浄法寺の漆屋!

浄法寺の漆屋です。漆に関する事を綴りたいと思います

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満州鉄道

満州鉄道に務めた事のある知り合いが亡くなりました。

100歳まで、もうすぐでした。

実体験としての、満州の話は興味深いものがありました。

基本的に、満州国を住んでいる人は歓迎したようです。

意外だったのは、満州地域には本土の日本人はあまり住んでいなかった事。

日本人として多く住んでいたのは、朝鮮系の日本人だったとのこと。

そのあたりを研究すると、日本の失敗が理解できそうです。



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写真データ

古いパソコンを処分する前に写真データを整理しています。

昨年急逝した恩人の画像が残っていました。

郷土の書き残したいことなど、いろいろアドバイスをいただいた思い出があります。

ちょうど10歳年上でした。

そんなことを思いながらパソコンを整理しています。


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漆蠟 その2

江戸期の盛岡藩内では漆蝋が生産され、藩にとっても貴重な産物の一つであったことはよくわかる。
 
しかし、集めた漆の実をどこで、どのように絞って蝋を作り、これを原料にして何を、どれくらい作ったのかなどはまだ解明されていないことも多い。
 
史料には、盛岡城下に住んでいた藩お抱え蝋燭師の名前も記録に残っている。
 
おそらく漆蝋を原料に蝋燭が作られ、城内や武家屋敷での照明として用いられたと思われる。
 
このほかに祭礼や祈願などの際、藩内の主な社寺への奉納物としても蝋燭は珍重されていた。
 
明治101877)年に来日し、大森貝塚の発見者としても有名なアメリカの動物学者エドワード・S・モースは、日本滞在中に各地を旅行しその記録を『日本その日その日』(平凡社、東洋文庫)として残した。
 
彼は明治111878)年820日頃に現在の二戸市福岡を通過するが、そのときの印象を次のように書きしるしている。
 
 
一軒の家の前を通った時、木の槌を叩く大きな音が私の注意を引いた。この家の人々は、ヌルデの一種の種子から取得する、植物蝋をつくりつつあった。この蝋で日本人は蝋燭をつくり、また弾薬筒製造のため、米国へ何トンと輸出する。
 
(中略)
 
ここ北日本でも同国の他の地方と同じように、この蝋をつくる。先ず種子を集め、反槌で粉末にし、それを竈に入れて熱し、竹の小割板でつくった丈夫な袋に入れ、この袋を巨大な材木にある四角い穴の中に置く。次に袋の両側に楔を入れ、二人の男が柄の長い槌を力まかせに振って楔を打ち込んで、袋から液体蝋をしぼり出す。すると蝋は穴の下の桶に流れこむこと、
 
岩手県北地方での本格的な漆蝋生産は大正末期までだったらしい。
 
水力発電所ができて新しい照明の時代になったこと、西洋ローソクの普及が衰退の理由である。
 
江戸期の浄法寺では、この和蝋燭の炎で漆器に文様を付ける技法があった。
 
この技法は、西洋蝋燭だと上手くいかないらしい。
 
蛇足ではあるが、エドワード・S・モースが日本滞在中に住んでいた家の数件隣に、若き日の田中舘愛橘が住んでいた。
 
もしかしたら、エドワード・S・モースの東北旅行も、愛橘博士の影響があったのかもしれない。


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古式合鹿椀

古い合鹿椀がヤフオクに出ています。

心惹かれますね。

欠けなどありますが、時代を考えれば程度も良好です。

どのような経緯で伝わったかも興味あります。

しかし、小遣いで購入するには高額!。

コツコツと資金を貯めます。


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漆蝋

岩手県北部は国産漆の産地として知られている。現在でも国産漆の大半を産出する地域である。
 
漆の産出が多いということは、当然ながら漆の木が多いということでもある。
 
明治以降は、越前地方からから出稼ぎに来た漆掻き職人が「殺し掻き」という新しい技法をもたらした。
 
それ以前は「養生掻き」という掻き方をしており、漆液は数年に一度の割りで少しずつ採取する方法が主流であった。
 
それは漆の実をたくさん採るためで、漆蝋の原料確保のためであった。
 
江戸期には、今の岩手県から青森県東部にかけては盛岡藩の領地であった。
 
その家老日誌である『雑書』(盛岡市中央公民館刊行中)によると、藩には複数の「漆掻奉行」が置かれ、秋になると担当地域内から漆液と漆の実を集めたことが記されている。
 
正保二(1645)年に盛岡藩が秋田藩との境にある沢内通の番所へ出した命令である「沢内通御留物之事」では、「蝋漆あぶら/箔椀・同木地」などを他藩へ勝手に持ち出すことを禁じ、違反者を捕まえたなら褒美を出すとしている。
 
同じような命令は、それ以後も各地の番所にも出さ、「蝋」が除外されることはなかった。
 
正保三(1646)年には「一戸蝋懸藤兵衛」という記録が残っている。
 
蝋燭を作ることを蝋懸(掛)というので、一七世紀半ばには一戸でこれを職業としていた人物がいたことがわかる。
 
盛岡藩の「御領分物産取調書」によれば、福岡通について「蝋 惣村より出/漆 惣村より出/蝋燭 福岡町一戸町」とあって、蝋と漆は二戸地方全域で、蝋燭は福岡町と一戸町で生産されていたことが記録に残っている。

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浄法寺漆
浄法寺漆
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