戦争責任を追求することはしません。 それどころか、台湾高砂義勇隊記念碑に本間中将の鎮魂の遺詠を刻んで讃えてくれました。 高砂義勇隊にスニヨンという兵士がおりました。日本名は中村輝夫。 大東亜戦争の終戦時にはモロタイ島で遊撃隊として戦っていましたが、 8月15日の終戦の報は届かず、そのまま昭和49年までジャングルの中で任務遂行していました。 草よしの小さな小屋を立て、その周りにタロイモ、バナナの畑が作られていた。 夜明けと共に起き、食事は朝夕の2回。 野豚や牛を捕らえることもせず狭い生活圏に閉じこもりひっそりと規則正しく暮らしていました。 一人の寂しさを紛らわすため、中村さんは台湾で日本人教師から習った日本語で覚えた 軍歌や国民愛唱歌を歌っていたといいます。 発見された時には所持品は少なく、よく手入れされ機能良好なままの三八騎兵銃1丁、 小銃弾18発、水筒1個、山刀1振、ボロボロになった米兵の軍服。 しかも毎日、日本の皇居に向かって遙拝を欠かさなかったといいます。 中村さんが亡くなった後、入営に際しての寄せ書きの「日の丸」が出てきたそうです。 「赤誠」「武運」のかすかな文字に混じり、寄せ書きした兵士の名前が書かれていました。 肌身離さず所持していたらしく、四つに畳んで、折り目が切れてあった。 生前「陛下にお返しに行かなければ」と口癖のように言っていたといいます。 |
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1月19日に、今も戦地に残る戦没者の遺骨収集について考えるシンポジウムが
大阪市中央公会堂で開かれました。 1000人が参加し遺骨収集に取り組むアルピニストの野口健さんらが 収集事業の現状や課題について意見を交わしました。 遺骨収集は、本土以外での戦没者240万人のうち、 現在も100万人以上の遺骨が未帰還のままだといいます。 昭和27年度に始まった国の収集事業も、 関係者の高齢化や情報の減少で近年は収集数が停滞しているという。 フィリピンでの遺骨収集を行うNPO法人「空援隊」の活動に参加する野口さんは、 収集が進まない現状についてこう訴えた。 「遺骨収集イコール戦争美化につながるとして避けてきた傾向がある。 国が動かないなら、私たちが動いて国民運動化しなければ・・」 同隊は昨年、独自に調査した8675人分の遺骨を収集。 倉田宇山理事はゲリラが潜む密林での作業などについて説明。 「収集可能な遺骨は3万人分あるのに国は予算を出せないという。なぜ遺骨を放置するのか」 と悔しさをにじませた。 大阪市天王寺区の派遣社員の女性は 「まだ遺骨が残っているとは知らなかった。家族にも話して今後も関心を持ちたい」 と話していた。(2011.1.19 産経新聞より): 「戦後60年以上が過ぎたんだ。いまさら遺骨収集もないだろう」と言われた。 野口さんはこう言います。 ご遺骨は国のために亡くなった方々です。 一度、現場を見てください。 日本の繁栄のいしずえになった方たちですよ。 国の責任で故郷へ帰すのが当然じゃないですか。これは日本人全員の問題なんだ。 国のために亡くなった人たちに対し最後まで国がきちんと責任を果たす。 この当たり前の事があまりにも軽視され、 国民からもその存在自体すら忘れさられてしまっていた。 ご遺骨が戻ってきたその日、 私は自民党の国会議員が多く集まった勉強会で講演を行ってきましたが講演会の最後に 「遺骨収集に関して私は民主党政権に多くは期待していませんが、 しかし、この問題は民主党ではなく、長年にわたって政権与党であった自民党の責任です。 自民党がしっかりとこの問題に取り組んでこなかったから 未だに115万体ものご遺骨が放置されています。 保守政治を目指すとおっしゃるけれど、国のために亡くなった方々を放置しておいて 保守などあるわけがない。自民党の責任としてこの問題を解決して頂きたい」 とお願いしてきました。 自民党の議員さんやその関係者600人がシーンと静まり返り、 これはひんしゅくだったかなぁ〜と思いもしたが、 私は事実を話したわけですから、 ただしっかりと伝わってくれればそれでいいと会場を後にしました。 その一週間後、会場にいらした森元総理からお便りが届き 「野口さんの講演を聞きました。 英霊の声なき声をしっかりと受け止めなければならないと肝に銘じました」 と書かれてあった。 また衛藤晟一先生は 「野口さん、私も空援隊のメンバーに加わります。 そして一度フィリピンでの遺骨収集に参加します」 と空援隊の顧問議員団に加わってくださった。 ちゃんと伝わっていたのだ。 私は度々、この遺骨収集活動にイデオロギーを持ち込みたくないと発言してきました。 なかには 「遺骨収集を行うとはお前はあの戦争を美化しているのか」 などといった声を未だに耳にすることがありますが、そんな話ではない。 あの洞窟の現場で散乱したご遺骨を目にして誰が戦争を美化するものかと、 甚だ見当違いである。 そんな事ではない。 国のために亡くなった方々に対して冷たい国は必ず滅びていく。 これから先の日本を思えばこそ、この活動はしっかりとやらなければならない。 したがってこの活動に自民党も民主党もない。 超党派での活動であり、 また国会議員や官僚だけの役割ではなく全ての国民にも何らかの形で加わって頂きたい。 また知って頂きたい。 何故ならば私たちの国、日本のために亡くなってくださった方々なのですから。 全ての日本人にとって無関係ではないということ。 私は3月、再びフィリピンに向かいます。・・・。 ・・・・・・ このようなことをやっていること自体知らない国民が多いといいます。 それ以前に「なぜ、そんな外国に日本人の遺骨があるの」と言われそうです・・。 先人たちは国のために散華されました。 政府は高校無料化などいりませんから、こういう所に予算をつけて頂きたいと思います。 そして、先人たちを一日も早く祖国に帰してあげることが日本の政府の務めでもあります。 私の個人的な考えですが、日の丸を嫌い、先人を侮辱する学校の教職員にこそ、 公務員として、強制的に遺骨収集させ、先人たちの思いとその状況を身をもって知って頂くことが 必要だと思います・・・ [[attached(1,center)]]
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