浄法寺の漆屋!

浄法寺の漆屋です。漆に関する事を綴りたいと思います

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鶏めし


駅弁の掛け紙を眺めています。

大舘の名物花善のものです。

地元でもそうですが、大舘方面も鶏めしがおいしいですね。

花輪線でワンカップを飲みながら、鶏めしを食べながら温泉に入りに行きたいですね。

全国各地で名物の鶏めしがありますが、鉄道の旅行もコンビニの普及で、駅弁が苦戦という話もあります。

国内グローバリズムは何となく寂しいですね。


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新商品が世界的チョコ品評会で銀賞 南部せんべいの小松製菓(岩手・二戸)
 
11/6() 10:49配信  デーリー東北新聞社
 
 南部せんべい製造大手の小松製菓(岩手県二戸市、小松豊社長)の新商品「チョコ南部PREMIUMNanbu Tablet』」が世界的なチョコレートの品評会「インターナショナルチョコレートアワード」アジア・太平洋地域大会で銀賞を受賞した。
 
台湾産カカオを使用したこだわりのチョコレートに砕いた南部せんべいを乗せており、価格2160円(税込み)で、7日に発売する。同社によると、東北地方で初めての受賞。
 
  大会には16カ国100社以上から約700点が出展。同社はダークチョコレートにトッピングを加えた商品の部門で銀賞に輝き、イタリアで17日に開催される世界大会の参加資格を得た。
 
  チョコレートはブドウのようなフルーティーな味と香りが特徴。刻んだ南部せんべいが程よい食感や味のアクセントを加えている。
 
  従来、赤道を挟んで南北の緯度20度以内とされるカカオの産地は温暖化の影響で南北23度くらいまで広がっているという。同社は、南部せんべいの世界発信などを目指し、カカオが育つ『カカオベルト』で最北端に位置し、新たな産地として注目を集める台湾・屏東県の農園と、2年ほど前にチョコ南部専用とすることで契約を締結。現地のチョコレート店と協力し、開発に取り組んだ。
 
  企画を手掛けた小松製菓の青谷耕成執行役員(40)は「台湾は親日で、直行便があるなど岩手とも関係が深い。アジアで栽培から製造までを一貫してできることを証明できたと思う」と胸を張る。
 
  同商品は本年度の「グッドデザイン賞」(日本デザイン振興会)も獲得。デザインの他、食べる時に割りやすい機能性、パッケージにカカオ豆の皮を再利用している点が評価された。
 
  商品は二戸市石切所の「北のチョコレート工場&店舗 2door(ツードア)」など直営店や通信販売で購入できる。
 
問い合わせは、南部せんべい乃巖手屋=電話0120232209=へ。

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遣日使

日本とチャイナ、日本とコリアはギスギスした話題が多い昨今ですが、ギスギスした関係にも長い歴史があることが判りますね。

インターネットを検索すると、「遣日使」という言葉を見かけます。

戦後教育で私たちは、日本が隋や唐から日本より優れた文化を取り入れようとして、遣隋使遣唐使を盛んに送ったと教えられました。

しかし、田中英道・東北大学教授は「遣日使の方が多かった」との見解を述べています。

「日本の歴史において、常に外国から学び、模倣して日本文化が形成されている、という歴史家、評論家の固定観念が、日本の世界における文明的な位置づけを怠らせ、その意義の検討を遅らせてきたのである。

遣唐使という言葉はあるが、遣日使という言葉がないこともその証拠である」

そこで思い出されるのが聖徳太子のあの有名な言葉です。

「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつ)が無きや」

実は、遣唐使の何倍もの使者が唐から日本に来たと田中氏は説きます。

日本書紀には、「唐人を乗せた船が余りにも多く押し寄せたので、防人たちはすわ侵略軍かと思い弓を射た」という記述があります。

教えを請おうと渡って来たのは唐のみならず、新羅や渤海からも来ていました。

渤海は日本への朝貢国で、高句麗とは対立関係にあった国です。

鑑真和上は有名ですね。

日本へ仏教を広めるため何度も日本への渡海を試みて、やっと日本に来たときは目が見えなくなっていたと教えられました。

なぜ鑑真和上は、日本への渡海を何度も試みたかが不思議でした。

しかし、当時の日本の文化への憧憬から「遣日使」という言葉から浮かんできます。

仏教はすでに聖徳太子が国策として取り入れ、神道と仏教両輪でそれなりに安定した社会でした。

彼らにとって日本は文化果つる国ではなく、憧れの国だったのです。

明治維新後に、清国から多くの留学生が日本を目指したのと同じ現象だったのですね。

この部分を、日本の教育は教えません。

チャイナの文化を吸収し、独自に高め、庶民までもが「万葉集」に見るように和歌を自在に詠む教養度の国が日本でした。

文化だけではなく、金や銀の精製技術をさえ日本は有していたようです。

遣隋使、遣唐使の人や船の数より遣日使の数が上回り、それらの人々の多くが、鑑真のように帰化する道を選びました。

当時の奈良の人口の三分の一は帰化人だったとの説もあります。

反対に、遣唐使や遣隋使として海を渡った日本人たちが、帰化して住み着いたという話は
あまり聞きません・・・・。

遣隋使、遣唐使よりも、「遣日使」が多かった事を覚えておいてください。


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酒田の酒

山形県酒田市の蔵元。

名前の由来は「この酒を飲めば機嫌が良くなる」とい意味が込められつけられました。

山形きっての酒造りの名人として有名な佐藤正一杜氏は東京農大醸造科卒。

そして副杜氏の内藤大輔氏。

酒は作り手の感性を反映すると言われており、お二人とも本当に人柄が良く、素直な方。

話せば話す程、その人柄の良さと酒に対する熱意や発想の豊かさに引き込まれていきます。

そのお二人の性格と言いますか、上喜元というお酒も、一口目より二口目、二口目より三口目がより美味しく感じます。

気づいた時には「こんなに飲んだ?」というほど飲み飽きしない酒質に驚きます。

今では約50種類の酒米を使い分け、それぞれの個性を見極めた酒質はどれも個性的です。

 飲めば飲む程「上機嫌」、飲めば飲む程「旨い」酒が上喜元です。

四合を三日で明けました。

たしなむ酒は、悪酔いしませんね。


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漆蝋の製造工程


秋から初冬にかけて集められた漆の実は、果肉と種子に分けられる。蠟分が含まれるのは果肉の部分である。これをさらに搗いて粉状にして蒸す。
 
蒸し上がったら蝋袋に詰める。蝋袋は竹で編んだ籠状のものである。二戸地方では竹製の籠だが、会津地方では麻袋がつかわれた。
 
約四〇センチ角に長さ約三メートルの胴木が蝋締めの中心になる道具である。中央部に長方形の穴が開いている。この穴の上に蝋袋を置き、安定させるために蝋袋の両側にコマを配し挟む。さらにコマの外側にヤ(クサビともいう)を差し込む。胴木の両端に若者が立ち、重さ二〇キロもある木槌を振り上げてこのヤを打ち込むと、その圧力により蝋袋の漆の実の粉から蝋が絞り出される。胴木の下に箱を置いてこれを受け、しばらくすると箱の中で蝋は冷え固まりとなる。
 
現在、岩手県北で実際に蝋燭を作っていたという明確な証拠は残っていない。蝋燭そのものは浄法寺町の旧家から見つかったものが浄法寺町立歴史民俗資料館に展示されている。二戸市の黒沢家には「御用御蝋燭屋 伊勢屋助右エ門」という看板が残る。また、一戸町には蝋燭屋という屋号の戸田家がある。ここには蝋燭作りの道具が数点残っていたから、蝋燭屋は販売よりも蝋燭製造から出た屋号でると思われる。
 
戸田家の蝋燭販売圏は岩手県北から青森県南だったという。これ以外には今のところ、道具の一部を伝えている家が数軒あるのみである。この地方で蝋燭作りはそれ程盛んに行われていたような形跡がない。
 
一戸町の田村家に嘉永二(一八四九)年に盛岡藩が出した胴木の鑑札が残っている。蝋燭作りはあまり盛んではなかったが、蝋締めは盛んだったと思われる。蝋燭に加工して売り出すのではなく、蝋を固まりを出荷したのであった。

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