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30年ぐらい前に入手したコブクラです。
コブクラとは、濁酒を飲む器です。
本来の用途は不明ですが、コブクラと書かれた紙に包まれていました。
これを濁酒用の器として使っていたとしたら、とてもうれしいです。
手引きろくろで作られていますので、江戸末期かと思われます。
口縁が剥がれていますが、程度よく残されています。
3個とも同じところが剥がれているのも愛嬌です。
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2018年08月27日
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末の松山と浪打峠
二戸市と一戸町の境にある末の松山に登る道は、かつては人馬の往来も多く道幅も広かったそうです。 また山頂に登ると岩手山や姫神山が望まれ、雄大な風景がひらけています。 古くから歌に詠まれる名所として知られ、三十六歌仙の一人清原元輔が詠んだ歌は有名です。 「契りきな かたみに袖をしぼりつつ 末の松山 なみこさじとは」 後拾遺和歌集の歌は有名ですね。 「末の松山」を詠んだ歌は、古今和歌集の他、拾遺和歌集や千載和歌集などに数多く撰ばれている。 しかし、かつては海底だったことを物語る交差層を見ていると、海の気配が感じられ風景全体が波打っている。別名を浪打峠と称ばれる。 明治9年7月10日朝、明治天皇東北御巡幸の際にここで休まれたと記録に残っています。 「後撰和歌集」 「わが袖はなにたつすゑの松山かそらより浪のこえぬ日はなし」 「拾遺和歌集」 「浦ちかくふりくる雪はしら浪の末の松山こすかとぞ見る」 「金葉和歌集」 「いかにせんすゑの松山なみこさばみねのはつゆききえもこそすれ」 「千載和歌集」 「あきかぜは浪とともにやこえぬらんまだきすずしきすゑの松山」 「新古今和歌集」 「霞たつすゑの松山ほのぼのと波にはなるる横雲の空」 「能因集」 「すゑのまつ山にて白浪のこすかとのみそきこえける末の松山まつ風の声」 「後鳥羽院御集」 「 見わたせば浪こす山のすゑの松木すゑにやとる冬の夜の月」 末の松山は、一般的には多賀城周辺とされていますが、二戸地方の説も根強くあります。 二戸地方の末の松山は、現在では通る人はほとんどありませんが、和歌でも詠みながら歩いてみたいと思うこの頃です。 |
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