hinoki no oheya

明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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海軍兵学校写真集。。。私がこの本を購入したのは、父が亡くなった後でした。。
この本で、当時の海軍兵学校の事が伝わりました。。。
 
もっと早く手に入れていたら。。
父が生きている間、もっと父のことが理解してあげられたのに。。
と。。悔やんでも。。。しかたがないことですね。。
 
私の父は、昭和5年1月生まれ。。
昨年の1月に亡くなりました。。
昭和60年に脳内出血で、倒れてから昨年亡くなるまで、完全失語症で
24年間過ごしました。
 
失語症でも、筆記や本を読める方もいらっしゃいます。
父は、新聞など、漢字が多く使われているものは、だいたいわかったそうです。
が、文字は書けませんでした。
普段の会話で言われていることは理解できても、まったく話すことができませんし
筆談もできませんでした。
 
その父が、「」であれば、言葉がすらすらと出て、、歌うことができました。。
 
         同期の桜       作詞   71期  鮎佐  裕
 
          貴様と俺とは同期の桜
          同じ兵学校の庭に咲く
          咲いた花なら散るのは覚悟
          見事ちりましょ国の為
 
いつも。。見事。。。という歌詞のところから、泣き出して。。大きな声で
いつまでも泣いていました。。。あまりに泣くので、その声が。。。
耳から離れず
私たち家族であっても、嫌になるほど。。。
だから、この歌はできるだけ。。。。歌わずにいたほどでした。
 
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右の写真は父が、15歳で、海軍兵学校へ入学時の写真と思われます。
なぜか(意味がありそうです。)。。。。。。。。
写真の首元のアンカーの校章は、削り取られていました。
 
15歳になったばかりの年齢で、見事ちりましょ(死にましょう)国の為。。。
 
と、兵学校で歌っていた時。。父はとってもつらかったのでしょう。。。
 
戦争が終わっても。。何十年たっても、そのつらさが、、この歌を歌う度、
こみあげていたのでしょう。。。。。
 
今なら、本当にわかります。。父の気持が。。
 
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父は、とっても働き者で、毎日たくさんの患者さんの診察をしていました。
そして、父の机の前には、この「五省」が。。ありました。
 
自分にとっても厳しく、そして兄や私にも厳しい父でした。
私は、そんな父に反発心もあって。。。
 
怠け者で、頭も悪く、父には見放されていました。。
良い娘ではありませんでした。
 
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父は海軍兵学校78期で、終戦の年の3月1日に入学しました。
わずか半年足らずの兵学校の生活。。
それは、とっても悲惨なものだったようです。
 
その年の入学生は、長崎県佐世保近くの針尾島という場所に入学しました。
江田島学校の素晴らしい建物や、施設とは、まったく違う貧相な
建物の中に、寝起きし勉強や、厳しい訓練を行ったのです。
 
もう、乗るべき艦も、飛ぶべき機もない状態の78期。。
 
戦局が終盤を迎え、移転した山口県防府市では、連日連夜の空襲にあい、
体力消耗、劣悪な衛生環境で生徒の3分の1が、赤痢に罹患し、。。。
8月には、焼夷弾が生徒館に落下。。
7棟中5棟が消失し、衣類や学用品も消失したそうです。。
 
本当に怖かっただろうな。。。と思いました。
よく生きて帰ってこれて。。。。
 
当然78期は、顔写真もなく名簿のみです。父は211分隊でした。
 
この針尾島。。今どのようになっているか。。
子供を連れ、訪れたいと思いました。。
 
父は最期のネイビーだったのです。。
 
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勝海舟。。今はNHK龍馬伝で。。海軍所をたちあげて奮闘されていましたね。
海軍兵学校のこの文字は、勝海舟の文字を取り出し当てたものだそうです。
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この、海軍兵学校の本の中に、、江田島の三大行事のひとつとして、
遠泳の箇所がありました。
わたしは、もうびっくりしてしまいました。。
18.8キロ。。。????
1日中泳ぎ続け平均13時間泳ぎ続けたと書かれています。
最短でも5.6キロ。。。当時の写真では、みなふんどし姿でした。。
 
そんなお話から、私のトライアスロンの話をつなげることは、
本当に申し訳なく
私は、ちっぽけなものですが。。
 
1988年(22年も前の話です。)に、
ワールドトライアスロンインひろしま大会というレースがありました。
 
このレースは、江田島の旧海軍兵学校内(現自衛隊施設)
の海から、スタートし、瀬戸内海の、
能見島まで泳ぎ(2.6キロ)自転車106.4キロラン22.6キロというレースで
私は、出場しました。
押入れを掃除していたら、私の兵庫トライアスロンクラブの会報が、出てきて
私がこのレースの完走記を書いていました。。。
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当日は、バケツの水をひっくり返したような。。大雨でした。。。
 
スタート合図が。。海洋自衛隊の方が吹く。。突撃ラッパ
「パッパラパパパパ〜〜パッパパッパラッパパ〜〜〜〜〜〜!」
え〜〜〜〜!信じられない!と思う暇なくスタートでした。
ダ〜〜〜ン!!!!(空砲)
 
上の私の書いた絵は、当日朝、お味噌汁から、石が出てきて。。(笑)
ゼッケン番号も142番!
142(石に)かじりついても、完走するぞ〜!
と気合を入れたところの絵です。。
 
その後、自転車でこけて、、頭を打ち。。身体中あざだらけ、擦り傷だらけで
走りました。自転車のブレーキも故障していました。
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先日。。。私のトライアスロンは、亀さんのよう。。とお伝えしたように。。
 
私は、学生時代運動部の経験の無い運動オンチでした。
 
小学生のとき。。病気で、歩けなくなり、
寝たきりになったので、ほとんど体育の時間は見学でした。
 
大人になってから、運動を始め、トライアスロンレースに出るようになり、
完走もできて、クラブのお仲間たちと
練習を積むうち。。どんどん。。もっと、もっと。。
次のレースに出たくなりました。。
 
夢は、沖縄の宮古島大会。
琵琶湖のアイアンマンレース。。
そのために、このひろしま大会のような中規模レースに出場して、完走しないと、
宮古島大会や、アイアンマンレースに出場資格がもらえないのです。
その為にも。。完走しなくては。。いけませんでした。。
 
能見島では、カブトガニが。。いました。。
本当に驚いたこと。。今でも記憶しています。
 
そして、レースから家に帰り、自転車で転んだ際ぶつけた、
頭のヘルメットの傷。。
腰の直径20センチの黒青あざ。。。身体中の擦り傷。。
 
母は怒り。。。わたしの愛するロードレーサーを
ごみの日に捨てていました。。。。。。
(もちろん、セーフ。。)間に合いました。。。。(笑)
 
長くなりました。。。
 
私は、この海軍兵学校の本を買う前まで、父は、江田島の学校へ行っていたと
思っていたのです。だから、突撃ラッパも父と同じ場所で聞けたと長い間
思っていました。
でも、江田島に父が行っていたとしたら、、私は生まれていなかったのです。
 
入学時、学生は4号といわれていて、学年が上がるごとに、3,2,1号となり
次は。。
戦争へ送られていたのです。。。。
 
今。。。これからも永遠に、、戦争が起こらないことを願います。。
 
 
また、宮古島大会。アイアンマンレースのこと。。
 
読んでくださいね。。
 
本当に最後までおつきあいくださいまして、ありがとうございました。。
 
 
 
 
 

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なんだか、michikoさんのトライアスロンにも、深い思いがあったんだなぁって感慨深く思いました。
それに、お父様を愛する気持ちの深いのとに感心します。
私の父は健在ですが、親孝行というものをしていないなぁと思いました。

2010/6/23(水) 午後 9:50 [ ayaran ]

凄いですね。トライアスロンの事ですけど。。。
とっても信じられないくらい、どれも長い距離ですね。
私には絶対無理です。ムゥリ〜〜ィ!
今となっては、いい思い出ですよね。
やってよかったと思いますよ。
心身共に大きな成長があったと思います。

2010/6/23(水) 午後 10:31 鮎薔薇

ayaranさま  トライアスロンを始めたのも、父の入院があったから。。なのは、確かです。父が元気だったら、私は全く違う人生だったと思います
父を長年介護した中、父が話せない分、会話には理解が必要でした。

2010/6/24(木) 午前 6:41 mic*i*o19*0

鮎薔薇さま
そうですか〜?
鮎薔薇さんは、登山と釣りでかなりの忍耐力があるから大丈夫ですよ。同じクラブだった方に60歳から始められた方や70歳くらいの方もおられましたよ。
私はこのレース後、もっと長い距離のに出ましたまた読んでくださいね。

2010/6/24(木) 午前 6:49 mic*i*o19*0

とても良いお話でした・・・心にしみました・・・お父様の同期の桜を歌いながら泣かれる姿を想像して僕もうるうるしました・・・。
michikoさんのトライアスロンのお話面白いですね・・・そしてそんなmichikoさんのおうちの環境でトライアスロンを続けたmichikoさんもすごいな〜と思います。またお話かいてくださいね。ぽちん!

2010/6/24(木) 午後 0:32 てるゆき

てるゆきさま
えへへ(*^.^*)私のような亀さんトライアスリートにポチ有難うございます。また皆で会うの楽しみですね。ヒルトンの2階のカジュアルレストランで飲み放題食べ放題があるのでそうしようかと思っています。。お料理はとっても美味しいですよ。
料金もかき金くらいです。

2010/6/24(木) 午後 6:41 mic*i*o19*0

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私も感慨深く読ませていただきました。
お父様はじめ戦中の人々はほんとうによく苦しみ
に耐えられました。

戦争はあってはならないもの。
でも戦争を経験した人々から教えられることもたくさんありますね。

「同期の桜」は実家にもレコードがあり、父が買ったものでした。
子どもだった私には理解が出来ませんでした。

あの時代の青年だけが知る、戦争はいやだという気持ちと一生懸命生き抜いた誇りとが入り混じった複雑な心境で聴いていた曲かもしれませんね。

まとまらないコメントでごめんなさい。
私も父の思い出と重ねてしまってちょっとセンチに・・・

2010/6/25(金) 午前 0:20 [ kimako ]

kimakoさま
いいえ、本当に有難うございます。
同期の桜をkimakoさんのお父様も聞いておられたのですね。
そうです。生き抜いた誇りとあまりにも辛い経験。。。が混じり合い。。言葉にできないですね。父が元気な時、もっとそんな体験を聞かせてもらっていたら。。。
そうすれば、私の息子にも伝えられたのに、と悔やみます。
あと、父の母(私の祖母)も15歳の父を送り出す時どんな辛い気持ちだったか、、もし、今、私の息子が兵学校へ行っていたとしたら?と思ったら、夜も眠れないほどに辛かっただろう。と思いました。

2010/6/25(金) 午前 3:55 mic*i*o19*0

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心に染み入る お話でした。
私の亡き父は、当時の日本人としては 体格の良い人でしたが、
肺結核の為(感染する病気の人は入隊できません)
戦争体験はありません、獣医でしたので
種場牧場の仕事で 軍馬を生ませていたようですが、、、
何時も 生き残りで済まないと 思っていたようです。
お給料を毎回寄付していたようです。
かなりの 同級生が亡くなっていて、
父の弟もフィリピンで戦死しています。

トリアトランで頑張ってレースをされていたなんて!!
凄いことです、描かれてある絵も素敵です。
傑作ポチ!

2010/6/30(水) 午後 7:01 [ Atsuko ]

Atsukoさま
お父様のことをお聞かせ下さって、本当に有難うございます。
私の父も戦後、医学生の時、結核にかかりました。奨学金をもらいアルバイトをしていました。。
ストレプトマイシンのおかげで命を救われたそうです。
。。。。獣医さんだったのですね。軍馬を育てる仕事。
心優しいお父様だったのですね。毎月のお給料を寄付されたなんて。。お父様は戦争で亡くなった同級生や、弟さんを思い、苦しまれたのですね。。
どんなに辛い思いだったでしょうか。。
戦争は、もう二度と起こって欲しくないです。
そちらの発音で、トリアトロンというのですね日本語のトライアスロンという発音と違うのですね。面白いです。ポチ有難うございました

2010/7/1(木) 午後 5:35 mic*i*o19*0

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