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100年以上前に作られた平椀が出てきました。
触っただけで上質の漆を使っているのが判ります。
瀬戸内寂聴尼は、抹茶椀として使っていました。
手触りも口当たりも良さそうです。
工夫次第で面白い器になりそうです。
東京に嫁ぎます。
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奥州平泉の金色堂は有名です。
当時の奥州は、産金で知られています。
しかし、絢爛豪華な黄金文化も、実は漆の文化なのです。
そういった意味で、平泉の財力を支えた物には、漆があったのかもしれません。
そのあたりから、日本史を調べると面白そうです。
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数年前の画像。
むつ市の帰りに、青森の酒「八甲田」を購入しました。
奇跡的に画像が残っていました。
どんな味か思い出せません。
辛口だったでしょうかね。
蔵元を訪れてみたいです。
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末の松山と浪打峠
二戸市と一戸町の境にある末の松山に登る道は、かつては人馬の往来も多く道幅も広かったそうです。 また山頂に登ると岩手山や姫神山が望まれ、雄大な風景がひらけています。
古くから歌に詠まれる名所として知られ、三十六歌仙の一人清原元輔が詠んだ歌は有名です。
「契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山 なみこさじとは」
後拾遺和歌集の歌は有名ですね。
「末の松山」を詠んだ歌は、古今和歌集の他、拾遺和歌集や千載和歌集などに数多く撰ばれている。
しかし、かつては海底だったことを物語る交差層を見ていると、海の気配が感じられ風景全体が波打っている。別名を浪打峠と称ばれる。 明治9年7月10日朝、明治天皇東北御巡幸の際にここで休まれたと記録に残っています。 「後撰和歌集」 「わが袖はなにたつすゑの松山かそらより浪のこえぬ日はなし」 「拾遺和歌集」
「浦ちかくふりくる雪はしら浪の末の松山こすかとぞ見る」 「金葉和歌集」
「いかにせんすゑの松山なみこさばみねのはつゆききえもこそすれ」 「千載和歌集」
「あきかぜは浪とともにやこえぬらんまだきすずしきすゑの松山」 「新古今和歌集」 「霞たつすゑの松山ほのぼのと波にはなるる横雲の空」 「能因集」 「すゑのまつ山にて白浪のこすかとのみそきこえける末の松山まつ風の声」 「後鳥羽院御集」 「 見わたせば浪こす山のすゑの松木すゑにやとる冬の夜の月」 末の松山は、一般的には多賀城周辺とされていますが、二戸地方の説も根強くあります。 二戸地方の末の松山は、現在では通る人はほとんどありませんが、和歌でも詠みながら歩いてみたいと思うこの頃です。
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北福岡駅。
昭和62年に二戸駅と名前が変わりました。
あれから31年。
二戸駅も良いけど、北福岡駅も捨てがたい響きがあります。
ここの駅蕎麦が好きでした。
当時の写真や資料を探してます。
お持ちの方はよろしくお願いします。
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